2021/05/27 10:21

自分のプロフィールに書いた幼少期のエピソード。

駄文ですが、毎日クラファンの宣伝じゃぁ食傷気味になっちゃいますよななっちゃいますよね!

なので流し読みしてください(笑)


ジュリー(沢田研二)が1977年に大ヒットさせた「勝手にしやがれ」のイントロ「ダダンダダンダーン」ってまるでマリンケ音楽のキメのような疾走感に、佐々木少年はすっかりやられてしまっていました。

そんなある日、小学6年生でバリバリに野球少年だった僕は、親父に連れられていった銀座のクラブにも野球帽をかぶっていたんだ。

写真はイメージです

これが偶然にも練馬リトルの白い練習用の帽子で、入店した時に親父は何やら蝶のようなホステスさん達と戯れてて、実はそんな親父たちが嫌で嫌で、少し離れた席に一人で座っていたんだ。

僕の様子を見ていたちょっと若めの女性が

「ボク、歌でも歌ってみる_?」

って気を使って言ってくれて。

多分、この状況下でまさか野球少年が歌を歌うなんて本当は思ってなかった筈だけど、佐々木少年はとにかく歌が好きだったし、この場の嫌な空気をぶっ飛ばしてやりたいって気持ちが強かったんだと思う。

「歌います。」

その女性は少し驚いて「何歌うの?」ってちょっと前のめりになって訊いてきた。

「ジュリーの勝手にしやがれ」

間髪入れずに答えました。

その時、ベロベロだった親父が「息子は俺に似て歌が上手いんだぞ!ハハハハーーー」って調子に乗りやがっていうのを尻目にステージへ向かいます。


ステージといってもカウンターの前の椅子の横にちょっと高くなったU字型のスペース。

その横でボーイさんが今ではとんと見かけなくなった8トラテープをガシャコンって音とともにセットする。


「ダダンダダンダーン」


例のイントロがクラブ内にこだまして僕がステージに上がると、クラブ内の空気が一気に変わった。

みんなが野球少年である自分を見ている。

思いっきりジュリーの真似をしてみた。

歓声が上がる。

親父も上機嫌だ。

へ!


そして「毛生えがしてるー」のところでおもむろに白い野球帽を親父たちのいる修羅の群れに投げたんだ。

その時のボルテージは凄かった。

歌い終わって元に一人で座っていた席へ戻ると、店中のホステスさんが僕のところにやってきて

「すごいじゃなーーーい」

そして一番元気だった親父たちと戯れていた女性が僕の顔を「ムギュっ」っとしたのだ。

その母親以外の女性の胸の感触と温度、そして香水の匂い。

佐々木少年がその後音楽活動を加速させていく原動力となったのだ。

こちらもイメージです

それは今も変わらないのかもしれない。

ムギュはないけど、ムギュの何万倍も嬉しい「楽しんでくれる気持ち」を都度都度もらっているのだから。