↑江戸時代の新町古町の地図です。
熊本の新町古町地区は、約400年前に加藤清正公が熊本城を築城した際に造られた城下町の一部で、現在も当時の町割(まちわり/道路パターンと街区のカタチ)を残しています。
新町地区は、熊本城の正面にあたり、城門に囲まれた城内町で短冊型(東西60m×南北200m)の町割の中には、御家中の武家屋敷と町人町とが混在する全国でも珍しい町でした。
古町地区は、火事による延焼防止および有事の際の軍事拠点として、碁盤の目状(一辺120mの正方形)の中心に寺を配した「一町一寺」の町割の中に問屋が軒を連ね(坪井川に面した問屋には川からの荷揚げ場があった)、物流の拠点として発展しました。
↑現在の新町古町の地図
西南戦争時の1877(明治10)年には、熊本城の大小天守などの建物の出火と同時に、新町古町のほとんどの建物が焼失しましたが、見事復興を遂げ、九州の経済の中心として発展しました。
しかし、店舗の郊外型化や商業地区の移動などにより、店舗・問屋の数は減少し、マンションや駐車場が増えて城下町の風情も消えかけています。
さらに、地震の被害も追い打ちをかけ、町屋の数も10年前の約半分ほどになっています。
そんな中で私たちは、新町・古町を元に戻すこと=復旧だけではなく、取り壊しなどで欠けてしまった町の商店や住居に、新しい人(スタートアップ等含む)や店舗を招き、”魅力ある町”として再生させ、笑顔溢れる、元気な町にしていくことを目的に活動をしてきました。
まだまだ、目に見える歴史がここにあります。