支援者の皆様、大変お世話になっております。
お陰様で、プロジェクトも残すところあと4日となりました。思いの外たくさんの方々にご支援を賜り、大変嬉しく思っております。
さて、古橋までお越しになった三成公を匿ったことで名が残る与次郎太夫。実在の人物です。
子孫は随分昔に古橋を出てしまわれたそうですが、屋敷跡には立派な石垣が残っております。
古橋は山裾の村ですから、村自体が坂で、家は石垣を使って段々に建てられています。与次郎の屋敷は、竜泉寺の近くにあり、昔ながらの細い道を入って行くとあります。
さて、与次郎はどうして三成公が古橋にお越しになったことを知ったのか。そもそも、与次郎は法華寺で寺男をしていたので、寺との関わりが深かったと考えられます。
一説には、法華寺が三成公を匿うことで災いが降りかかることを恐れたという話もあるのですが、古橋に来られたら村全体が一蓮托生となるのは免れません。法華寺が与次郎に三成公を託したと考えるのはごく自然な流れなのですが、本当のところはわかりません。
ただ、はっきりしていることは、与次郎が、三成公を匿うとなったその日のうちに、奥方を即刻離縁し里に帰しているということです。罰を受けることを承知の上で三成公を引き受けた証ではないかと考えられます。離縁してしまえば、奥方は与次郎とも村とも関わりない人になりますから、守ろうとしたと考えるのが自然です。
死生観は、今とは随分違うかもしれません。
たった100年前でも、名誉の死などという感覚があったわけですから、今の私では自害、死罪、などの受け止め方が十分に理解できるとは思いません。
与次郎は、三成公を守るならば死を覚悟し、奥方に対しては死を免れるようにしたということ。
昔の死生観とは……と、ちょっと考えますよね。
その辺も、「大蛇変」では匂わせています。かすかにですけれども。