(株)文化財マネージメントの宮本です。
本プロジェクトで対象としている不動明王三尊像は、豪商・前川善兵衛家の活動の中で、遠く離れた江戸人形町の仏師、安岡良運に依頼された可能性が指摘されています。
また、江戸時代の大槌の繁栄は前川善兵衛家抜きに語ることはできません。
今回の活動報告では、その前川善兵衛家について、前回に続いて岩手県立博物館・元学芸員で三日月神社文化財調査員である佐々木勝宏さんにコラムを書き下ろしていただきましたので、下記に掲載します。
鱶鰭(ふかひれ)スープ、美味しい
三日月神社文化財調査員 佐々木勝宏
中華料理であるふかひれスープは特産地気仙沼市で食べたことがあります。
とても高級品ですが、美味しいです。
大船渡市三陸町吉浜の干鮑はキッピンあわびとして有名ですし、高額で取引されます。
江戸時代、盛岡南部藩の沿岸地区はふかひれ、のしあわび、のしなまこの生産地で、漁獲して加工したものを俵に詰めて長崎に送りました。
そのためこの産品を俵物と呼びました。
今は鈎で引っかけて鮑を獲りますが、江戸時代は素潜りでした。
潜水夫は半年ほど前川善兵衛宅で寝食を共にして漁に励みました。
津々浦々に分家を配置して大槌に集荷して、大船の明神丸と吉祥丸で江戸や大坂経由で最終的には長崎に送られました。
長崎で干し直して俵に詰め直して中国(清)に輸出されました。貿易量を制限して金銀の国外流出を防ごうと考えていた幕府には救世主ともいうべき輸出品でした。
前川善兵衛家は、漁獲、生産加工、集荷、運送を一手に握る大会社でした。
分家は各所の支店とも言えます。
その下に様々な規模の船が魚種や海藻などを採取していました。
白漆喰壁や接着剤や焼き物のうわぐすりにも使われた布海苔や、祝儀の品として欠かせなかった鯣(するめ)や、干物や塩漬け、味噌漬けした魚も運ばれました。
大消費地の江戸に物資を運んでの運賃を始め、売益額も巨万に及んだことが想像できます。
帰りの船には様々なものを積んだのですが、茶商の平野平角や文房具の木津屋など、最高級品から普及品まで流行の最先端のものが運ばれたわけです。
商売繁盛や海上安全に家内安全や子孫繁栄を祈願するために信仰する寺社や祠に江戸で一世を風靡した書家や仏師に依頼して扁額、幟、仏像などが運ばれました。
言い換えれば前川善兵衛家の繁栄は、大槌の経済力、教育力、文化力の向上と一体だったということです。