(株)文化財マネージメントの宮本です。
本プロジェクトで対象としている不動明王三尊像にも関わっていたであろう豪商・前川善兵衛家について、以前にも書き下ろしのコラムを掲載しました。
今回は、前川善兵衛家の信仰についてのコラムです。
ご執筆は同じく、岩手県立博物館・元学芸員で三日月神社文化財調査員である佐々木勝宏さんです。
下記に掲載します。
十一面観音信仰
佐々木勝宏
不動明王の修理が完成されたら安置される御社地(おしゃち)には津波前に東梅社を開設するにあたって建てた碑がありました。
上部に種字(梵字)で十一面観音をあらわすキャが刻まれていました。
東梅社の中には天神、弁天、毘沙門などとともに十一面観音を祀っていたであろうこともわかります。
町指定文化財となった津波被害から救出された前川善兵衛家文書のなかに、持船の明神丸の船霊(ふなたま)様の方形の包紙があります。
そこには円形の種字の呪文のなかに八大龍王や烏枢沙摩(うすさま)明王や住吉三神が書かれていますが、それらは墨書である一方、頂上部のキャの種字 (=十一面観音)は朱墨で書き込まれています。
大念寺の本堂向かって左側に手前から不動堂、奥に観音堂があります。
この観音の祭礼は九月の前日に当たる17日と当日の18日に大きくて長い立派な幟旗が翻りました。
この幟は江戸で一世風靡して着物や帯にまで流行した三井親和に揮毫を依頼して、日本橋の三井越後屋と並ぶ白木屋に染めを頼んで江戸から大槌に運んだものです。
同じく町指定となった文書群の一冊の竪帳にその経緯が記されていました。
前川善兵衛家の分家桝屋理兵衛が先達二名を指名して金銭を持たせて旅立たせています。
幟の揮毫代、染料、木綿代など細かく記しています。
四流とあるので、現存が二流なのであとの二流はどこに行ったのかわからないままでしたが、なんと鵜住居観音に奉納していたのです。
大念寺観音堂と鵜住居観音堂のご本尊は十一面観音なのです。
キャです。
前川家の持船が安渡から出港する際は、必ず、この二カ所にお初穂(当時は神仏習合)をあげて、航海の安全などを祈願していました。
観音経には航海の安全を請け負う部分がありますから、その信仰の篤さをうかがい知ることが出来ます。
大槌が輩出した観流庵主の兄慈泉と観旭楼柳下窓の弟祖睛はともに十一面観音菩薩と不動明王を信仰していました。
東日本大震災の津波の瓦礫の中から救出されたのは、鵜住居観音とともに不動明王もあります。
慈泉と祖睛が観音信仰と不動信仰を広めたことが少しずつわかってきました。