2021/04/15 08:00

 大江健三郎さんはノーベル賞作家。高校生は誰もが知っている。

 現国の教科書に『鳩』が載っていた。読んだのはそれだけ。大江

健三郎さんを体験した高校生の多くは『鳩』。教科書は四百字詰め

で十二枚ほど。けれど何故か先生は素通り。授業で取り挙げなかっ

た。それでも高校生はノーベル賞作家に惹きつけられ読んだ。


ー夕暮れると僕らあさぎ色いろの服を着こみ、やはりあさぎいろの

地に藍の線の入った帽子をまぶかにかぶった者たちは、少年院の昏

い光にとざされた中庭を黙りこんだまま横切り、所どころに血いろ

のしみのふきでている高いコンクリート壁の下に歩いて行くのだっ

た。(『鳩』の冒頭)—


 氷空ゆめは教科書だけで満足できなかった。抜粋では本当が分か

らない。『鳩』は図書館の『見る前に跳べ』に収められていた。十

五人が三年の間に借りている。本物の『鳩』は四〇〇字詰めで七〇

枚弱の短編小説だった。先生が取り挙げなかったのは少年院の設定

と男色に在ったと思う。教師は高校生を舐めている。高校生は少年

院もホモも知っている。それらは社会のひとつと知っている。

 氷空ゆめは大江健三郎の文体に苦しめられた。助詞と接続詞に続

く名詞や動詞は平仮名が多い。これだけで突っ掛かってしまう。春

の雪面に突っ掛かるスキーだ。強く踏み込まないと前のめりになっ

て転倒する。平仮名を止めて漢字にして欲しい。句読点が丁寧に打

たれていない。僅かしか「、」が打たれていいない。それでセンテ

ンスがやたら長く感じてしまう。云い回しがクドイ。比喩を理解す

るのに手間がかかる。手間をかけてもピンと来ない。それで情景や

『僕』の感受を、なかなか、自分の裡に喚起できない。

 大江健三郎さんは意図して分かり難い文と文章を綴っているよう。

そう氷空ゆめには思えた。それで読み終えると眼が充血。眼の奥は

熱っぽい。ひとつの段落の文章を直ぐに理解できないと後ろへ後ろ

へと遡る。次には先を読み、理解しようと試みる。その行ったり来

たりの眼の動きで殺られてしまった。面白いか、面白くないかより

も、読むのに全力を使い切ってしまう。こんな小説は初めて。小説

を読むにはスピード感が大切。一行読む度に、突っ掛かり、後先を                           

読み返したり、難解をメモってりしていては時速一キロのペンギン

の歩行のよう。小説は時速四キロで読みたい。

 難解と評判のドストエフスキーの翻訳をスラスラ読めた。時速四

キロだった。スラスラ読めると作者が伝えたいイメージの喚起が早

い。ドストエフスキーの書くテンポに付いてゆけた。ドストエフス

キーを読めたのが氷空ゆめのの自信と自慢。

 大江健三郎さんは違った。まるで「ついて来るな」と言われてい

るようだ。理解しようと思うなら「此処までおいで」と。それで『

鳩』を三度読んだ。この作品は大江健三郎さんの『罪と罰』なんだ。

ようやく三度目で氷空ゆめはそう思った。 

 大江健三郎さんは異常を表現したかったのだ。そうであるならば

舞台設定も登場人物も異常でなければ異常の雰囲気を醸し出せない。

異常を追及すると文体も異常になる。少年の罪と罰を表現するには

すべてが異常でなければならぬ。過重な暴力をふるう教官の野蛮。

これが少年院での罰だった。罪を犯したにも拘わらず理不尽なヒー

ロー扱い。ならば罰は自らが課す。少年の一途な想いと一途からの

勢いなくして少年の罪と罰は描けない。 

 氷空ゆめは『鳩』は『セブンティーン』に繋がっていると思った。


…わたしは一八歳。『セブンティーン』には一年遅れ。恐らく『セ

ブンティーン』の主人公の少年も孤独。「おれ」はわたしに似てい

る。「おれ」は自分を賭けられる何かを探していた。「やる」と決

められる何かを求めていた。それが文体に現れている。周囲は馬鹿

で偽物ばかりと思う「おれ」。「おれ」の感受は攻撃的。それは孤

独感からの解放。似ていてもわたしは孤独ではない。心模様を伝え

られる友達が居る。父も母も弟もわたしを無視しない。わたしが何

かをやろうとした時には黙示であっても応援してくれる。わたしと

云う人格を愛し尊重してくれている。だからわたしは近くに居る友

や家族を敬愛してしまう。「おれ」にはわたしが持っている心の動

きがない。孤独からの一途は暴力的になってしまうのだ。『IS』

に世界中から参加する若者の背後には共通した孤独が在るのでは…。

きっとそうだ。人間の独り一人が繋がり社会を形成している。その

繋がりが遮断された時に襲ってくるのが孤独と孤独感。自ら遮断す

るのも孤独と孤独感から。

 写真の岸部実さんには表情が無い。伏眼の奥から人間を見ている

ようだ。こう云う人は恐い。何を考えているか分からない。掴めな

い。きっと孤独なんだ。でも孤独でも社会と人間に攻撃的では無さ

そう。攻撃的な人にはお店を経営できない。お店に人が集まらない。

そこが孤独で一途に思い詰めた少年との違い。

 やはり大人。リックと呼ばれている…


■4/12にリターンを考えました。アップしています。