2021/05/13 20:00

 十一月上旬。海太郎は伊達慎一に呼び出された。二人は高校の同期だった。共に仙台の

『日西友好協会』に所属している。伊達は会長を務めていた。

「先月の終わり、協会にスペインから手紙が届いた。スペイン語で書かれていたので翻訳

を頼んだ。それで時間がかかったしまった。とにかく読んで欲しい」


—私はマリア・ロドリゲス・ハポンです。コリア・デル・リオに住んでいる十七歳。高校

に通っています。思い切って手紙を書きました。

 仙台に今も「たきのうえ」を名乗る方が住んでいるのでしょうか。私の先祖は「たきの

うえよしぞう」と昔から伝えられています。お墓もあります。もし私の先祖と繋がりがあ                                    

る方が住んでいるなら是非、一度お会いしたい。そう願いを込めています。突然の手紙で                                      

すが、宜しくお願いします—

   

   読み終えた海太郎は伊達に言った。

「何時か、こう云う日が来るのではと想っていた。いや、来て欲しいと願っていた。この

願いとは祈りに近い」

「彼女への返信は任せて良いか」

「もちろんだ」

 海太郎は封筒を手に取り、差出人の住所を見つめた。そこには確かに『コリア・デル・

リオ市』と書かれていた。現在は村から市に変わっている。

「どうだろう。成り行き次第だが協会で彼女を招くと言うのは…。そのくらいの予算はあ

る。理事会で賛同してもらう手続きが必要だけれど反対する者はいないと思う」

「そうなると彼女はホームステイになるな。俺の処で良いのか」

「そう言ってくれると思っていた」

「分かった。これらを前提に返信を書く」

「お前が書くのか」

「いや。海彦に書かせる。同じ十七歳だし。俺が書くと何かと堅苦しくなる」

 その夜、瀧上家では家族会議が開かれた。海太郎以外の五名が一人ひとり、マリアから

の手紙を読んだ。皆が読み読み終えると海太郎は昼間、伊達に呼ばれた経緯を話した。そ

して「マリアが仙台に来た時には歓迎しようじゃないか。マリアも嘉蔵の子孫。俺たちも、

みんな、嘉蔵の子孫だ。海彦。返事を書いてくれ」。

 彩は自分が書くものと思っていた。父の海彦指名に唇を尖らせ、頬を膨らませた。

「海彦。大丈夫。手紙に何て書くつもり。日本語で書くんでしょう。スペイン語は無理だ

し英語も無理っぽい。日本語で書く他ないわよね。スペインは多民族多言語国家だからマ

リアは英語を話せると思う。英語で書いてみたら。私なら英語で書く」

 彩はまくし立てた。彩は地元の大学に進み英文科の三年生。

「ここは海彦に任せようじゃないか」と海之進が彩を遮った。静が「何時、来るんだろう。

楽しみだね」。志乃は「私たちと同じ先祖の方とお会いするとは夢のようね。どんな娘さ

んなんだろう。きっと美人で可愛いお嬢さんよ」。

「ホームステイとなると母さんが大変になる。みんなの協力が必要だから宜しく頼む。彩

にも頑張ってもらいたい。マリアには幸せな時間を過ごして欲しい」と海太郎。

   海太郎から名指しで「頑張ってもらいたい」と言われた彩は気分を取り直した。

「妹が一人できたみたい」

「みんなスペイン語ができない。マリアの為にもスペイン語を勉強しよう」

 海之進は自室に戻って一冊の本を持って来た。

『一週間で話せるスペイン語』。

「何時か役に立つと思って買ったんでしょう。しかし積読のまま。役に立つ時がやっと来

たのね」と静は、海之進と、眼を合わせ、微笑んだ。

 彩が「文法は英語と似ていると思う。でも会話は文法よりも単語。一〇〇も覚えたら何

とかなるわよ」と言うと、「そうだな。私も一〇〇を覚えるとするか」と海太郎。

 瀧上家の意気込みは不要だった。マリアは何時かの日本に向け日本語学校に通っていた。

今年で七年目。日常会話には困らない。今では英語よりも達者。

   海彦は茫然としていた。彩の何時もながらの出しゃばりにウンザリ。彩を無視しつつも

海太郎の表情を窺った。

…なぜ親父は俺に書かせようとするのか…

 それが分からなかった。我家を代表してマリアに家族の熱い気持ちを伝えなければなら

ない。これだけが重く覆い被さってくる。何を書くのか。まったく浮かんで来なかった。

 今まで親父の代りなど務めたことなし。それに女の娘(こ)に手紙を書いたこともない。

 海彦は、スペイン語で書かれたマリアの手紙を見つめ、翻訳文を読み返した。

 自分の言いたいこと、読み手に伝えなければならないことが短い文で書かれている。き

っと頭の良い娘なんだ。俺はどうなんだろう。マリアに会ってみたいのか。どうでも良い

のか…。会ってみたい。俺の中で燻っている嘉蔵の謎を解き明かすチャンスが巡ってきた

のかも知れない。そうだ。余計なことを考えずに俺のこと、マリアに伝えたいことをスッ                                    

キリと書けばそれで良い。難しく考えては駄目だ。


—僕は瀧上(たきのうえ)海彦(うみひこ)です。マリアと同じ十七歳(高校二年生)。

瀧上嘉蔵(よしぞう)の十六代目です。マリアからの手紙を家族みんなで読みました。何

時でも仙台に来て下さい。大歓迎。 

 僕には謎がひとつあります。この謎は瀧上家に脈々と受け継がれ、先祖の方々の誰も解

き明かしていません。                                 

…何故嘉蔵は帰還せずコリア・デル・リオに生き死んだのか…

 長い時の間に数々の説が語られ、そして消え、謎だけが命を繋いでいます。                                     

『大海に もまれころがり はや五年 支倉の無念 如何ばかりか 而して我は 望郷を 

打ち振り払い 此処に残らん 我を求めし 故里吾出瑠里緒 これぞ誠の 男伊達』

 これは嘉蔵が家族に届けた文に認められた和歌です。僕はマリアに嘉蔵が故里吾出瑠里

緒(コリア・デル・リオ)に残った訳を尋ねたい—

 

「父さんの名代で書いた」

マリアの手紙を読んでから一時間ほどで示された返信に海太郎は驚きを隠せなかった。                                    

「もう書いたのか」

「時間が経てば経つほどにグチャグチャになってしまいそうだったから」

 海太郎は二度読んだ。

「私が海彦に書けと言ったのはこう云うことなんだ。お前なら、きっと、こう書いてくれ

る。家族の皆が胸の奥深くに仕舞い込んで忘れることのない謎を書いてくれる。ありがと

う。嘉蔵の惜別の詠を載せてくれて、ありがとう」。

 メモは海太郎から海之進に渡され、彩まで回され皆が読んだ。

 読み終えると、みんな、黙り込んでしまった。