2021/05/16 20:00

 朝食を一緒に食べ、家族と焙じ茶を飲み、ワイドショーを観ているうちに海彦はマリア

に慣れた。美人で可愛らしくても慣れると、どぎまぎ、しなくなった。

 これは海彦にとっての大発見だった。普通にマリアと話せるようになった。なのにマリ

アは海彦と眼を合わさない。テレビを観ながら彩とばかり喋っている。

 海彦が話しかけてもそっけない返事。

「マリア。出発は八時四五分でどう…」

「…」

 マリアは海彦を見ずに無言。明らかに話しかけられるのを嫌がっている。海彦にはそう

思えた。時間が過ぎてもマリアは彩の部屋から出て来ない。

 彩の部屋に入る訳にはゆかない。

 海彦は靴を履いたまま玄関でじりじり。

 九時近くなってマリアが現れた。

 気を取り直して海彦はマリアと家を出た。

 青葉城跡地の伊達政宗の騎馬像に向かった。家から歩いて一〇分もかからない。並んで

歩いていてもマリアは海彦から遅れ離れてゆく。その度に海彦は振り返りマリアを待った。

 マリアは白のダウンのポケットに両手を入れて、下を向き、トボトボと歩いていた。

 海彦は女の娘の突然の不機嫌を彩で嫌と云うほど経験していた。その不機嫌が原因が分

からぬまま瞬時に治るのも知っていた。不機嫌が終日続くこともあった。こうなると家族

の誰もが彩に近づかない。志乃でさえも。

 しかしマリアは彩ではない。虚ろなままのマリアを放って置けない。

「どうしたんだ。マリア。体調が悪いのか…」

「別に」

 マリアは家に居た時からからこんな調子。

「政宗の次は支倉常長の処に行こうと思っている。その後は石巻のサンファン館。石巻は

少し離れているから急ごう。一五時には戻らなければならないんだ。今夜はマリアの歓迎

会。遠くからも親戚が集まる。母さんと婆ちゃんの手伝いがあるんだ」

 マリアは「母さんと婆ちゃんの手伝い」に反応した。

「ちゃんと歩く」

 間もなく騎馬像に着いた。

「これが独眼竜と言われた政宗。ずいぶんと勇ましい。怖いくらい」

 仙台には支倉像が三体も在った。向かった先は青葉城二の丸跡の常長像。

「カルロス・デ・メサ公園の像と同じだね。支倉が右手に持っているのが政宗の書状」

 サンファン館は片道一時間半。晴天。風も穏やか。冬の仙台は晴れの日が多い。けれど

山から吹き下ろす風が強い。それが難点。今日は絶好の観光日和。

「わたし。いっぱい、たくさん、質問すると思う。うるさく思わないで」

「マリアの質問に上手く答えられるか、分からないけれど、頑張る」

「分からないことばかりなんだ」

「一日で仙台の四百年前と今を案内できないのでテーマを考えた。伊達男と男伊達の違い」

「凄く良い。海彦は倒置法を教えてくれた。意味が強まった男伊達は、伊達男と何が違う

のか確かめたかった。これが分かれば嘉蔵に近づける」

 海彦はようやく元に戻ったマリアに安堵した。そしてマリアの聡明に感心。                                

 マリアはたくさん勉強して仙台に来ている。

 俺もぼんやりしていられない。

 俺の周囲に伊達男と男伊達の違いに関心を持つ女の娘は一人も居ない。

 みんな「キャーッ・うっそ~・マジ・やだ~・ヤバ~イ」と叫んで日々を過ごしている。

 マリアはJR石巻駅までの在来線の車中から流れてゆく景色を見つめていた。

「仙台は広い平野。家と家の間にも畑や田圃が造られている。畑や田圃は今はお休みなん

だね。コレア・デル・リオの田圃では今、小麦や大麦が育っている」

「これから冬。雪が降る。田畑は来年の春までお休み。仙台では二毛作は無理なんだ」

「そうか。寒いからだね。あの~。海彦の家は変わっている。仙台に着いてから海彦の家

のような家をまだ見ていない。壁が白くて屋根が瓦の長い塀に囲まれている。塀の土台は

石が組まれ頑丈な造り。家の正面には大きな門。勝手口とお婆さんが呼んでいた玄関は裏

側にも在る。玄関が二つもある。庭が広い。松が植えられ大きな石が置かれている。手入

れが行き届いていて時々コ~ンと音がする。二棟の家が建っている。お爺さんから普段は

使っていない離れと教えてもらった。離れは納屋では無い。立派な建物。蔵もある。蔵は

塀の白と同じ。蔵の二階の小さな窓の下には『嘉』の文字とドラゴンのレリーフが描かれ

ている。それとトイレに入ると突然、蓋が開いた。これには思わずキャ~」

「武家屋敷の名残りなんだ。武家屋敷とは戦さを想定して造られている。塀は敵の侵入を

防ぐ備え。蔵には米を蓄えた。火を放たれても蔵は燃えない。離れは従者や応援に駆けつ

けてくれたサムライの居住地。嘉蔵が何時戻ってきても良いように出来る限り昔のままに

代々の家長が維持してきたんだ。龍は爺ちゃんの鏝絵」                            

「門と塀と蔵は嘉蔵の頃と同じなんだ」

「蔵は蔵之介が建てた。維持するには大変な苦労が伴う。残された者の決意と覚悟が門と

塀と蔵。それと離れ。俺は意地と思っている。それだけ嘉蔵が偉大だったんだ」

「嘉蔵は仙台でも偉大だったんだね」

「昨夜親父から聞いた。マリアが嘉蔵を尊敬しているひとつひとつを。それらがマリアの

矜りに繋がっていると。俺は嬉しかった。嘉蔵は何処に生きても皆の役に立つ仕事する。

やっぱ。偉大なんだと思った。でも俺は嘉蔵を尊敬できない」

「どうして。仙台に戻って来なかったから…」

「それが何時も心に引っ掛かってしまうんだ」

「嘉蔵がコリア・デル・リオに残らなかったら私は生を受けていない。此処に座って居な

い。こうして海彦とお話ししていない」

「その通りだけれど尊敬とは違う」

 この時マリアの表情が曇った。

 家を出る前と出てからの虚ろな表情に戻っていた。

 海彦はマリアの変化に気づかなかった。