2021/05/31 20:00

■ 三井三池の争議(笹山高)

 炭労の常套句で忘れられないのがふたつある。

「やらずぶったくり」と「往復ビンタにゲンコツ」。

「ぶったくり」とは使用者から何らかの権利を奪い取る。権利は多

岐に渡る。賃金や労働条件。他には労働環境と様々な福利厚生。団

体交渉で入浴終了時間を一時間延ばしただけでも立派な勝利と称え

られる。炭鉱労働者にとって日々の入浴は重要不可欠。勿論無料。

 炭鉱労働者は街で働く者よりも遥かに恵まれている。炭住と呼ば

れる住居は無料。床屋もタダ。ストーブを焚く石炭は当たり前。景

気が良かった時には水道・電気・ガスも使用者負担だった。購買で

は給料払いのツケ買い。それを当たり前として働き暮らしていた。

 経営者は、こうでもしないと、人里離れた山の中に労働者を集め

られなかった。三笠炭鉱発足当時はその為に造られた空知監獄の囚

人たちが穴に潜った。暗く狭い切羽と坑道では事故が度々起こる。

起きた時には死者が出る。それは今も昔も変わらない。その追悼式

では社長や北海道知事が「二度とこのような事故を起こさない」と

誓う。誓っても事故は止まない。その空虚な誓いを埋めるのが「や

らずぶったくり」の心意気だった。

「やらず」とは何らかの権利を獲得するのに使用者と何ら取引をし

ない。自分たちは現状のまま何かを勝ち取る。バーター取引は団体

交渉後の報告集会で組合幹部は吊し上げを喰らう。                       

「やらずぶったくり」は炭労の座右の銘。これへの拘りは並ではな

い。地下深い坑内で命の危険と向き合う者のみが共有する拘り。落

盤・出水・炭塵並びにガス爆発。これらのひとつでも発生した時に

現場に居合わせた者は死ぬ。

「往復ビンタにゲンコツ」とは「やらずぶったくり」に対して使用

者の情け容赦ない仕打ち。使用者も指を咥えて「やらずぶったくり          

」に甘んじている訳がない。


 ワシの親父は幾春別の炭鉱で働いていた。

 石炭から石油に代わる節目の時代だった。中小の炭鉱が閉鎖され

新しく掘られる大規模炭鉱への統合が始まった。『スクラップ ア

ンド ビルド』と説明された。それで使用者から親父に転勤の打診

があった。賃金は一割アップ。幾春別は雪が深かったけれど住み易

かった。温泉にも岩見沢にも近い。炭住自体が大きな家族だった。

 親父は組合の支部長だった。名前を呼ばれない。誰もが「支部長

さん」。中学生のワシは学校でも「支部長さんの息子」だった。ワ

シは此処で生まれ育った。勇壮な夏祭りと盆踊りが楽しみだった。

 親父は山奥の大夕張に行くのは気が重かったのだと思う。おまけ

に賃金以外の労働条件の提示も無かった。親父が尋ねると「おいお                                  

い組合と交渉して定める」だった。ワシに嫌な予感が走った。「往

復ビンタにゲンコツ」でやられる。そう思ったのは親父とワシだけ

では無かった。大夕張への人が集まらなかった。焦った使用者は組

合の要求を丸呑みした。新しい権利も獲得した。三番方から一番方

に切り替わる時の休息時間が二十三時間だったのが四十七時間に延

びた。結果として休日が一日増えた。これが「やらずぶったくり」

の真骨頂。「炭鉱マンは潰しが効かないんだ」と父親が言った。

 北海道は石炭の埋蔵量が豊富。掘られていない炭層が数多く眠っ

ていた。中小の炭鉱が閉山しても新しい山に転勤できた。九州では

そうゆかなかった。九州には手つかずの炭は眠っていない。今ある

中小の炭鉱を統廃合しない限り『スクラップ アンド ビルド』を推

進できない。性能の良い掘削機械を導入するのが『ビルド』の大前

提。良質の石炭生産には掘削以外にも機械化が急務であった。機械

化を進めると人が余る。経営の合理化とは機械化。人員整理。合理

化が進まず苦慮した三井三池の使用者は生き残りを賭けて一九五九

年一月十九日、六千名の希望退職者を含む会社再建案を組合に提示。

退職金二割アップ。それで炭住から放り出される。退職を希望する

者は僅かであった。応じたのは個別の事情から山から離れようと考

えていた者だけだった。

 海外の安価な良質炭が注目されるようになっていた。良質炭とは

鉄鋼生産に用いられる。使用者は次の手を打ってきた。八月二九日                           

に四五八〇人の人員削減案を提出。退職金の二割アップは消えてい

た。組合が応じる訳がない。すると十二月三・四日には一二七八人

の指名解雇に切り替えた。使用者も徹底抗戦の構えを崩さない。

 これが「往復ビンタにゲンコツ」。当然ながら組合は『解雇撤回

闘争』を組織した。直ちに無期限ストに突入。こうして三井三池の

闘いは始まった。『解雇撤回闘争』の内実は反合理化闘争であった。

労働組合の歴史を紐解くと反合理化闘争で勝利していない。それで

も総評は総力を挙げて支援した。使用者が示した指名解雇者には労

働組合の猛者が残らず書き加えられていた。組合潰し同然であった。

 総評が三〇万人の大単産の炭労を見捨てられないのは然り。使用

者も強気だった。『スクラップ アンド ビルド』は国家方針。推進

しなければすべて石油に取って代わる。山を護るには指名解雇をや

り遂げるのみ。こうして総資本と総労働の闘いが始まった。

 戦いは長期化。死者も出た。労働組合の久保清氏。デモ中に暴力

団に刺された。死者が出ると闘いは先鋭化する。組合は武装。自警

団を組織した。全国から支援者が集まった。親父も大夕張の清水沢

から派遣された。北海道の炭労も組織を挙げて支援した。

 闘争資金の半分を三井三池に送る臨時大会では満場一致。他に一

人千円の拠出も全員一致。ワシも親父に連れられて臨時大会に参加                          

した。異様な熱気と高揚は忘れられない。大会のスローガンは『山

を護れ』。北海道の炭鉱マンたちにとって九州は他人事ではなかっ

た。給料が月四万円程度だった時代の千円は現在の五千円以上に相

当する。北海道の炭労組合員は一四万人。一人千円は一億四千万円。

カンパは全国から集まった。総評も闘争資金を切り崩した。総評は

軍隊と呼ばれた。闘いの出口は闇の中。使用者は第二組合を作った。

労々間の分断を計った。それにより戦いは一層凄惨になった。

 現場は革命前夜を思わせた。

「革命とは、今の今まで権威や秩序に支配されてきた者、謂わば正

しい力と規定された権力への服従を強いられていた者が、次の瞬間

に自らが権力となる、を意味する。これが階級闘争の本質である。

この劇的大転換は絶対的な正義である。虐げられた者や貧しい者を                                   

解放。そして社会矛盾を一掃して楽園を造る。これは平坦な道では

ない。だからこそやりがいがある。男子足る者。立ち上がるのは今

だ。乗り遅れては一生後悔する」


 親父は向坂学校でこうアジられ、歴史的必然を教えられた。


「革命は偶然起こり成就するものではない。必然とは、必ずこうな

る、と云う大きな時代のうごめきから導かれる。この大きなうごめ

きは自らの力そのもの。誰かに与えられるものではない。ロシア革

命はツァーリを倒し労働者階級が権力を握った。長い間、絶対的支

配に君臨していたロマノフ王朝の圧政にNOを突きつけたのがボル                         

シェビキ。圧政は何時か終止符を打つ。これが歴史的必然。しかし

戦わなくては終止符を迎えられない。反乱とは自らが時の権力に取

って代わる戦いではない。日本で言うなら一揆。革命と反乱の違い

は権力を目指すか否かなのだ。反乱はやがて鎮圧される。これも歴

史的必然。革命とは反革命に打ち勝ってこそ成就されるのだ。我々

は歴史的必然に支えられている」

 革命への志を持つ者、持たない者も『革命』に酔った。そして革

命戦士として前衛足らんと志したした者たちは「向坂学校」の門を

叩いた。ロシアと中国に革命遂行と成就の手本が在った。このふた

つは『向坂学校』のみならず労働組合員の志気を高めた。

 三井三池から革命が勃発し日本中を巻き込み、そして権力が集中

する東京を支配下に置けるのか…。親父は分からなかった。三井三

池では革命前夜を思わせる雰囲気。東京にはそれが無かった。ゼネ

ストは一揆に似ている。ゼネストが日本中に広がらなかった時には

革命は頓挫。歴史的必然は成立しない。親父はそれを案じた。

 今回の指名解雇は許せない。組合潰しの不当労働行為だ。それで

地労委に救済を申し出ている。今は中労委の管轄。労働委員会は政                           

府から独立している行政機関。独立していると云ってもアテにはな

らない。政府と同じ穴のムジナ。ここに頼っていては馬鹿を見る。

ならば自力で解雇を撤回させなければこの戦いは終わらない。

 この戦いが革命に繋がる歴史的必然なのか…。

 それが問題だ。

 親父は自力でひとつ処に辿り着いた。                          

「困窮していても我々は、パンを買えないほど、米の飯を食べられ

ないほど困っていない。飢えてもいない。革命の推進力である歴史

的必然は飢えが源なのでは…」

 中労委から斡旋案が出た。組合員の心情に配慮した内容ではなか

った。予測通りの斡旋案。戦いは一層激化。激化しているのは北九

州の三井三池だけだった。「この戦さが歴史的必然の下で革命に繋

がり成就するのか、どうかは分からない。かなり難しいのではない

か。北九州から東京に攻め上る戦略が見えないのだ。全国で同時多

発するはずの蜂起は何時起こる…。歴史的必然では間もなく起こる。

しかしその動きが見えて来ない。起こらなければ一揆として鎮圧さ

れる。鎮圧されるのも歴史的必然ではないのか…」。

 親父は誰にも言わず、独り、夕張に戻って来た。

「革命の側でも反革命でも俺たち炭鉱夫は足軽。戦さ場で足軽は命

を落としてはならない。犬死。誰にも褒められない。形勢が悪くな

れば逃げるのが足軽。それが足軽の生きる途。敵の兜首を獲った時

には褒美をもらえる。しかしもらえるのは勝った時だけ。そして足

軽は足軽のまま。武将にはなれない。東大卒でなければ足軽大将に

すらなれない」。後年親父はワシにこう言った。

                                                              

 戦いの実権を握る太田薫が官邸に呼び出された。

 そこには検察・公安・政府の首脳が集まっていた。

「三井三池の闘争を収束させて頂きたい」

「それは出来ない。死者も出ている」

「収束させないと貴方を国家反逆罪で逮捕しなければならない」

 これで太田薫は完全にびびった。

 それを後年NHKのテレビで語っていた。

「国家反逆罪の法定刑は死刑か無期懲役。闘争を終結する他なかっ

た」と太田薫はカメラに向かって言い放った。言いたくないことを

言わされた動揺を隠せなかった。椅子に座った身体が小刻みに揺れ

眼球が泳いでいた。ワシはそれを見逃さなかった。

 何と情けない指導者。命を賭して闘っている現場。三井三池では

指導者が命を賭けていなかった。反合理化闘争は、時代の波に逆ら

えないのだが、それ以前の問題があった。指導者の胆の据わり方。

三井三池は組合の全面敗北。労働者総体は屈辱を味わった。                           

 以降、太田薫のラッパは吹かれなくなった。

「情けない」が親父の口癖になってしまった。三井三池以降、骨の

ある若者は既存左翼の指導者を見限った。『民同』には侮蔑が込め

られている。ワシとて同じ。

 

 三年後の三井三池では炭塵爆発事故発生。死者四五八人。一酸化

中毒者八三九人。それから二年後の一九六五年には三井山野炭鉱で

ガス爆発。死者二三七人。こうして九州から炭鉱が消えた。

 大夕張も一九八一年十月十六日にガス爆発事故。九三人が亡くな

った。幸運にもワシも親父は明け番だった。ガスマスクを装着して

救助に向かった。ワシは青年部長だった。若衆の一人だった。馬力

もあった。ワシは親父に「一人でも多く助け必ず生きて戻ろう」と

言った。「生意気言うな。俺はこの山を知り尽くしている」。

 二人ともこれが最後の坑内になった。

 この時も「二度とこのような事故を起こさない」が社長と北海道

知事の追悼。こうして全国から炭鉱が消えた。

 石油の時代が来てしまった。山から離れ、ワシと家族は、札幌に

居を構えた。残念であっても、胸を撫で下ろした。親父も同じだっ

たと思う。これで穴の中で死ぬ者は居なくなった。

 最後の最後に炭鉱マンは往復ビンタにゲンコツ。そして回し蹴り

を喰らってしまった。三井三池の戦いの翌年は六〇年安保闘争。日

本が揺れ動いた時代だった。それでも歴史的必然は訪れなかった。

        ・・・・・・・・・・・・・・                                       

 読後感が『宮本顕治』と似ていた。

 歴史的必然を三井三池闘争の中で取り上げていたからだ。

 左翼の人たちは歴史的必然の信奉者なんだ。

 それが左翼の人たちとそうで無い人たちの別れ道。

 炭労は今日に存在していない。

…わたしがこの時代に生きていたらどうするのだろう…

 それへの応えが歴史への学びと氷空ゆめは考えていた。これは極

少数派。美子は「考えないようにしている。考えると頭ががおかし

くなる。だって私。必ず殺される」。遥は「あたしは時代の波に乗

り遅れてしまう。時代を見つめ、考えて考えて、答えが出そうにな

ったら、時代は先に進んでしまって、後戻り出来ないようになって

いる。きっとそうなる。だからあたしを見捨てないで。ゆめ。美子。

傍にいて。お願い」。遥はゆっくりだけど、こうと決めたら猪突猛

進。「傍にいて。お願い」と言いつつも独りで旅立った。                           


 高二の夏の初めに美子が「行こう」と言い、三人で美園から月寒

の河岸段丘を上った。下りの一方通行の坂の途中の左。狭い敷地に

『無名戦士の碑』が建てられていた。特高に虐殺された女性も居た。

彼女は反戦の輩として始末されていた。誰が建てたのか今も分から

ない。この時の体験が三人の、殺される、に繋がっている。わたし

たち三人はどの時代に生きていても戦争に反対する。


 戦さを組織する指導者は命を賭けなければならない。戦国を想い

起こすと至極当然。これが氷空ゆめの『三井三池』の最初の感想。

 木村に『三井三池闘争とは…』を問うたならば終わりが見えない

程の返答が待っているはず。それだけ日本の現代史における重要な

んだと思う。けれども入試には絶対出ない。


 笹山高さんはマジシャンだった。愛称は『ギリヤーク』。本人曰

く「ドサ廻りの芸人」。マジックの教室を開きお弟子さんも居る。

得意技は客が望むものを何でも出す。猛獣は無理みたい。Rugb

yの元スクラムハーフ。マジシャンには打ってつけのポジション。


 氷空ゆめは居間のソファーに身体を横たえた。

 頭の芯の熱を冷やそうとポリ袋を二枚重ねて氷を入れ頭のテッペ

ンに置いた。それを見た弟が「姉ちゃん。頭がお多福風邪なの」と                       

生意気を言う。ようやく七つを読み終えた。ただ読むだけなのにこ

んなに苦労するとは思いも寄らなかった。七人の侍人は、みんな、

時代の流れに重なり生きていた。それが彼らの個体史。だから読み

応えがあるんだ。何時も時代に向き合っている。七人の侍人の特徴

は、時代と向き合う、なんだ。でも彼らは選挙に行くのだろうか。

行かないような気がする。

 七つの作品に共通したテーマが在るように思えた。作品から伝わ

って来る波動が似ている。波動はわたしを包み込む。それもかなり

強い。何だろう。これらを汲み取らなければ苦労して読んでも読ん                           

だとは云えない。ひょっとしてインチキと偽者…⁉…。

 HPの最後に『ここをクリック』が在った。

 恐る恐るクリックした。新しいページが現れた。七人の侍人の作

品の続篇だった。一人がふたつの作品をアップしていた。


■角野匠 …『北加伊道と松浦武四郎』『福島原発事故』

■坂下猛 …『宮澤賢治記念館』『三島由紀夫の割腹』

■岸部実 …『オームが目指していたもの』『よど号と浅間山荘』

■石丸明 …『地上の楽園』『同時多発テロとイラク戦争』                       

■高田宗熊…『サブプライムローンの破綻』『統一通貨ユーロ』

■笹山高 …『冷戦の終結と五五年体制の崩壊』

      『RUGBY(日本対南アフリカ)』

■泉澤繁 …『ジョン・F・ケネディとキング牧師の暗殺』

      『一九四五年八月十六日の日本』


 氷空ゆめはモニターの前で愕然。開くのを止めた。今は七つでイ

ッパイ一杯。携帯にメールの着信音。遥からだった。

ーあたしも懸命に七人の侍人を読んでいます— 

 急いでパソコンをメールに切り替えた。

—読み返しても理解できない処が多い。あたしが分からない文字は

ゆめも美子も同じと思っている。辞書とパソコンを駆使して調べま

くり。調べると、そこにまた分からない文字が出てきてしまい、ま

た調べてメモ。それで進まない。これも二人と同じだから根気よく

向き合っている。根気とか持続はあたしの得意だから苦にならない

…と言うのはウソ。『三井三池の争議』では「スクラップ アンド 

ビルト」「権力とは正しい力」「向坂学校」。「歴史的必然」は『

宮本顕治』にも登場。そこには「プチブル」も。「民同」「東大卒

でなければ足軽大将にすらなれない」の七つ。

『三井三池の争議』は一九五九年から。五〇年代は日本が復興の足

掛かりを獲得して高度成長に向かう前段階。日本人は豊かさに飢え

ていた。眼に見えるほど暮らし向きが良くなってきた頃。ちゃぶ台

が消えつつあった。代わりにテーブルと椅子。洗濯機と冷蔵庫とテ

レビが普及し始める。革命とは、飢え、が条件なんだと思った。飢

えが歴史的必然をもたらすと理解した。理解したけれど、歴史的必

然は、そもそも存在するのか、悩んでいる。

 今は六〇年安保闘争を調べているんだ。

 日本の激動の時代。それは政治の季節。それらを通過して日本人

は高度成長を遂げた。豊かさに飢えた日本人の精神構造を捕まえて

みる。それが今に続いていると思っているから。捕まえたら報告す

るね。実はあと少しで捕まえられそうなんだ。エッヘン…‼…ー