マリアが十四時三六分の『やまびこ』で着く。乗っているのは三両目。
前夜、瀧上家は横断幕を作った。書の達人である静が、刷毛のような、床箒のような、
巨大な毛筆を用意。静は白の鉢巻き。着物には襷。もんぺで裾を纏め正座。
海彦は静から発せられる波動から、並大抵の集中ではないと、感じた。それは見たこと
も、接したこともない気合いだった。
…こんな婆ちゃんは初めてだ…
サラシの反物を裁断して、志乃がミシンで縫い合わせ、横断幕の布地を作った。布地の
四方を海彦・彩・海太郎・海之進で押さえ固定した。静は白足袋。筆にたっぷり墨を付け
ると静は躊躇することなく一気に書き上げた。『うえるかむ まりあ』。
こうして縦一M五〇。横三M五〇の横断幕が完成した。三人で持たないと撓んでしまう。
海彦は紙と割りばしで小旗を二つ作った。日の丸とスペイン国旗。二つには『Umih
iko』とサインを入れた。それを見た彩が「海彦。そんな小さな旗を作ってどうする気。
目立たないじゃないの。まったく何を考えているんだか」
「これでいいんだ。二つの旗の余白にはマリアにサインを書いてもらう。それでこの旗は
俺の宝物になる。日の丸はマリアへのお土産。スペインを俺の部屋に飾る」
海彦はマリアから送られてきた家族の集合写真を胸に忍ばせてホームに立っていた。
マリアの写真と実際を見比べようと思った。お爺さん・お婆さん・父さん・母さん・兄
と妹の中央にマリアが普段着姿でピースサインの笑顔で写っていた。
この写真を見た時に海彦は愕然とした。
どうしてマリアはこんなに美人なんだ。まるで妖精じゃないか。こんな美人は日本には
居ない。対面したらどきどき、どぎまぎ。紅くなって格好悪い。写真よりも綺麗だったど
うしよう。でも実物は写真より良くないはず…。
そう言い聞かせて海彦は平静を保っていた。
ひと言で表わすならエキゾチック。彫りの深さと肌の白は日本人には居ない。眼がパッ
チリしていて睫毛も長い。先がツンと上を向いた高すぎない鼻。耳元から顎までの線がシ
ャ—プ。日本人の中高の面長とは違う。明らかに西洋人の造り。それでも瞳と髪に日本人
の面影を残していた。二重の黒い瞳と黒髪。トップテールが良く似合っていた。
横断幕を発見したマリア。右手でキャリーバッグを引き小走り。左手を大きく振って満
面の笑み。薄手の白のダウン。黒のウールのショートパンツ。グレーのタイツの足が長い。
コンバースのバッシュー。キャリーバッグは水色。スペインカラーのスカーフが首元に。
海彦は近づいてくるマリアに二本の小旗を振った。気づいてくれたかは分からない。
マリアは少し上気していた。ほんのりと眼元に紅が浮かんでいる。髪がショートに変わ
っていた。白い肌に紅が差すと初々しい。これはマジでヤバイ。写真よりも美人だ。
海彦は狼狽。
「初めまして。マリアです。これからお世話になります。迷惑をかけると思いますが、ど
うか、宜しくお願いします」
マリアのお辞儀は両手を膝に置いた正しい礼だった。
「あれまぁ。上手な日本語だこと。いっぱい勉強したんだね」と静。
褒められたマリアは腰を少し落として「ありがとうございます」。
腰を落としても黒いリュックの背筋は伸びたまま。
海彦はマリアの仕草に見入っていた。
…何て可愛いんだ…
刈り上げた襟足がスッキリしていてシャープ。
ショートの方が良いかも…。
美人はテレビでたくさん観てきた。綺麗な人だなぁと思う。テレビに出るくらいだから
当たり前かとその都度思った。テレビの美人が仙台の女の娘を造っている。女子高生も女
子大生もOLもテレビを真似て闊歩している。マリアはテレビには居ないタイプ。まった
く違う。テレビはマリアの足元に平伏すべきだ。テレビも大したことない。テレビと違っ
て、マリアは美人なのに、美人を意識していない。どう私は綺麗でしょうと主張していな
い。あどけなさも自然だ。表情に作りが無い。仙台に着いた喜びを全身で表している。白
と黒の地味な出で立ちでもマリアの処だけに照明が当たっている。コリア・デル・リオは
セビリアの南に位置する田舎。何処が田舎の娘なんだ。垢抜けしてるじゃないか。スペイ
ンの十七歳はみんなこんな女の娘なのか。だったら恐ろしい。仙台の女の娘が野暮ったく
見える。仙台の女の娘は少し可愛いと男の子からチヤホヤされる。それが当たり前と思っ
ている娘も多い。チヤホヤされたいと何時も男子の眼を意識している。
海彦はそれが嫌だった。
マリアは天然。ヤバイを通り越してしまった。これは大変なことになる。
海太郎が一人ひとりを紹介した。
海彦は気絶する寸前。
海太郎から紹介されてもマリアに会釈するのが精一杯。
結局はひと言も喋れなかった。
七名は二台のタクシーに分乗して家に戻った。
海彦はマリアの乗ったタクシーを避けた。
避けて気絶を免れた。
家に戻ると海太郎と志乃が、マリアの部屋を何処にするか、思案した。準備不足が露呈。
「座敷は広過ぎるし寒い。仏間には先代の写真が何枚も額に入っていて、異教徒のマリア
にとって不気味だろう。それに辛気くさい。茶室は狭い」
それを聞いていた彩が「私の部屋はダメ。私は最初からそのつもり」。
マリアは海之進と庭で雀の餌やり。
「きのう作った」と彩が海太郎にスケジュールを差し示した。
二七日 夜は友好協会のウェルカムパーティー
二八日 午前と午後は私と買い物。夜は我が家でのマリアの歓迎会
二九日 午前は嘉蔵のお墓参り。午後は親戚の見送り。その後は皆でマリアのお土産
の買い物と食事
三〇日 大掃除。餅つき。おせちの買い出し。
大晦日 爺ちゃんの蕎麦打ち。おせち作り。
元 旦 『豊栄』。初詣。爺ちゃんのお茶会
二 日 婆ちゃんの香の会。百人一首。初売り
三 日 マリアの仙台巡り
四 日 母さんと私とマリアで買い物
五 日 マリアの帰国
「大体、こんなところだろうな。それにしても買い物が多いな。きっちりと予定を組まれ
るとマリアの息が詰まってしまう。マリアの希望も聞かなくては」と海太郎。
マリアの希望は五つだった。買い物は含まれていなかった。
①嘉蔵のお墓参り
②大震災の追悼
③四百年前の仙台と今
④日本のお正月
⑤海彦の学校訪問
海彦は海太郎に呼ばれマリアの希望を知らされた。
「学校は冬休みで無理。四日は軽音楽部の音出しだから部長に頼めば何とかなる。仙台案
内は急がないと二九日からは何処も閉館。博物館もサンファン館も三日までクローズ。震
災の追悼は難しい。父さんも考えて」
「俺も難しいと思っていた。色々と調べてくれないか。明日の夜はマリアの歓迎会。親戚
が集まる。朝から海彦が仙台を案内して夕方までに戻ってくれ。頼むぞ」
「あれっ。私との買い物は無しなんだ」と彩は不服そう。
友好協会のウェルカムパーティが始まった。
「わたしはマリア・ロドリゲス・ハポンです。来年の四月には十八歳になります。コリア
・デル・リオに住んでいます。一〇歳の時から日本に憧れました。嘉蔵は四百年前にどん
な処で暮らしていたのだろう。仙台はどんな街なんだろう。男伊達とはどんなサムライな
んだろう。想いは募るばかりでした。わたしは友好協会にお手紙を書きました。会長さん
の伊達さんから返信が届き、わたしを仙台に招いてくれると書かれていました。それから
は夢見心地の毎日。今、わたしが此処に立っているのは夢ではないかと、つい思ってしま
います。わたしの街で嘉蔵は尊敬されています。わたしはハポンに矜りを持っています。
それは嘉蔵への尊敬と繋がっています。コリア・デル・リオを通る用水路は『ヨシゾウホ
リ』と呼ばれています。『タンボ』『ナエドコ』『タウエ』『クサトリ』『イネカリ』『
ボウガケ』はスペイン語です。私はこれから一〇日の間、瀧上海太郎さんのお宅にホーム
ステイさせて頂きます。わたしの夢を叶えてくれた皆さんに感謝します」
海太郎も海之進も志乃も静も出そうになる言葉を呑み込んだ。
何と云う挨拶なんだ。これが十七歳の娘の挨拶なのか。
マリアが瀧上家のテーブルに戻って来た。テーブルには御馳走が処狭しと並んでいる。
「マリア。立派な挨拶じゃった」と海之進が言った。
同席している瀧上家を代弁している響きだった
「ありがとうございます。実は飛行機の中で考えて何度も書き直しました。わたしはコリ
ア・デル・リオのハポンの代表でもあるし嘉蔵の名前を汚してはいけないと」
瀧上家の四人は『ヨシゾウホリ』を初めて知った。『タンボ』『ナエドコ』『タウエ』
『クサトリ』『イネカリ』『ボウガケ』がスペイン語に定着しているのも初耳だった。
四人はマリアを囲んで、嘉蔵の遠い昔を、それぞれが想った。
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