対談企画【気仙沼の子育て環境について】と題して、同じく気仙沼市内で子育て支援に取り組み、クラウドファンディングの期日も一緒のF.C.U.Pオーナー堀内様と弊法人代表の田中が対談を行いました!対談を通して子育ての理想や現実、直面している課題感や今後についてお話いただきましたので、ぜひお楽しみください!!【ゲスト紹介】【田中 惇敏】(29)認定NPO法人CloudJAPAN:代表【堀内 真介】(39)F.C.U.P:オーナー、株式会社介援隊:代表◯田中惇敏(以下、A)◯堀内真介(以下、F)==============================F:あつくん今日はよろしくね!A:こちらこそよろしくお願いします!A:まずはクラウドファンディング、100%おめでとうございます!F:ありがとうございます!A:今セカンドゴール狙ってらっしゃるということで、ゴールはいくらですか?F:250万円で、あと70万円くらいですかね。A:(収録当日は)うちはまだまだクリアしていない状態なので、しっかり最後まで頑張りたいなと思っています!F:お互いに頑張りましょう!A:今回たまたまですけど、クラファンの最終日が3月31日と同じ日いうことで、本当に最後の最後まで一緒に走り抜けていく感じだと思うんですけど、今日こうやってお時間いただいたのも、この気仙沼の子育て環境を改善するにあたって、一つの企業や一つの団体がやるものではないのかなと思っています。それがこれからの気仙沼の子育てのしやすさという意味では、色んな所がある色んな活動があることが多様性に繋がって、例えば体育館で遊びたいときはここ(F.C.U.P)に来れるし、屋内で子どもと一緒にゆっくりご飯食べたいときはHATAに行くみたいな感じになるのかなと思っています。A:今日ですね、気仙沼の子育てをテーマにすると少し広くなるので、お互いの立場から今どういう風な気仙沼の子育て環境で、どういう風にしていったら良いかを喋れたら良いなと思っています【子育てを取り巻く環境】A:堀内さんが所属しているJC(気仙沼青年会議所)さんっていうその枠組みも、やっぱりみんなで気仙沼を盛り上げていこう!じゃないですか。子育ての文脈でもそういったことがみんなで出来ればなと思ったんですよね。F:もちろんJCにもやっぱり子育て世代は多々いるので、もちろんそういう話も今までもしたことあるし、ただ新しいところでの挑戦となるとコロナ禍では事業の継続が最重要課題となってしまうよね。だからこそ俺みたいな馬鹿野郎みたいなやつがしっかりこう作ってあげないと子どもが遊ぶ場所とか過ごす場所がないね. 社会資源増えないよね、だから今頑張ってる感じ。A:いや本当にそうですよね。なかなか子育ての分野ってお金稼げるような活動じゃないので、寄付ばっかりで回すのも変な話じゃないですか。F:今はねなおかつコロナ禍の中でね、ただでさえ商売になり得ないことをやってるけれども、そこにコロナが蔓延しちゃって、なかなか苦しい状況であるのは、多分お互いにそうだなと思います。【コロナが明けた後の環境について】A:とはいえ子供たちが生まれますもんね待ったなしで。それこそ最近やっぱり自分の周りにもいっぱい生まれてますけど、もうずっと生まれて2年間コロナ禍でマスクしか知らないし、この状況しか知らないって形がやっぱり生まれてきていて、今後は少し落ち着いてくるのかなと思うんですね。F:クラウドファンディングのお話した時は、コロナが明けたときに我慢してたであろう子どもたちが目一杯遊んでいいんだよっていう環境を整えたいっていうのがあって。なので遊具を増やしたいのね、お客さん来てないのに何で?って言われるかもしれないけど、それはコロナが明けた後のところを見ての遊具ってことでね。A:やっぱりそうですね。そのポストコロナみたいな文脈でいくとこれから気仙沼の子育てとかってコロナが落ち着いた後、どういうふうになっていったらいいのかなみたいなの、あったりしますか。F:そうだね、今までずっと足りない足りないばっかりで何とか増やさなくちゃいけないという思いだけだったけど、子供が遊ぶ、どういう遊び方するかっていうところの、もうちょっと深掘りしたクオリティを上げてあげていかなくちゃ多分行けないかなとは思っていて。A:まず一個一個の質を上げていくっていうのは本当にそうだなと思っていて、今割と気仙沼市内子どもと一緒に行ける場所って増えてきたと思うんですけど、一個一個が果たしてその1日丸々潰せるかっていうとまだまだだと思うんですよね。十分にもう朝から夕方まで遊び尽くして、帰って寝るだけみたいな場所ができると、だいぶ良くなると思いますよね。F:うちのお客さんによく言われるのは「やっぱり体動かす施設だからこそ、ここで夕飯食べて帰ると疲れて寝てくれるから、こういうとこ必要だよね」っていうのはいつも言われていますね。F:とはいえ気仙沼がその子育てしやすい街だって最近こう言われるようになってるのは、まあね、正直、行政の力もあるかもしれないけど踏ん張っている民間の皆さんのおかげや移住してくれた新しい視点を持った方々の力だったりするので、だから俺はもっと宣伝したいし、今ある施設をもっとみんなに知ってもらいたいし、もっと利用してもらいたいなと思って。本当にあの、妻が入院して自分で育てたときに、好きなぐらい寝れないしもちろんお風呂も好きな時間に入れないし、好きなテレビ見れないし、本も読めないし映画も見れない、お母さんたちって大変だなって。だからマタニティブルーみたいなね結局産後うつになる人の気持ちはすごい俺わかったんだよね。そのときに(田中が代表を勤める一時託児&お母さんの休憩所を)知っていたら俺は使ってたね。ただ、気仙沼の人にこういう場所使って良いんだよっていうのが、雰囲気として広がってほしい。【子育ての社会化】A:なんかやっぱり子育ての社会化と一般的に言われるような文脈だと思うんですけど、この子育てって呼べるものがよやっぱりママの仕事だと思われていて、パパが育休取りにくいとかそういう空気がやっぱりあるなと思っていて。とはいえ気仙沼も子どもがただでさえ減っていっている中で引き続きママの仕事だよって言ってたらいつまでもこの状況は変わらないと思うんですよね。この子育ての問題ってママとかパパとか、子育て施設の問題ではなくみんなで考えていくものなんだろうなと思っています。F:本当にその包括的に見なくちゃいけないんだろうなと思いながらも、俺はあつくんみたいに頭が切れるわけじゃないから、自分が思いついた親としてこういうのあってほしいなとかっていうところに挑戦し続けていくしかもう思いつかなくて。でも挑戦したらコロナで、お客さんもちろん減るし、正直「あれ、俺頑張って必要だと思って作ったけど必要じゃなかったのかな」とかって悩むときもやっぱりあったし。とはいえ日曜日の昼間って言ったら結構子どもたち来てくれるし、ちょっと苦しい状況だけど乗り越えなくちゃいけないかなあとは思ってるんだよね。A:そうですよね、うちもコロナ前から絵本カフェっていう形をやっていたんですが、(コロナが流行して)みんなどこに行ったんだろうって考えるとやっぱりみんな家にこもるしかなくって。出てこれないことを考えると絶対にニーズはここもあるだろうし、今後絶対に必要な場所なのもわかりながら、本当にその子たちが家で悶々としていることを考えると、絶対自分たちが活動を続けていかなきゃいけないなと思います。F:やめられないよね、そしてレベルアップしておかなくちゃっていう思いはあるよねやっぱり。A:こういう一個一個の民間の活動が気仙沼全体の子育ての幸せみたいなものを作っていくし、一人ひとりが今の状況に満足せずにどんどんいいものを作り続けていくっていうのは、ビジネスもこういった社会活動も一緒なのかなと思います。F:今までは個々だったけど、これが皆でぐっと力を合わせることができたらもっといいものになるような気はするんだよね。A:今自分は「けせんぬま子育てコレクティブインパクトプラットフォーム”コソダテノミカタ”」っていう活動の中で、行政も入れて12団体なんですけどみんなで1年間活動していく中で、生まれた時に生誕おめでとうで気仙沼市がお金を配っているんですけど、そこに民間と行政の活動を載せた冊子みたいなものを入れてもらえるようになりました。民間だけだと生まれた子ども全員に届けるのは難しいし、官側だけだと情報の平等性の担保が難しいので、官民でやれるところっていうのも徐々に見えてきたかなと。我々はコレクティブインパクトって言ってますけど、なんかみんな一個一個じゃ絶対出せないようなものっていうのができるかなと。F:俺が思ってるのがもう形としてやってるんだね。生まれたときにそういう情報ね、自分が行ってていい場所の情報があったら、全然抱えるストレスが違うんじゃないかなあ。A:そうやって子育て楽しみだなって思える人たちが増えるためにも情報が届いていて、周りの人たちが子育てってママやパパだけのものじゃないんだよって思うことが大事だなって思いますね。F:子どもが生まれるたびに思った以上の責任感、ストレスに押しつぶされそうになりながらも俺やってきたから、架け橋がそういうことをやってくれてるなら、だからこそ遊ぶところは俺がやんなくちゃっていう相乗効果が生まれてるとは思う。出生率は下がってるかもしれないけど、じゃあ無くていいのかって言われたらそうではないよね。【施設ごとの役割分担】F:俺がここ(F.C.U.P)の外に「子どもが嫌いな人はあの入店をお断りします」って書いてあるのは、自分が子育てして飲食店に行った時に子どもに静かにしろって言ってもできなくて、騒いじゃうと嫌な顔する人いるしそれが子育てしづらいところだったりしたし。どこのお店に行ってもやっぱりキッズスペースはあれども、じゃそこで大きな声出してたりすると、親としては全然休まれないっていうのを、なんとかこう休める場所作りたいなっていうのがスタートだし、みんながみんな気付いたことを形としてなんか社会資源作っていけたらもっと良いんだよなと思う。A:子どもたちの年齢にもよると思うんですけど、今HATAに来てる子達って0〜2歳なんでそもそも泣くことしかないみたいな。そういう子達はうちに来てもらって、ちょっと大きくなって走り回りたい子達がここに来るみたいなキャッチボールが出来るんだろうなと思っていて。F:やっぱり新しいのを創出するのもそうだけどやっぱ向き不向きもあるし、じゃあ俺があつくんがやってるものを継承してやったらどうなる。きっと今みたいな綺麗なものにはなり得ないし。あつくんが出来るところと堀内が出来るものは別だったりする。けど、それが別々に行動してていいかっていうのはまた違うというか。手を組んでみんなで子育てしやすい町っていう子どもが遊べる楽しい町っていうのはやっぱ作っていきたいなと。A:今、堀内さんの話を聞いて初めて思ったことなんですけど、こうしてここら辺が手を繋ぐことによって今度は小学生を、中学生を、高校生を支援している人達ってなって、そうやってちょっとずつ子育ての社会化って始まるのかなとか。自分たちの活動がむしろ原始の活動なのかなと、今初めて気付きましたね。【子どもを取り巻く環境のミライ】F:俺もね子どもの施設はここだけで終わろうとは実は思っていなくて。やっぱり子どもが遊べる施設のキャパシティを広げたい。今も十分広いですけど、もっともっと自由な空間って言うか走り回れる空間を創出するためにキャパシティを広げたい。あとは実はこれ関係ないかもしれないけど、実は俺はさっきあつくんの言ったその小学校、中学校、高校って所にも少し興味って言うか問題意識はあって。なにかの理由があって不登校や人嫌いの子にも興味があるというか、なので5年以内には何かそういったところにもコミットしていける何かを創出するつもりでいる。A:気仙沼市内で外も含めて子どもたちが遊び回れるところって少ないからできたらいいのかなとは思いますね。自分たちもですけど行政も巻き込みながら出来たらいいのかな。F:官民っていうのはすごい大事だなと思っていて、民間だけじゃダメなところもあるし、やっぱり両方でやっていかないとダメだよね。A:行政もだいぶ変わってくれて同じ方向向いて頑張ってくれるようになったし、当時の移住者って若者が多くて子どももいなかったですけど、今後みんなも子どもを持つってなると自分たちの関心もそこに回ってきました。F:本当にね、新しい風だったね。今までは遊ぶ場所がないって言うといっぱいあるべと言われていた。山も海も川もあるじゃん、っていうような閉鎖的な町だった。今回官民共同のプラットフォームに呼ばれた時にも、今までそういうものがなくて俺みたいなのにも声がかかるようになったんだな、方向が変わって来たんだなって感じたし、それも移住して頑張ってくれた人達のおかげだと思ってるよ。A:自分たちはずっとここで子育てしていきたいだけなんですけどね(笑)F:よろしくお願いします、人口が足りません(笑)F:人口少ないよね。そりゃ今の若い子たちはお父さんお母さんが自分達を育てながら仕事大変だ子育て大変だっていうの見てたら、子育てに魅力を感じないんだね。そして自分が親の世代になると自分の時間がない、気仙沼何もない、面白くない遊ぶところない子ども連れて行くとこない、という不満が出ちゃったし。出るわ出るでしょうがないからどう改善するかっていうのがまあ俺のやってきたことであって。なんにせよ、じゃあおれも子育てや子どものためにやろう!って思ったのはその風潮、風向きが変わったから乗っかったってところもあるしね。あとは大人が遊ぶ場所もないしね(笑)A:そうなんですよね。子育て支援って子どもの話っぽく聞こえちゃいますけど、実は子育て世代に対しての支援でもあるなと思っていて。F:やっぱり子どもはね親が楽しんでれば楽しいんだし、親世代がしっかり楽しめる町じゃなくちゃいけないしね。【12年目の気仙沼】A:震災から10年が経ってある程度の支援が落ち着いたこのタイミングの次の気仙沼の広がりとして、各被災自治体も色んな活動を探っていますけど、気仙沼という地域はむしろもう少し子育てに手を入れて頑張るんだよというテーマをしっかり立てたいですね。F:物は十分出来たから、あとはそれをどう扱っていくかだしね。F:俺は自分が子どもの頃、当時バブルだったんだよね。いろんなお店があってお金持ちがいて、周辺の町も人をわくわくさせるようなところだった。子どもが遊ぶ場所がたくさんあって、子どもの頃のわくわくが忘れられなくって。今の子どもって想像するとなにでわくわくするんだろうなぁ、あの頃のおれのわくわくっていまの子どもにはないよな。なんとか今の大人がそれ作ってあげないと、あの頃と景気は違うけど作ってあげないとああいう思いって子どもたち出来ないんじゃないかって。わざわざ仙台に行かきゃとか、そういうのが諦めきれないんだよね。ああいうのを気仙沼に増やしてあげたい。A:震災によって公園とか幼稚園とかが流されてしまいましたけど、無くなったからこそ新しくつくれるというか。F.C.U.PもうちのHATAも、無くなったからこそ出来ることはむしろチャンスだと捉えて頑張っていきたいですね。F:いつまでもね津波で辛い思いした、人がいっぱい亡くなってしまったとか、物がなくなっちまったって、いつまでも悲しみでマイナスな気持ちばっかりでも良くなくて。あれがあったからって転換していく時期っていうか。あの震災があったからこそ俺らは今からこうなれるんだっていう少し創造的なというかプラスの感情にシフトチェンジしていく時期にもうなっている。A:堀内さんも震災のときは大変でしたよね。F:あの時はね本当に気仙沼市終わったなと思ったね。今のあつ君の年齢で今あるこの建物とか全部一瞬でね、半日で無くなった時の絶望感やばくて。ただね、あれがあったからこそ俺は立ち上がれたね。俺ら29歳で気仙沼終わったな、いやでもやり直しだよね俺ら頑張ろうねって言って立ち上がったのが今の会社だから。F:でもねその熱も徐々に消えてきてたから少し熱量持たせて、今回のクラウドファンディングでスイッチが入ったね。久々に「まだ俺やんなくちゃ」って、こういう世代におじさん頑張ってるのも見せなくちゃいけないし。想いを伝えて継承してってもらわないとこういう人もいなくなっちゃうしね(笑)A:そういう話でいくと、気仙沼に来たのが19歳で、10年が経って当時の堀内さんと同じ年齢になりました。そうするとこれからの10年どうしようっていうのは自分たちとしては堀内さんたちのようになりたいし、この地域で残ってやっていきたいなと強く思っています。F:ただね1人が全部は出来ないので、各々やれる部分をみんなで目標持って上の方目指して言ってればどんどん良くなるだろうし、突き詰めていけば足りないことにもっと気付ける。行政と話ししながらやろうっていう今もうすでにそういうスイッチに入ってやってるけども、もっともっといい町になり得るんだろうなとは思っていて。A:堀内さんの背中を見てると我々の10年後もわくわくできるなと思って見てました。F:いやいや、まだまだ頑張りましょう(笑)【子どもに誇れる町気仙沼を目指して】F:やっぱりね、大人が遊んでいるところをしっかり子どもたちに見せなきゃならないと思う。A:ほんとうにそれは大事ですよね。F:だからわざとこの中心地に、大人がスポーツやってるのが見える場所を持って来たかったっていうのもあるし、窓は閉められるんだけどわざとずっと開けっ放しでバスケやったりバドミントンやってもらってるのは、やっぱ大人楽しそうだな、大人になるのって楽しいんだなっていう思いを子ども達に持ってもらわないと。A:こうやって楽しんでるのを見て残りたいなって思うかもしれませんもんね。F:若い子たちが仙台とか東京に憧れるし行ってみたいと思って行くのはいいけど、でもやっぱ地元いいねって言って帰ってこれるようにしなくちゃいけないし、帰ってきた時に遊べる場所食べれる場所しっかりなくちゃいけないので、もうちょっと俺も頑張らなくちゃいけないよなーって。A:自分たちIターンとしても、気仙沼が子育てしやすくなると今度子どもを連れてきやすくなるんですよね。出生率と呼ばれるものが低くても、子どもたちが増える町って作れると思っていて。そういう風に人口を増やすことも出来ると思うので、UIターンの戦略としても自分たちは子育てを起点に、色んな活動に広げていくのが大事だなと思っています。F:本当にあつくんと俺は多分同じ方向を向いてるけど手法が違うけど、目指すところは一緒っていうかね。だからこれからも、自分を信じて頑張っていきたいよね。A:そうですね、今日のこの対話をもとに今後も一緒に出来ることが増えると思うので、ご一緒出来たら嬉しいです!F:いやぁもっとね、もっと知らしめたいなおれ。気仙沼ってもっと良いはずなんだけどなぁ。A::ほんとにそうだと思います!<お二人が取り組んでいるクラウドファンディングはこちら!>①守れ!子どもの居場所とママの雇用https://camp-fire.jp/projects/view/418267②日本初のバスケコート併設のカフェ&Barを子どもたちのためにも残したい!https://camp-fire.jp/projects/view/567694<それぞれの活動団体紹介>◯けせんぬま子育てコレクティブインパクトプラットフォーム”コソダテノミカタ”https://www.facebook.com/kosodate.no.mikata.kesennuma◯F.C.U.Phttps://www.facebook.com/FCUP-112907306841970◯株式会社介援隊https://www.kaientaikoushiki.com/◯家カフェHATAhttps://www.facebook.com/iecafeHATA◯子育てシェアスペースOmusubihttps://おむすび.com/◯ゲストハウス架け橋https://www.facebook.com/kesennumaguesthousekakehashihttps://www.kakehashi0311.com/==============================
気仙沼 の付いた活動報告
2月からスタートしたクラウドファンディングも残すところ10日となりました。私がこのプロジェクトを立ち上げたのは震災の被害が大きかったこの場所で今見ているこの子ども達の笑顔を見ているときに「子ども食堂が無くなったらこの子ども達はどこを居場所にすることができるのだろう」「この笑顔を見続けたい!!」と思ったのがきっかけでした。震災で復興していく街の中に公園などは出来ていく中、空き家が目立つようになってきた気仙沼。私が育った鹿折地区も空き家が目立ち人口も年々減少している。子どもの人口ももちろん減少しているなかで、自分の子ども達が若い移住者と触れ合っている姿を見た時、小学生が20代、30代の人たちと触れ合う機会はあるのだろうかと思い始めました。自分の身近な人以外と関わる大事さがあるはずだと思ったのです。地域コミュニティーが震災のために崩れ、今いろんなところで再生の動きがあります。そんな中子ども達からこんな声をいただきました。「どこに誰が住んでいるか分からないから何かあっても話しかけられない」子ども達の悲しい声が聞こえた気がします。街は復興しているのに子ども達の気持ちはどんどん離れて行っています。今子ども食堂に来ている子ども達は震災の時に生まれた時の子ども達です。せっかくこの場所に来てこんなに笑顔になり、大きな声で笑っている姿を失いたくありません。「みんなで食べるとおいしい」「こうやって遊べるって楽しいよね」この言葉が私たちを動かしています。この子ども食堂で子ども達に「おかえり!」「いってらっしゃい」を元気に迎えたいです。現在85名の個人・法人様にご支援いただき、その皆様の思いも背負っていることはとても嬉しく励みになっています。皆様の思いに応えるべくしっかりと運営していきます。このプロジェクトを実現して多くの方々に喜んでいただける場所にしていくことが応援者・支援者様できる恩返しだと思っています。残り10日間、皆様のご支援・シェアどうぞよろしくお願い致します!!
半沢:本日は三人目のスタッフ・アンちゃんの紹介をします。アンちゃんはベラルーシ共和国出身で日本に来て約20年になります。東京から茨城、結婚をして出産。5年前から気仙沼の旦那さんのご実家に入りました。現在6歳のママをしています。アンちゃん、自己紹介と働こうと思ったきっかけを教えてください。アンナ:私はベラルーシ共和国出身で日本の文化に興味があり日本へ来ました。そして今気仙沼にいて子育てをしながら働いています。最初は「絵本カフェ架け橋」のスタッフ募集で働こうと思いました。家だけじゃなくいろいろな人と出会ってみたかったからです。半沢:気仙沼に来たばっかりの時はどうだった?アンナ:大変だった。全然何もわからないで気仙沼に来て、だってまずは日本人じゃない。日本語分かるけどあんまり読めない。困ってたけど、どこからみんな情報もらえか分からなくて情報不足なのが不安だった。その場行けば教えてもらえると思うけど、チラシ見てもよくわからなかった。私には同級生もない、子どもがいる親戚もいない、誰もいない友達もいない。だからどこでママ友になるとか誰かのこどもと一緒に遊ぶとかもなかったの。幼稚園の未就園児の集まり行くまで公園で遊んだりとかあんまりどこにも行かなかった。半沢:気仙沼に来た時子どもは一歳かぁ…一番子育てについて悩んだりする時期だよね。大変だったね…アンナ:旦那さんお仕事で朝からいない、どっか外で公園で遊んだりしても挨拶で終わり。電話交換とかできないから。市のイベントとか行っただけど友達は難しかったし、連絡先も交換一人もしてない。市からもらえる冊子ももらったけど私にはわからない。勇気を出して行ったときに同じ年で来ているママ友さんうらやましいと思った。半沢:そっか…そんな中でよく絵本カフェに来てくれたね…ありがとう!!アンナ:絵本カフェに、入る前は全然架け橋の事を知らなかった。自分の生き甲斐、自分のやりたいことを見つけたいと思った。半沢:それがきっかけだったんだね。アンナ:何でもいいから言ってみて実現する!イベントやりたいとか!!自分の考えを言える!楽しい!!!半沢:家カフェ『HATA』はアンちゃんの夢のお店だったもんね。アンちゃんの作った料理は本当においしくて、来てくれたお客さんが笑顔になったり、ベラルーシに興味を持ってくれたり嬉しいね。今こうして開店出来てどうかな?アンナ:HATAは私にとって、もう1つの家族。 半沢:それは嬉しい!!家族がいっぱいなのは心強いよね。お店のボルシチやチキンに使っているビーツとかスパイスはアンちゃんが育てたり、ブレンドしたりこだわっているからすごい評判がいいよね!アンナ:ベラルーシの家庭料理の味をぜひ皆さんに食べてほしいです。半沢:そうだよね!!ぜひ皆さんお越しください!!アンちゃんは日本語がとっても上手で元気いっぱいで何事にも前向きでバイタリティーたっぷり!本当一緒に働けて幸せだよ。アンナ:日本語がまだ覚えることが沢山、敬語だったり、色々難しいけど頑張る。気仙沼で出来る事はなにか、ダンス、料理、子どもと遊んだり、それを生かせるHATAなのでよろしくお願いします。家カフェ『HATA』の名前はアンちゃんが付けました。一つ屋根の下の『家』、そしてベラルーシ語で家は『HATA』。気仙沼のお祝い事とと言えば大漁旗!いろいろな思いが詰まっています。日本では数少ないベラルーシ料理のお店。愛情たっぷり込めて作っています。次のスタッフ紹介はみゆきちゃんです。