はじめ
私はのろまでまぬけなものだから、2年もかかってしまった。
2015年の秋までさかのぼる。
障がい児向けの就労支援NPOで、息子が受けさせていただく訓練の様子を見学したことがはじまりだった。
彼は、訓練の教材であるミサンガを編んでいた。
彼がどこかで職につけるように。
その時、パニックにならないように。
その時、投げ出さないように。
私と妻が死んだ後、一日でも食えていけるように。
一日でも長く、路上で暮らさず済むように。
そのために、自宅以外の場所で、家族以外の人の指示に従い、定められた手順で、継続的に作業を行うための訓練だ。
就労支援NPOには、障がいの内容も程度も異なる子供たちが集まっている。
その全員が参加できる訓練として、ミサンガ編みは非常に良い教材だった。
手順がさほど多いわけではない。
最初から、最後まで手助けなく作業が行える上に、作ったモノが商品の形で残るので、達成感もあるだろう。
ただ、最近、ミサンガを付けている人を、私はあまり見かけない。
あれは最後にどうするのかを聞いてみると、意外なことに、近所の中華料理屋が買ってくれるのだと言う。
はて、中華料理屋さんはミサンガをどうするのかしらんと思って聞くと、どうも、ご自由にお持ちくださいと書いて店頭に置いておられるらしい。
彼ら自身が中華料理屋さんまで商品を運び、代金を受け取って来るとのことだ。
多くの人が、彼らを誉め、励まし、そしてその夜には忘れて行く。
そんな中で、継続的な訓練を考え、仕事の形に仕上げ、さらにそこに協力してくれる方々がおられる。
素晴らしいことだ。
ありがたいことだ。
テキストで表す方法がわからぬ程に、有り難いことだ。
家族に発達障がい者を持つ者として、それが、どれほどの覚悟と苦労と努力に拠っているかを身に染みて存じ上げているつもりだ。
だから、あの時の己の感情は、黒くて醜くくて汚くて唾棄すべきものだという自覚もできているつもりだ。
あろうことか、恥ずべきことに、情けないことに、訓練中の彼を見て、私は悔しさを覚えたのだ。
機械ができる作業をし、欲しがる人のないモノを作る息子を見て、私は悔しいと思ったのだ。
昔、地域の祭りで、障がい児の工作を並べ、障がい児が客引きをし、その工作が売れていくところを見た。
あれと同じだ。
私を蔑め。
私は、ミサンガの支援を「お恵み」だと感じるようなクズなのだ。
支援は欲しいがお恵みは嫌とは全くお笑い草だ。そもそも、ならばどうして欲しいと言うのだ。支援して欲しい私がいて、全力で支援をしてくれるNPOがおられて、息子はそこに充分になじんでいる。その上、さらに、いったい私はどのツラ下げて、何をどうしろと言っているのだ?
私達の世界は、どんなものでも、誰かが作り、誰かにちゃんと欲しがってもらえたモノでできている。
息子が作ったモノが、知的障がい者が作ったかどうかと関係なく誰かに欲しがられたら。
それは、息子が、慈愛でも憐憫でも同情でもお恵みでもなく、世界の形に加わることになる。
私は息子に、息子が作ったモノが、健常者の生産した製品と肩を並べ、まるで普通に販売されている様子を見せたいと思った。
息子と一緒に、店頭で、あれを見ろ、お前が作ったモノが売られているぞと言いたいと思った。
叶うことならば、それが欲しがられ、お金と引き換えても良いとまで思われた瞬間を、息子と共に見たいと思った。
自分が何の訓練をしているのか、その意味を息子に見せたいと思った。
そうか、私は、あのミサンガと同様に、訓練の役に立ち、なおかつ、誰が作ったかに関係なく売り物になるモノが欲しいのだと思った。