2017/09/08 05:23

小学校段階におけるプログラミング教育の在り方について(議論の取りまとめ)」には、どのような有識者が参加していたのだろう?

もし、有識者会議からの返答を文科省が書き換えていないとすると、実は単純に傾向を見ることができる箇所がある。

| 言語能力を構成する「テクスト(情報)を理解するための力」や
| 「文章や発話により表現するための力」の要素を専門的に整理した上で、
| 国語教育等において、語彙を豊かにすること、情報と情報の関係性を論理的に
| 捉えるなど情報を多角的・多面的に精査し、構造化する力などが、
| 発達の段階に即して系統的に育成されるよう、小・中・高等学校を見通して
| 教育内容の充実を図ることが検討されている。プログラミング教育を含む全ての
| 教育の前提として、こうした言語能力の育成に向けた国語教育等の改善・充実を
| 図っていくことが不可欠である。

問題は、この「テクスト」という語彙だ。この箇所で主に言及しているのは言語能力であるから、そうなるのも自然とも言えるが、こういう箇所において「テキスト」という言葉を使わず、「テクスト」という言葉を使い、しかもこのように使うのは、(一部の)文系人だ。ただし、哲学系や言語学系においては、このような箇所において「テキスト」という言葉を使わずに、「テクスト」という言葉を使う人は、おそらく多くはない。というのも、フランス語の「テクスト (text, textile)」という言葉は、その分野においては明確に定義された特定の意味を持つ。そして、それはここで使うには妥当とは言いにくいものだからだ。なにより、わざわざ「テクスト」という言葉を使う理由が存在しない。

では、どういう人が「テクスト」という言葉をこのような使い方をするのか。概ね語学系の人だ。上では「哲学系や言語学系」と書いたが、言語学系と語学系はまったく別のものであることに注意して欲しい。

そこから推測できるのは、教育関係の、とくに語学関係の人がいたということであり、情報系や哲学系、言語学系の人がいたとしても、主導権は持っていなかったということだ。

さらに:
| [8]順次、分岐、反復といったプログラムの構造を支える要素についても

という箇所も問題になる。「順次、分岐、反復」はフォン・ノイマン型計算機の基本的な制御方法である。正確にはダイクストラやヴィルトによる「構造化プログラミング」による用語だ。この3つの要素は、数回現れている。

わかりやすい問題は、「分岐」という言葉だ。ここで「低学年児童のためのプログラム教育教材の作成とそのための実践:第一版 (2nd)」の活動報告「sedで足し算(超簡略版)」から、これに関連した部分のみ引用しよう:
| :loop
| /^I+ +I+/ {
|  s/I +I/II /
|  p
|  bloop
| }

問題となるのは太字にした「bloop」の部分だ。これは、「branch to label "loop"」と読む。単純に言えば、この「b」という命令は「branch」、つまり「分岐」を略したものだ。分岐命令ではあるが、この部分の意味は「反復 (ループ)」であることに注意して欲しい。

情報系の人がいたとしたら、おそらく「分岐」という言葉の使用にはもう少し注意深いものになるだろうし、さらに3つの言葉にはなんらかの条件がついての言葉となるだろう。すくなくとも "[8]" において単に「プログラムの構造を支える要素」とは書かないだろう。「構造化プログラミング」を多少なりとも意識し、最低でも「プログラミングの構造化を支える要素」のようなものにはなると想像できる。

このことから、情報系の人はいなかったか、すくなくとも主導権を持ってはいなかったと推測できる。つまり、プログラミング、あるいは情報工学ないし情報科学の専門家は、たとえ参加していたとしても、意見をあまり述べなかったか、あるいは意見を述べたものの無視される結果になったと推測できる。

おそらく、より妥当と思われる推測は、ここにおける有識者とは教育関係の有識者に占められていたという可能性だ。

もし、その推測がすくなくとも大外れでなかった場合、「小学校段階におけるプログラミング教育の在り方について(議論の取りまとめ)」は、情報工学に限らず、哲学、言語学という「専門家抜きででっち上げられた報告」ということになる。

これはあくまで推測だ。だが、報告書全体の危うさも考えると、おそらくは大外れではないだろう。だからこそ、保護者や教諭の方々は、面倒と思わずにコンピュータ・サイエンスを勉強して欲しいと思う。kuzu/NULLでは、本企画のリターンとは別に、その要望に応える準備がある。