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低学年児童のためのプログラム教育教材の作成とそのための実践:第一版 (3rd)

プログラミングという概念は、手続きを書くことと同義ではありません。 本企画では、主に低学年児童向けにプログラムそのものの概念の把握から、プログラミングの考え方の多様性とデータ構造の重要さを理解できるような講習を行ない、かつ教材および資料の作成を目指します。

現在の支援総額

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0%

目標金額は1,950,000円

支援者数

0

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2017/08/31に募集を開始し、 2017/09/28に募集を終了しました

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プログラミングという概念は、手続きを書くことと同義ではありません。 本企画では、主に低学年児童向けにプログラムそのものの概念の把握から、プログラミングの考え方の多様性とデータ構造の重要さを理解できるような講習を行ない、かつ教材および資料の作成を目指します。

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小学校段階におけるプログラミング教育の在り方について(議論の取りまとめ)」に、このような箇所がある:
| こうした人工知能が、与えられた目的の中での処理を行っている一方で、
| 人間は、感性を豊かに働かせながら、どのような未来を創っていくのか[略]

こうした箇所も、本能的に拒絶の対象となる。もっともこれは、この文書に限ったことではないが。

というのも、つい先日までは、「人間の特徴は知性である」と言われていた。ところが、人工知能がそれなりの性能になったとたん、「感性」にあっさり切り替えている。言うなら、好きなようにルールを変えているように思える。こんな人たちの言うことを−−この有識者会議に限らないが−−、どうやって信用すればいいのだろう。

また、こうもある:
| 小学校の6年間の間に、子供たちは、幼児教育を通じて身に付けたことを生
| かしながら、身近な生活の中での豊かな体験を通じて、具体的な物事を捉
| え、次第に抽象的な思考力を高めていく。

小学生においては、抽象概念を操作する能力が個人により大きく異なる。つまり、クラスなどを単位として「次第に抽象的な思考力を高めていく」ことはできない。抽象概念を操作する能力が高い児童にとっては、つまらないことをやらされるに過ぎない。

| また、「主体的・対話的で深い学び」の実現に資するプログラミング教育と
| することが重要であり、一人で黙々とコンピュータに向かっているだけで
| 授業が終わったり、子供自身の生活や体験と切り離された抽象的な内容に終
| 始したりすることがないよう、留意が必要である。

これもまた、抽象概念を操作する能力が高い児童にとっては、教員からのいやがらせにしかならない。おそらく、「なぜ理解できない児童・生徒に合わせなければならないのか?」と思うだろう。

あるいは、指導要領やアンチョコ、そして指導用ICT教材において “for” ループを使うべしとされているところで、イテレータを使ったり、 “map” と “lambda” を使う児童がいたらどうだろう。まぁ、イテレータはともかく、 “map” と “lambda” は指導用ICT教材には含まれないかもしれないが。それでも、それらを使ったとしよう。へたをすると教諭の理解を超えているかもしれない。その時、どういう指導が行なわれるだろうか。おそらくは、「こうあるべし」という指導が行なわれるだろう。児童はどう思うだろうか。やはり、「なぜ理解できない教員に合わせなければならないのか?」と思うだろう。

このような、「なぜ理解できない誰々に合わせなければならないのか?」という問題を回避するためには、教諭に相応のプログラミング能力、より正確にはコンピュータ・サイエンスの知識が要求される。だが、本来急がしかったり、昔はデモシカ先生と呼ばれたりした教諭には、それに対応する能力はない−−例外となる教諭はいるが。なんとか、対応する気になってくれれば、児童・生徒にとっても得るものは多いと思うのだが。

さて、この記事の最後になるが、同文書の最後にこのような箇所がある:
| 効果的なプログラミング教育の実施が、都市部だけではなく全国で偏りな
| く可能となるよう、官民連携したコンソーシアムなどを通じて体制を整え
| ていくことが求められる。

つまり、業界団体が「こうあるべき」と示していくことになる。これは小学校などにICTが導入さた際と同じ構図であり、まともなものになる可能性は高くはない。それを避けるためには、個々の教諭がコンピュータ・サイエンスにある程度の理解を持つことが必要だ。業界団体に好きなように操られる方が楽でいいと言うなら、そして児童の不利益を無視するなら、それでもいいだろう。

だが、保護者や教諭の方々は、面倒と思わずにコンピュータ・サイエンスを勉強して欲しいと思う。kuzu/NULLでは、本企画のリターンとは別に、その要望に応える準備がある。

 

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