「低学年児童のためのプログラム教育教材の作成とそのための実践:第一版」のプロジェクト申請も ❝3rd❞ となりましたが、サクセスする可能性は低いと考えています。
出版社様向けのリターンも検討中ですが、本プロジェクトあるいは本企画に興味をお持ちの出版社様がおられましたら、コメントなどなどにより、ご連絡をいただければと思います。
ところで、先ごろ講談社より「図解 プログラミング教育がよくわかる本」が出版されました。
プログラミング教育の実態はこれに近くなるものと予想しています。ですが、平成28年の有識者会議による「小学校段階におけるプログラミング教育の在り方について(議論の取りまとめ)」にて明言されている:
| プログラミング教育とは、子供たちに、コンピュータに意図した処理を
| 行うよう指示することができるということを体験させながら、将来どのような
| 職業に就くとしても、時代を超えて普遍的に求められる力としての
| 「プログラミング的思考」などを育むことであり、コーディングを覚えることが
| 目的ではない。
という点については、矛盾があるように思います。
この有識者会議の資料の内容に全面的に賛成するわけではありません。たとえば:
| 多様で大量の情報を収集、整理・分析、まとめ表現することなどができ、
| カスタマイズが容易であること(観察・実験したデータなどを入力し、図や
| グラフ等を作成することを試行錯誤しながら繰り返し行ったり、発表内容を
| 効果的にまとめて共有したり、個々の子供の学習ニーズに応じた学習内容を
| 組み立てたりできること)
ここにある「試行錯誤」には、必要な試行錯誤と、不要な試行錯誤があります。全体を読んでもらえればわかるかと思いますが、ここで言われている「試行錯誤」とは、むしろデバグの類か、それに近いものであり、それをもって「試行錯誤が必要」とは認めることはできません。「必要な試行錯誤」は必要ですし、価値がありますが。
シーモア・パパートの「マインドストーム」においても、似たような試行錯誤の記述はあります。
では、有識者会議における試行錯誤とパパートの試行錯誤とはなにが違うのでしょうか。単純には、ここでの試行錯誤は、「結果が得られればいい」という視点からの試行錯誤の必要性を述べています。
対してパパートは、そのような試行錯誤を認めてはいても、その結果から、プログラムが目的どおりに動くことの論理的証明に言及しています。
つまり、有識者会議の資料における試行錯誤と「図解 プログラミング教育がよくわかる本」における試行錯誤に対して、パパートの試行錯誤はまったくべつのものである点に注意が必要です。
付け加えるなら、プログラミング教育が必要であることは、半ば否定しませんが、有識者会議の資料も「図解 プログラミング教育がよくわかる本」でも、プログラミング教育に対して過度の期待を抱かせるものであるように思います。昔、「プログラミングを覚えると数学もできるようになる」と言われていた時期がありますが、それと似ていると感じます。
その他、できること、考えていることについては、「低学年児童のためのプログラム教育教材の作成とそのための実践:第一版 (2nd)」の「活動報告」にてご確認下さい。