【私と災害支援】
皆様、ご支援、応援、拡散等本当にありがとうございます。
もっともっとこの取り組みをたくさんの方々に知っていただきたいので!引き続き宜しくお願い致します。
https://camp-fire.jp/projects/view/442385
本日はちょっとしたお話。
なんで私が災害支援に関わってきて、
今回この”笑顔食堂”も防災拠点となる場所としても機能するような仕組みにしようと思ったのか。
というお話。
私が「災害」について考え始めたのは、
10年前の”東北大震災”でした。
私はその時高校3年生で大学進学のための受験勉強中でした。
テレビの中で見る景色。
SNSで伝えられる情報。
新聞や紙媒体で知る情報。
その時は全てがリアルではありませんでした。
そして気になっていても実際に現場に行きたくてもいけなかった勇気が無かった。
その勇気の無さが、時がすぎるに連れて、後悔が募るばかり。
私には何もできない。そんな気持ちばかり。
それから、大学を卒業し飲食店で働き始めた数週間後”熊本地震”が発災。
働いていた飲食店もしばらく営業できない為、
何か私にできることがないか。
何をしたら助けることができるのか。
1人でやって役に立つことはできるのか。
やっぱりそんな考えばかり。
でも大学生活の中での繋がりの友人が
災害支援の前線で動いてるではないですか。
だったら私もやれるじゃないか。と。
その友人のところのチームで、私にできることを、みんなで助け合いながら、災害支援のボランティアを行うようになりました。
そこからは、その熊本地震の時の繋がりで
バスケットボールのイベント会社に携わったり。
子どもたちにバスケットボールの世界を楽しんでもらうために奮闘したり。
熊本地震がきっかけで変わったことが多いなと思います。
そして、”令和2年7月豪雨災害”。
今回は常駐スタッフとして。
1年以上、人吉の地に住み続け。
前線で真っ直ぐに災害と向き合い。
人とお金と全てのものに向き合い。
災害についてもより深く考えました。
今はいつ何が起こってもおかしくない状況です。
現に今、日本中で大雨の被害が数多く報告されています。
そして関わってきた人吉でもまたいつか大きな被害に遭うかもしれない。
そんな時にいち早く復旧し、拠点として機能させ動けるようにすることができれば、
困っている人がすぐ頼れる場所。
多くの人がここを中心に動き、活動が広がっていき、地域全体で指揮が高まれば、街の復興も早い。
そして全国へも動ける体制でいようと思います。
また防災としても皆さんに伝えて行けたらと思います。
全てにおいて助け合い。
私が「ありがとう」と思った分。
何もできなかった幼い頃の自分の後悔を
全てのこれから先、恩返しとして返していきたい。
少し長くなってしまいましたが最後まで読んでいただきありがとうございます。
災害は、本当にいつ起こるかわからない。
でも、まずは自分ごとのように考え行動していただきたいです。
どうか今日もご安全に。
私も雨に注意しながら今日も壁を剥ぎます!!