東北芸術工科大学大学院の実験芸術領域を卒業後、2009年より山形を中心に活動する現代美術家・大槌秀樹。空洞化した中心市街地や、東北に存在する消滅集落、廃村、鉱山を舞台に、その変化せざるおえなかった、環境や自然に介入した行為を記録し、行為から生まれる事象を映像や写真、パフォーマンスなどで表現している。近年では古代西洋の神々のポージングを用いて、近代化・資本主義の時代の流れから立ち現れる未分化状態な場と、人々の理想美を重ねる事を主体とした制作を行なっている。普段、山形のシェアハウス「ミサワクラス」に暮らし、主に東北で活動している彼はどのような経緯で現代美術の道へ進んだのか。そしてその中で出会った石巻という土地をどのように考えているのだろうか。
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-大槌さんは大学では工芸で漆を専攻していたとお聞きしましたが、最初は職人の道を志していたのでしょうか。
大槌 「工芸がやりたい」というのは最初から全くなくて。遡れば、僕は千葉県出身で、予備校が千葉美術予備校っていうところだったんですが、豊福亮さん※1というアーティストの方がいて。越後妻有とか瀬戸内とかで活躍しているアーティストなんだけど。その方が学生で、予備校の講師をでやっていて…。まだ学生だったのに、新潟で一軒家を借りて壁をぶち抜いて中に水路つくり水を流したり、すごい作品を作っていて、その手伝いにいった時に「現代美術ってすげえな」って思っていました。3浪していた時期は毎年夏に手伝いに行っていて、それが楽しくってしょうがなくて。その人の影響をめちゃくちゃ受けた…のかなあ。
家庭がそんなに余裕がある家ではなかったから、藝大一本で受けていたんだけど、私大もボチボチ受けていて、3浪目の時に芸工大に受かったんだよね。「3浪だしそろそろ大学行かないとな」と思っていて、学費も比較的安かったし、芸工大に進学することになったんですよね。その時は、絵を書くのが好きだったから、藝大の試験も最後デザイン科で受けていたり…。東京芸大のデザインって平面構成がどっちかというと絵が中心だったんだよね、だから工芸もたまたま工芸に入ったっていう感じだったんだけど。
で、芸工大に行って、工芸科に行った時に、金工、陶芸、テキスタイルの他コースがある中で「漆ってなんだこれ?ってなって、なんかわからないけど高級感がすごい!」というのだけで漆を選んだんだよね。演習で作らなきゃいけない時は作ったりしていたけど、それ以外で工芸作品を作ったことはないかなあ…。漆の黒い艶を使ったインスタレーションとかはしていたかな。
-現在はパフォーマンスや写真、映像の作品を多く発表していますが、漆芸の時もそのような作品を制作していたのでしょうか。
大槌 パフォーマンス映像はなかったんだけど、漆の黒い空間を使った空間を作ったりしていたかな…。インスタレーションっていうよりかは、空間演出をやっていた…かな。
当たり前だけど、工芸だから、その学科の先生特有の評価ってものすごく(その道の基準が)あって、その評価の仕方に自分が限界を感じてきてしまったところがあって…そこで「素材を全部なくそう、0に戻そう」と考えました。技術も使えないような状態にして、身体だけで何かできないかと考えて、その方向にいきました。それで院で実験芸術学科に進んだ時に、自ずと身体を使ったパフォーマンスや写真、映像などに表現方法が移行していきましたね。いろんなものを無くして行った時に、自然にその方向に行ったっていう感じですね。でも本当に、0になった感じがあった。
大槌 かなり長い間白黒でやっていました。さわひらきさん※2っていう映像作家でビデオアートをやっている方がいて、その方の文章を読んだ時にモノクロにしている理由みたいなのが自分と似ているところがあって。そういう映像作家さんの影響を受けていたり。とにかく0になっているので、いろんな人の影響を受けていて、当時だったら田中 功起さん※3とかビデオアートをやっている方の作品を参考にしていたような気がする。
大槌 HPだとその間の試行錯誤とかあまり見えないんだけど、この作品と作品の間ではいろいろあって…。院の一番最初はお酒を飲むという作品を作ったこともありました。それが大学院で一番最初にやったパフォーマンスの作品であって…。それは展示の場に自分の部屋を使って、公の場所で俺がお酒を飲んでいるんだけど、呑みまくって「よーし脱ぐか!」って脱いで、ワーワー言って、最終的に吐いてというもので、飲んで、叫んで暴れるっていう作品でした。
-身体を使うっていうのは技法を捨てるっていう意味合いが大きかった?
大槌 大きかったですね。技術に頼らなかった時に、「じゃあ何をするんだ?」となったときに、アルコールを使った身体の変化を作品にするというところに行き着きました。
-アルコールが身体に入って、自分の意図しないところで身体的なものが生まれる、一種の抗えなさみたいなものが生まれますよね。
大槌 何もなくなった時こそ、何をするんだろう…。したくなかったら表現しなくてもいいじゃん、まあそれでもいいかなと思っていて。それでこのパフォーマンスを行うことにしました。
-見てみたいですね。
大槌 俺はみていて、すっごく気持ち悪い笑
最後の方なんて目が泳いでしまって、ただ裸で吠えてる人になっているんですよね。当時は精神的に…っていうところがあったのかも、とも思いますね笑
当時、若干そういうものが流行っていたっていうのもあったかもしれませんね。予定調和なものに対して問題提起する作品っていうのは。
-アーティストになろうと思ったのはいつ頃だったんでしょうか。予備校生時代にはすでにそうなっていたのでしょうか。
大槌 全然覚悟とかしていなくて、予備校生の時は「かっこいい!」と思っていました。豊福さんが本当にカリスマ的でカッコ良かったので。だけど、現実はシビアじゃないですか。覚悟を決めなきゃいけないと思ったのは震災後くらいかな。
大学を卒業した後にミサワクラス※4というアーティストやデザイナーが集まるシェアアパートに入っていて、そこでプロジェクトや企画があって。大学卒業するとやっぱり(モチベーションが)落ちるんだよね。お金を稼がなきゃいけない、生活して行かなきゃいけない。だから、昔よく「大学在学中に作家にならないと厳しい」っていうのはリアルだなと思ったかな。大学出てからは間違いなく(モチベーションが)落ちて、制作もだいぶその時は迷っていたし。これで本当にやっていけるのか、みたいな。
-リアルが差し迫っていく感じですよね。制作する、っていうのはなかなか生活に即していないし、現実は現実で迫ってくるし。というのがアーティストになろう、制作しようっていう気持ちを迷わせますよね。
大槌 そうですね。2,3年はかなり迷走していました。迷走しているからって覚悟が決まっているわけではなくて、でもどこかでまだ全然(制作に)納得行っていないというか、思いも考えも表現もまだ全然追いついていない状態なだけで、絶対何か面白いことができるはず、っていうのがどっかにあったから。だからしぶとくやり続けていただけなんですよね。
そこで震災があって、それで大学院の最後にやっていたバケツの作品に立ち返って、それまでは迷走したりもしていたんだけど。その立ち返ったときに、今まで透明の水だったバケツの中身を黒くしたんです。それは震災の時に津波が黒かった映像や状況を見て、示唆する意味も含めて。あれはなんだったんだっていう。確実に震災の影響はあって…。
-バケツをモチーフにした作品は何作か制作されていますよね。
大槌 連続性がないと深まっていかないし、それでバケツをモチーフにした作品を何作か続けて作りましたね。
-千葉出身で、東北は遠い地だと思うのですが、いま東北で活動していくのには理由があるんでしょうか。
大槌 僕の苗字が「大槌」なんだけど、祖母の家が岩手にあって、年に1,2回来ていて。祖母の家が後ろが山で、目の前には海があって、めちゃくちゃ楽しくて。だから親しみがありましたし、東北には縁がありました。いい思い出ばかりだったし。
-普段は山形で活動されていると思いますが、石巻との繋がりはいつ頃だったんでしょうか。現在は「ART DRUG CENTER」で「 MOLE GALLERY -REBORN-」を運営しておりますが、それはどのような経緯で始まったのでしょうか。
大槌 石巻との繋がりは、2018年石巻のキワマリ荘が独自に活動を始めた年に、一階のガルバナイズギャラリーにて、一年間山形芸術界隈で展覧会を行うプロジェクトが始まった事がきっかけです。その後、2019年のREBORN参加に向けて、調査していた所、偶然にも分断された廃道を発見し、さらに通うことになりました。「ART DRUG CENTER」に入る事になったのは、2019年のリボーンが閉幕した後、「ART DRUG CENTER」で有馬さんと今後の活動の話をしていた所、目の前にあるタンス(守さんの)が目に入り「このタンスをギャラリーにしたらどうだろう。」というアイデアが突破的にでました。僕は、ちょうど自身が掲げていた「MOLE GALLERY 」というギャラリーの居場所も欲しいなと考えていたため、その場で「MOLE GALLERY-REBORN-」を立ち上げようと決めました。当時今後も石巻の廃道には通おうと考えていたので、よいきっかけとなりました。
-山形に来て10年以上経過していますが、思い入れがあってい続けているんでしょうか。
大槌 山形はやっぱり、過ごしやすいっていうのもあるし、最近は住んでいる場所が遠くなってしまったけど、後藤さん※4と出会ったのがきっかけで廃村とかに連れて行ってもらったりしていて。バケツを使用した作品と、最近の廃道での作品の間にミサワクラスがある中心市街地での作品があります。
-拡声器を使った作品がその二つの間にあって、結構連作で制作していましたよね。その始まりは山形だったんですね。
大槌 ミツマススーパーっていうのが山形にあって、そこは昔老舗のスーパーだったんだよね。ある時潰れてしまったんだけど、夜逃げさながらで出て行ってしまったみたいで、全部建物の中に残っていて。そこをたまたま発見して。そこに頼んで入らせてもらって。そこの中に入ったら、ミツマス版のスーパーの音楽のカセットテープがあったり、「いらっしゃい」って呼びかけするための拡声器があったんですよね。それをもらってきて…。バケツとか拡声器って自分の中でゲームのアイテム的なイメージがあって、アイテムと身体っていう組み合わせが出来上がっているところだったので「今回のテーマは身体と拡声器と夜逃げだろ。」っていうふうになって…。夜の街の中でミツマスの拡声器を持って走ってもらうっていうパフォーマンスをしていて。夜、空洞化して人がいない中で、拡声器を持って走っている、まるでミツマスの亡霊がいるかのように声を拡張させて響かせるという表現に行き着きました。僕にとっては拡声器は今でも自分にとっては重要なアイテムですね。
-今は廃道とか森とかと作品が近くなっていると思うんですが、今のアイテムは何かあるんでしょうか。
大槌 今のアイテムは、そこから…拡声器もたまには使うんだけど、必然的になったくまよけの鈴とか、ホイッスル、花火とか、自ずと山に入る時に使う必需品がアイテムになりました。それが、今のアイテムかな…。さらにそこに最近はオリンピックとかけて、トーチとか、火がアイテムになりつつあります。
-廃道の時くらいから色が作品に出てきたと思うのですが、それは自分の中で何かが変化したからなど明確な理由があるのでしょうか。
大槌 白黒にしている意味がなくなってきた、というか…。白黒からカラーになったのは、今まで都市で撮影していることが多くて、しかも夜が多かったからという理由があって…。でも森に入ったら緑が強烈だったので、これを白黒にする意味がないな…と。
-《Unknown Gots》の緑もとてもいいですよね。
大槌 でもここも結構曰く付きの場所で…。ここはダイナマイト事故で何十人も亡くなっている心霊スポットらしいよ。ここは後藤さんと一緒に行って…。結構雰囲気が怖かったんだけど、心霊スポットっていうのもあるし熊がいたから…。その時は道がわからなかったから近くに車を止めて、15分くらい歩いてここにたどり着いたかな。後々は車で行ったんですけど。道もあるかないかギリギリのところに行くので、車も入ったら出れなくなっちゃうんじゃないかなって。
-大槌さんはこれからも山形で作家活動を続けていく予定ですか。
大槌 それがね、どうなんだろうね。今石巻が一番興味があったり、後今はコロナでいけてないけど、北海道の炭鉱跡地に、一回リサーチしたことがあるんだけど、また春くらいには行けるかなと思うんだけど、そこにも興味があって。山形にこだわっているわけでもないんだけど、かといって離れる理由もないくらいかな…。
キワマリ荘いいよね。ギャラリーがちゃんとついてるじゃん。僕もまだミサワクラスにいるんだけど、ちゃんとした展示空間があるのはいいなと思った。最初、ミサワクラスもプロジェクトをたくさんやって、結構綺麗で部屋で展示とかもしていたんだけど。一つしっかり投資したギャラリーがあると、違うなって思ってしまった。
-リボーンがあったからっていうのと、有馬さんが来てくれて確実に石巻のアートシーンは変わったと思います。
大槌 ミサワクラスも、もしかするとちゃんと投資した展示空間があればまた違うのかな、と思ったり…。
大槌 それがいいよね。ミサワクラスでプロジェクトやっていた時は、「アートをする」というよりも「プロジェクトをする」という感じだったし…。もっと、「アーティストを育てる」っていう感じだったらまた大きく変わったのかもしれないけど。じゃあ、自分がやれよ、って言われたらそんな投資も当時できなかったし…。自分の部屋を「MOLE GALLERY」と言って展示空間にしてみたけど、自分の部屋だから他の人は使いにくいんだよね。
-そうですね。結局は人の部屋を借りてしまう、ということになると思うので。
大槌 そういうのもあって、今じゃあ自分の部屋をギャラリーにする必要があるか?って言われるともう全然なくって。だから今「ART DRUG CENTER」で「MOLE GALLERLY」っていうのをタンスを使ってやっているんだけど、もう自分の部屋を使う必要はないかなって。
-東北芸術工科大学がある分、山形にはアーティストになりたい人も多いのではと思うのですが、どうでしょうか。
大槌 山形の不思議なのは、現代美術を取り扱うギャラリーがそもそもないんだよね。大学の中にはあると思うんだけど。
-ギャラリーが一個あると違いますよね。私が高校生の時は(2014年)石巻にアート的な施設はなかったので。
大槌 キワマリ荘が回り始めたときに、僕とか後藤さんは「石巻面白い」って。山形は人材的にはたくさんいるはずなのに、大学があって大学の力が悪い意味じゃないんだけど、強いから。そこからはみ出た人は、全くもって自力でやるしかなく…。かといって自力でやったとしても、街に出たってギャラリーはないわけで…。人材はいるのに、なぜか大学以外になると一切がやりづらくなり、っていう場ではあるんだよね。だからって、僕がやる必要性も感じてなくて。さっきの話に立ち戻ると、山形にこのままいるのかいないのか問題に関しては、僕も、ちょっとよくわからないかな、最近は特に。かといって、大学が僕が嫌なわけではないし、好きな先生もいるけど、じゃあいつまで大学に頼るんだろう…とか。地方特有なのかなあ?と思ってしまう。一強というか。
-地方にはそういった意味で余白があるとは言われますが、私としてはそういう話を聞くと、そんなに余白はあるのかな?と思ってしまうんですよね。
大槌 俺もそんなに言われているようには余白があるようには感じていなくて。俺は逆に、多様性に寛容と思わせておいて、そんなことないんじゃないかなって。どちらかというと全体主義的な。みんな作品が似てくるみたいな、そういうのを地方で感じていて…。それがどんどん活躍する人が出てくるとより一層、山形だけではなくて東北全体がその色になっていくんじゃないかっていうふうに感じていて、それは僕の好みじゃないなっても思っていて、そこは若干懸念していて。それは今後どうなんだろ、とは思っています。
-そうですよね。私は京都の美大に通っていたんですが、結構中退する子も周りに多かったりするんですが、先生とかが個別に授業っていうか指導とかもしていたりするんですよね。指示する先生的な人が街にいれば、大学卒業できなくてもそういう感じで救われていると思うんですよね。そういうふうに救われてくれる人がいてもいいと思うんですよね。それでいうとミシオさんとかはその前例を石巻に作ったんじゃないかなと思います
大槌 たしかに。有馬さんも先生的な存在としていますよね。
-いろんな人がいて、そういうのを救えるような存在がいるのがこれからの石巻とか大袈裟に言えば東北のアートシーンにつながるんじゃないかなって思うんですよね。
大槌 そうだよね。東北はそういう色が薄いよね。あと、中退すると結構大学と関わり持てないんだよね。地方だと働くところも少ないから、中退してもその地に残るっていうパターンは少ないよね。よっぽど何かがないと、地元に帰っちゃうよね。
-意外と家賃とか安くないし。っていうのもありますよね。
大槌 今は唯一ネットが使えるっていうのは活路が見出せそうではあるかもだけどね…。
-地方は特にあんまり活動の方向が見えないですよね。
大槌 それにしても、石巻は楽しそうな感じがする。クオリティとかがすごく高いし、一回ハードルあげるとそれを保とうとするから下がらないと思うし。あとは認知されていくと思うし、全然続けていくのがいいと思う。周りの評価を気にせずに。
-じゃあ何かに頼ってやっていくのか、と言われたらそれもどうなのかなと思いますし。
大槌 Reborn-Art Festivalとか大きい祭りに頼っていくっていうかそれよりは独自でやっていくのがいいと思う。まあ、気張らず、淡々と続いていけばそれが積み重なっていくからな…。まずやらないと見に来ないから、それが重要だよね…。っていうのを自分にも言い聞かせてるんだけど笑
-続けて行けるように頑張ります笑
(2021年7月22日 収録) text:山田はるひ
※1豊福亮 -1976年東京都生まれ。2000年株式会社OfficeToyofuku 創設、千葉美術予備校創立、学校長就任。美術に関わる人材の育成に取り組む一方、芸術祭を中心として自身の作品を展開。大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2006、09、12、15、18、神戸ビエンナーレ2007、瀬戸内国際芸術祭2010, 13 参加。
※2さわひらき -1977年石川県生まれ。 ロンドン大学スレード校美術学部彫刻家修士課程修了。 多数の小さな模型飛行機がアパートの一室をゆったりと飛び回る、穏やかな映像作品《dwelling》(2002)でアーティストとしてデビュー。
※3田中 功起 -日本の美術家・映像作家。栃木県出身。東京造形大学客員教授。
※4ミサワクラス -元旅館のシェア・アパート『ミサワクラス』。美術家・音楽家・写真家・建築士・デザイナー等、様々な人が共同生活や制作活動、展覧会を開催。
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大槌 秀樹
1981年、千葉県生まれ。山形を拠点に活動。
空洞化した中心市街地や、東北に存在する消滅集落、廃村、廃道を舞台に、その変化せざるおえなかった、環境や自然に介入した行為を記録。行為から生まれる事象を映像や写真、パフォーマンスなどで表現している。近年では古代西洋の神々のポージングを用いて、近代化・資本主義の時代の流れから立ち現れる未分化状態な場と、人々の理想美を重ねる事を主体とした制作を行なっている。主な展覧会に『札幌国際芸術祭 2020 新型コロナウイルスのより中止 - webと書籍にてプランのアーカイブ化に参加』(2020年)、個展『分断と祈り』(@Cyg art gallery・2020年)、『Reborn-Art Festival 2019』(@石巻市街地エリア・2019年)、『第22回 岡本太郎現代芸術賞展』(@川崎市岡本太郎美術館・2019年)。