大仏が安置されていた源宗寺の旧本堂
(株)文化財マネージメントの宮本です。
熊谷市立江南文化財センター・学芸員の山下祐樹さんにご執筆いただいたコラムの続きを掲載します。
源宗寺本堂保存修理事業の歩みと仏像保護に向けた試み
熊谷市立江南文化財センター 山下祐樹
源宗寺本堂の概要
源宗寺は鴻巣市の勝願寺末寺で、江戸時代以降の管理を担った藤井家文書「源宗寺過去帳」によると、開基は祖先の藤井雅楽之助が行い、源宗大法師が開山したとされる。
源宗寺は、官や当時の権力者による支援を受けずに建立を果たした私寺であり、江戸時代には近村の人々を中心に信仰を集めた。
令和の改修事業において判明した基礎の状況から、当初は茅葺屋根であった可能性が高い。
これを前身本堂として寛文2年(1662)に勝願寺の第一四世玄誉上人による一万日念仏供養が成されたと伝わる。
その際に本尊となる二体仏像の制作が進められことが推定される。
以降、正徳3年(1713)に大仏は損傷し、近隣村々の援助を受けて修復されたが、寛保2年(1742)8月の大洪水では再び二体の大仏は破損したとされている。
その後、第八世喚誉上人が本堂を瓦葺にするなどの再建を行い、大仏の修復にも努めたと伝わる。
源宗寺は、江戸時代後期には僧侶を配置しなかったため、近隣の久下にある東竹院が仏事を担い、檀家組織の護持会が今日まで維持管理を続けてきた。
そして、近年、建物全体の老朽化が著しくなる中、「源宗寺本堂保存修理委員会」が発足し、令和の改修事業及び二体の仏像保存修理事業の実施へと結び付いたのである。