先日、鼠ヶ関(ねずがせき)の花火に深い想いを持った方へインタビューをしてきました。
その方は鼠ヶ関で理容室を営むこの道50年以上のベテラン理容師 佐藤容子(ようこ)さんです。
お話を伺い感じたのは、彼女にとっての花火はただの思い出ではなかったということ。
容子さんの鼠ヶ関の花火を舞台にした、過去と現在を繋ぐ「小さなラブストーリー」をご紹介します。
青天へきれき!花火開催の知らせ
容子さんが花火イベントの知らせを耳にしたのは前日の夕方。有線放送から流れる突然の案内からでした。「最初は聞き間違いだど思ったっけ。驚いだども最高にうれしがった!」と当時の様子を思い出しながら興奮気味に語ってくれました。
それからというもの容子さんは花火のことが気になって仕方ありません。そこには大きな理由があったのです。
花火にイライラ?かつての思い出
4年前に他界した容子さんの夫はあつみ観光協会鼠ヶ関支部の支部長を務め、花火大会の運営に大きく関わっていたそうです。
「夏が近づけば仕事そっちのけで花火のごどばっかり。そん時はイライラすることもあったっけのお。」と笑顔で語る容子さん。
それでも「今思えば、鼠ヶ関のことを考えで一生懸命だったんよのお。」と、当時とは違った想いが今はあります。
見上げた花火、寄り添う二人
花火イベント当日、容子さんはいつもより仕事を早く切り上げて向かいました。会場が近づくに連れ歩みの回転数があがります。この日は最前列の波打ち際から見学することにしました。
そうして間もなく、波音だけの空間を切り裂くように打ち上げられた一発の大きな花火。海上から打ち上げられた花火は空と海を同時に照らし、シンメトリーの花を咲かせます。その後は音符にのって次々と花火が舞い上がり、瞬く間に黒のキャンパスは彩られていきました。
容子さんは呼吸するのを忘れるぐらい吸い込まれ、涙が止まらなかったそうです。
「打ち上がった時間は短けがったがもしれねども、今まで見だ花火の中で一番だっけ。」潤った瞳で話す容子さん。余韻を楽しむように佇んだ浜辺には、当時はなかなか一緒に見ることができなかった亡き夫が寄り添っていたかもしれません。
時を超え、重なる二人
「この花火で生きる勇気をもらったっけの。コロナで暗く不安な気持ちも一気に消し飛んだっけ。そしてのお、なんだが感謝の気持でいっぱいさなったけ。」
現在、容子さんはコロナ禍が続く今年も花火イベントが開催できるように励んでいます。
かつてイラッとさせられた誰かさんと同じように。
容子さんからお話を伺い、花火によって想いは結び直され、絆が以前よりも強くなったのだと感じました。
これまで何度も口にした「生きる勇気を与える。」とは漠然した言葉。正直なところ、これまでは少し遠い気がしていました。
しかし、こうして改めて声を聞かせてもらうことで「本当に勇気を与えたんだ!」と確信することができました。そして、「やるっきゃない!」と気合いを再注入することができました。
プロジェクト終了まで残すこと5日。1人でも多くの方々に勇気を与えるため、達成まで全力で向かって参りますので、引き続き応援のほどよろしくお願いします。