2023/02/11 00:25

ご無沙汰しております。皆様その後いかがお過ごしでしょうか?

皆様のご支援により実現したボボ·ディウラッソでの公演から一年が経ちました。あらためて御礼申し上げます。

その後あまりにもいろいろなことが起こりましたので、一年前とはいうものの、遥かに昔の出来事のように思われます。ボボ公演の直前にクーデターが起こり、ダミバ政権が誕生しましたが、昨年9月末には2度目のクーデターが起こり、現在はイブラヒム·トラオレの政権下にあります。首都·ワガドゥグでは状況は比較的安定していますが、地方ではテロリストとの激しい攻防が繰り返され、人命が失われ、多くの人が難民となってしまっている毎日です。

10月末から11月初頭にかけて開催が予定されていたSIAO(ワガドゥグ国際工芸見本市)はアフリカ全土から10日間で、のべ30万人が訪れるといわれる大きなイベントですが、9月のクーデターの後、延期が発表されました。私たちのオペラはSIAOの野外オープンステージで(部分的にですが)公演を行う予定でしたので、怠りなく準備を続けて開催を待ちました。その間に、日本から送金した資金が着金しない、知人に原付バイクを貸したところ、その人が大事故を起こしてバイクが大破してしまった等、思わぬ困難が相次いで、なんとも心もとない日々でした。

私のバンドのメンバーの故郷Nounaはテロリストが猛威をふるい、とりわけひどい状況に陥っている地域のひとつですので、皆故郷の家族に仕送りして援助していますから、私もなんとかして資金を調達して公演を行い、メンバーにギャラを支払うことでそれを助ける必要に迫られていました。

10年程前にブルキナファソで日本大使をしておられた杉浦勉元大使は丸紅株式会社の方で、現在丸紅ギャラリーの館長をしておられます。昨夏帰国の折にお目にかかり、SIAOへのオペラの参加の話を聞いていただき、ご支援をお願いしたところ、ご尽力くださり、幸いにも丸紅株式会社がSIAOでの2公演分の資金を提供してくださいました。

しかしSIAOの新日程はなかなか決まらず、もうキャンセルされてしまうのではという憶測が巷で飛び交いました。「そんなはずはない。トラオレ大統領はきっと市民の願いを尊重してSIAOを実現してくれる」とメンバーと語り合って練習を続けましたが、私たちの経済状態は逼迫するばかり…。そこで、ただSIAOの開催を待ってばかりもいられませんので、当地のゲーテ·インスティテュートに提案して、一般の若者を公募してオペラに参加してもらう道筋を開くため、歌とダンスを教えるワークショップを行うことになりました。これは楽しい経験でしたが、ウクライナ戦争の影響でドイツ政府が文化予算を軒並み25%カットしたため、経済的には大変厳しい状況でした。12回のワークショップの成果をお披露目する公演を12月9日にゲーテ·インスティテュートで行いましたが、毎度のことながらテクニカル·スタッフ(音響·照明)の技術不足·知識不足のため各種混乱が生じ、思うような上演が出来ませんでした。これはとても残念なことですが、ブルキナファソの多くのミュージシャン、そしてイベントの主催者たちが共通して抱える悩みなのです。

私も次回からは必ず、オペラプロジェクト専任のテクニカル·チームとリハーサルを重ねて本番に臨むことが不可欠だと肝に銘じました。そうはいっても、ボボ公演のときのようにドイツからトーンマイスターに来てもらうには相当な費用が掛かりますので、毎回というわけにはいきません。

そこで地元のThéâtre Soleil(太陽の劇場という名前です)のオーナーで、優れた演出家でもあるThierry Hervé Ouéda氏と契約して、オペラ完成版公演は彼の劇場で今年5月に行うことにし、その劇場でリハーサルを重ねていくことにし、Thierryさんと劇場のハウス·エンジニア(劇場の専任の音響係と照明係)のチームが演出に取り組んでくれることになりました。

Thierryさんとは12月半ばからリハーサルを開始しましたが、豊富なアイデアとみんなを鼓舞する独特の力を持った人で、彼の演出に大いに期待しています。

そうこうするうちに、ようやく発表されたSIAOの新日程は1月27日から2月5日とのことでした。実は、1月1日から23日まで私の書いた別のオペラの公演のためドイツに行くことが決まっていましたので、私にとってはかなり厳しい日程でした。ですのでSIAO当局と交渉して2月1日と3日に出演することにし、私がドイツに行っている間は私抜きでしっかりリハーサルをするようにバンドのみんなに指示をしてからドイツに向かいました。

ところが私はドイツで体調をひどく崩して入院してしまったのです。

退院から6日目にまだフラフラする身体を引きずるようにしてなんとかワガドゥグに戻り、リハーサルに参加し始めたのが25日でした。


開幕日の1月27日、私のオペラチームは午前中いっぱいThéâtre Soleilでリハーサルをした後、さらに次の月曜日、火曜日の追加のリハーサルの必要性を話し合い、解散後昼食を摂りながらマブドゥと追加分のリハーサルに関する支払いについて相談しているところへ、SIAO当局から突然WhatsAppのメッセージで今夕17:00からの出演だから直ちに会場へ来てサウンドチェックをするようにとの指示がありました!


一度解散してしまっていたので、全てのメンバーに再び電話してすぐに準備を整えて会場へ向かってもらうのは至難の業でした。「いくらブルキナだからといっても、これはあまりに酷い。断るべきだ」と言う人達もいて、元の日程に戻すよう交渉しろと言われましたが、交渉したくても担当者にもそのボスにも電話はめったに繋がらないのです。開幕日はなおさら不可能でした。

その上、その日の昼に公表された日程表を見ますと、私たちの出番は元の日程とはまるで異なる、1月27日(金)、30日(月)、2月2日(木)の17:00からとなっていました。


メンバー全員を説得して楽器を急遽車に詰め込み、会場へ到着したのは16:10でしたが、そこからは延々待たされ、しかも12月半ばに提出した必要機材表に明記していたマイクロポートは用意されていませんでした。驚いて知り合いの音響会社から借りようと電話しましたが、折悪しくテレビ局にすべて貸し出してしまったとのことで、この時点でせっかくThierryさんと用意してきた演出の殆どは(マイクロポートなしでは歌手が動き回ったり、踊りながら歌うことができないので)実行不能になってしまい、代替案を楽屋で練る羽目になりました。


SIAOのオルガニゼーションは混乱を極めており、ある程度予想はしていましたが、まさかこれほどまでとは想像しておらず、本当に呆れました。すべての混乱をここへ書き記してもキリがありませんが、まぁめちゃくちゃなんです。いつ再入院しなければならない事態に陥るかと心配しながら、毎日無理しすぎない生活を心掛けていたところへ、この大混乱!!

自分が果たしてちゃんと演奏できるかどうか心配しましたが、チームのみんな共々異様な緊張の中で頑張って、結果は上々でした。開幕日の演奏の後「とても良かったよ!」とみんなに労いの言葉をかけたときの、みんなの嬉しそうな顔が忘れられません。

しかしSIAOにおいても音響面のテクニカルな問題は少なからず起きました。

とにもかくにも3公演を終えてホッとしています。3度目の公演は予定になかったので資金をどうしたものか、予定外のことだからお断りしようかと迷いましたが、奇特な方が500€をご寄付くださり、それでメンバー全員に出演料を支払うことができました。

今は5月初旬の完成版公演のため、プロット全体を再考して手を入れている段階です。

最近一番嬉しかったことは、コメディアンのLamissaがLa paix (平和)という曲の中でグリオの流儀でソロを歌わせてほしいと申し出て、やってもらったところとても良いので採用したことです。みんなが作品が少しでも良くなるようにそれぞれのアイデアを持ち寄って臆せず挑戦する姿勢が育ってきたこと、そういう雰囲気が作り上げられてきたことはこの数年の何よりの成果です。その部分の動画をどうぞご覧ください。