2023/09/08 00:30


早いもので、ブルキナファソ・オペラ・プロジェクトの4年目も後半に入りました。当初から2023年末までに全編を完成させると申しておりましたが、そのお約束を果たす日が近づいています。非常に異なる文化圏に飛び込んで、共通言語もない相手と協働して、オペラとは何かということもほとんど知られていない土地で、一からオペラを造り上げるために、4年という歳月が最低限必要だという勘が働きました。けれどもその4年間に何が起こるかは、全く予想できていませんでした。

2019年の11月にはブルキナファソへ来て準備に入りましたが、その頃新型コロナウイルス感染症の流行が始まりました。ブルキナファソでのテロも激化していき、その影響から2022年1月、そして9月にも再度、軍部によるクーデターが起こりました。


個人的にもいろいろな危機に遭遇しました。新型コロナウイルス感染症のロックダウンの時期に夜中に家に入った泥棒にコンピューターと電話を盗まれたり、2度にわたって現地の演出家に騙されて支払った前金が戻ってこなかったり…。しかし最も大きなストレスは、オペラの土台にしている小説が出来上がってこないことでした。2019年の末に出会った、コンゴ共和国から政治難民としてブルキナファソに逃れて来ているラッパーのMarital Pa'nucchi ことMoyi Mbourangonさんは、当時、半自伝的小説を書いており、原稿は既にほぼ出来上がっていると言い、あらすじを話してくれました。私は直観的にこれこそ西アフリカで制作するオペラにふさわしいストーリーだと思ったのです。その後少しずつ、まずは作中のお母さんに宛てた5つの手紙(詩の形式です)を、そしてその後第一章から順番に、推敲が終わり次第メールに添付して送ってくれることになりました。コンゴ共和国での活動家としての行動や、それが原因で国を追われ政治難民としてブルキナファソで生きることになった経緯、故郷に残してきたお母さんへの思いなどが描かれているだけではなく、同じアフリカ人として、しかしある意味では外部から来た人間としての視点でブルキナファソを見ていること、また彼の知性によってアフリカの良いところも悪いところも、透徹した歴史観と豊富な知識に支えられて偏ることなく、しかも面白く描かれていることが非常に魅力的でした。

ですが、当初の見積もりでは、2020年の末までにはすべての章が送られてくるはずでしたのに、2021年4月末の最初の公演の準備時に受け取っていたのはなんとまだ第1章だけだったのです!(正確に言うと、公演の数日前に第2章が送られてきましたが)

2022年2月の公演時も、半月前にようやく第5章を受け取ったばかりという状態でした。


当時は全3幕のオペラを考えており、全9章を3章ずつに分けて各1幕として制作しようと考えていました。それでももちろん予め全体を把握して構成を考えるほうが良いに決まっています。ですが、生まれてはじめての小説を完成させようとして苦労している作家の気持ちがよくわかるだけではなく、彼自身の人生を土台にした現在進行形の物語であるのだし、アフリカの歴史に大きな変化が訪れようとしている昨今の情勢に身をおいているからには、たとえほぼ書き上げられていたとしても、推敲に推敲を重ねて、納得の行く形で完成させたいのは当然と思われました。また、私のほうも漫然と原作の完成を待つばかりではなく、ブルキナファソで、私のバンドメンバーの家族に起こった事件(イナタで金鉱の警備にあたっていた憲兵隊の一員だった従弟がテロリストの襲撃で亡くなったり(長い間行方不明でしたが、最近になって死亡が確認されました)、リードヴォーカルの奥さんの実家のある村もテロリストに襲撃され、一家もろとも国内難民になってしまいました)を織り交ぜてストーリーを構成することにしました。

今まとめてこのように書くと、すっきりと聞こえるかもしれませんが、長い間の葛藤やジレンマの末の苦肉の策でもありました。ともあれ、その都度の公演にある程度の形を与えるために必死でした。しかし、ああでもない、こうでもないと試行錯誤しながら受け取った章を何度も読み返すうちに、それらが扱っている内容があまりにも広いことにあらためて驚き、アフリカ大陸のサブサハラ地域の近世史と現状を「知り」「理解する」こと、そしてそれを「表現する」ことの難しさを痛感させられました。重なり合う主題が複雑で入り組んでいること!その総量と拡がりは茫漠として、輪郭を掴みきれないもどかしさに悩みました。そもそも、巷で錯綜する数々の情報の矛盾、各陣営のプロパガンダ合戦のさなかにあって、状況を理解し、自分自身で考え、行動し、他者に向かって公に発信していくこと - それは険しい峡谷に吊橋をかけて渡るようなものではないでしょうか?常に危うさと隣り合わせです。彼がラッパーとして政治的意見を掲げてアフリカ諸国とヨーロッパを行き来して活発に活動しながら、人知れず小説を丹念に仕上げて来たこの3年半を超える年月は、彼にとってまさに闘いの日々であり、今ももちろんそれは続いています。特に今年に入ってから彼は叔父と実兄を喪い、さらなる痛みを味わったのです。


しかし遂に、2023年7月の末に、私は彼から最後の章を受け取ったのです。

その時私は、日付が変わっても眠れずにまだ起きていました。すぐにファイルを開いて読みました…なんとも言えない不思議な気持ちでした。私も作曲家なのでわかりますが、大きな作品が仕上がるときというのは、人知れず、見守る人もなく、歓声も喝采もなく、ひっそりと花が咲くように、あるいは熟し切った実がふと落ちるように、静かなものです。

完成を待ち続けていた私は、ようやく作品の全貌を見たわけですが、その輪郭は大き過ぎて、すぐに心に描くことは到底出来ませんでした。ですが、最終章の終わり近くの一節が私の戸惑いを救ってくれました - 全てを容認してくれるような響きで - 作者本人にとってすら、それは容易ではないのだと言う意味が込められていました...。


故郷に残してきてしまったお母さんにもう7年も会うことが叶わない彼。お母さんは頼りの弟さんも、Moyiのお兄さんである長男も喪ってしまったのです...「信念に従って」「ブレずに」「自分に正直に」行動し続けるということが常に称揚され、私たちの多くはそういう生き方を目指しているのかもしれません。しかし、私たちを取り巻く世界も、その抱える問題も途方もなく大きく複雑です。学べば学ぶほど、知れば知るほど、行動すればするほど、矛盾や葛藤を抱え込み、自分の無力さに打ちのめされたり、立ち止まって360度を見回し、自分の目指してきた方向はもしや間違っていはしないかという疑念に駆られたりすることがあるのではないでしょうか?

そのような衝動を脇に押しやらず、自らの感覚や心を柔軟に保ち、信念というものを硬直した干からびたものにしないようにすることは、いつでも未完成な私たち人間にとってとても大切なことだと思うのです。行動の一貫性、整合性は大切ではあるものの、それに縛られすぎると自らの成長を妨げることにもなります。


歳月をかけて大きな作品を書くということは、SNSに短い投稿をしてその時の気分を誰かと共有することとは全く異なります。作品は作者自身を映し出す(というよりむしろ曝け出してしまう)鏡であると同時に、いつしか作品自らの生命を持ち始め、作者のよく知らないことや確信のないこと、理解しきれていない問題にまで侵入していき、作者はまるで自らの乗っている馬に手綱を取られて翻弄されるような事態に陥ることもあります。どこを走っていて、どこへ行き着くのかさえ定かではなくなる瞬間も訪れます。

私たち個々人の意識の領域を超え、集団意識の影響を受けることもあります。

文学作品を書くという行為は、この広い時空を掴もうとして、個人の限られた意識が挑む闘いだと考えることも出来ます。


かくして完成した作品は、単なる覚書のような言葉の集積ではありません。Moyiさんが完成させたこの作品「中絶された未来の夜明け」は、問いかけであると同時に、預言でもあるのです。この作品の完成に心からの喜びを覚え、私のオペラにも完成の時を迎えさせるために、今、最後の努力をしています。


2023年7月26日にブルキナファソの隣国ニジェールでクーデターが起こったことは皆様もご存じかと思います。Moyiさんから最終章を受け取った翌日のことでした。その影響がいろいろ出ております。ブルキナファソ政府がニジェールの新政権を支持すると表明しているために、フランスはブルキナファソへの一切の援助を停止、ブルキナファソ国民への渡航VISAの発行も停止しています。しかしブルキナファソやその隣国には現在の通貨CFA(フランセーファ、フランスが発行しています)から自国の通貨、あるいは数か国連合で発行する新しい通貨に切り替え、自分たちの経済基盤を自分たちで作り上げたいという悲願がありますので、ECOWAS(西アフリカ諸国経済共同体)を離脱し、隣国同士で新たな経済共同体を作ろうとする意気込みが強く、(日本での報道とはかなり違うように聞こえるかもしれませんが)真の独立への希望に、ある意味沸き立ってもいます。

そんなわけでブルキナファソの首都ワガドゥグでは、反フランス感情はますます高まり、かといって乱暴な事件や過激なデモなどが起こっているわけでは決してありません。ただ、事態を懸念するヨーロッパの人々は次々に帰国しています。ドイツ大使も現職の方は任期満了しているのですが、彼が帰国すると次の大使は招聘されないので、大使不在になるのを避けるために暫しとどまっていると6月半ばに話しておられました。


私のオペラプロジェクトには、何ら政治的な意図はありません。しかし、アフリカの歴史と現在を、アフリカ人の言葉と声で、オペラという芸術形式によって世界の人々に届けたいという趣旨ですので、何とかこの状況での公演実現の道を探り、セキュリティの面でもリスクの高くない状況で無事に公演を達成したいという思いです。

そこで6月以来、ブルキナファソの情報·文化·芸術·観光省の大臣や、また商業省の高官の方々に面会を申し入れ、ご協力をお願いしてきました。彼らは私のオペラプロジェクトに賛同を示してくださり、情報·文化·芸術·観光省の傘下にあるCENASA(Central National des Arts du Spectacle et de l'Audiovisuel)を、11月6日(月)、7日(火)、8日(水)の三日間無償で提供してくださることになりました。長期化しているテロリストとの戦いや、ウクライナでの戦争の影響で疲弊した経済状況にある国民が見に来られるようにするため入場無料とし、学童や孤児たちのための昼間の公演もします。この会場は空港の近くにあり、警備が厳重なのでセキュリティの面でも心配が少ないです。

この原稿を書いている間にガボンでもクーデターが起こりました。サブサハラはまさに変革の時を迎えています。

写真は、Moyiさんに私が贈った言葉を、彼がFBに投稿したものです。

"真の詩人は常に預言者である"