2021/08/16 19:35

こんにちは。中川食肉の中川大輔です。

本日は本プロジェクト実行者である中川食肉株式会社について改めてご紹介させていただければと存じます。すでに弊社のことをご存知いただいている方も、より「中川食肉」のことを知っていただく機会になれば幸いです。


昭和20年代の法人設立者で二代目、中川光吉と妻のテツ。屠畜場内にて

中川食肉株式会社のはじまり

戦国時代に後北条氏の城下町として発展し、江戸時代には東海道屈指の宿場町として栄えた、神奈川県西部の中心都市である小田原市。その歴史ある地で、明治43年の創業から五代続く老舗食肉卸問屋が中川食肉株式会社です。


創業者の中川藤次郎は、当時の小田原市営の屠畜場(現、中川食肉本社の所在地)に出入りしながら、冬季には食肉を仕入し販売をして、夏季には相模湾で漁師をして生計を立ていました。

冷蔵庫もない時代だった為、冬季のみに食肉を仕入れて販売をしていたようです。

※屠畜場とは牛や豚、馬などの食肉に加工する施設

その後、小田原市営屠畜場の閉場に伴って、二代目の中川光吉が小田原市から施設を買い取り、全国唯一の個人屠畜を開場しました。それからは神奈川県西部の食肉生産、流通の重要拠点を担い続け、昭和24年に中川食肉株式会社として法人設立しました。



昭和23年頃の屠畜場の建前風景。現在の中川食肉本社所在地


神奈川県の畜産家との「繋がり」と「地産地消」への想い

屠畜場を営んでいた経緯から、特に地元の「神奈川県」の牛や豚の畜産家の皆さまとの関係が深く、「地産地消」に長年に渡って取り組んでいます。

神奈川県の畜産農家さんや地元の田畑で働いた農耕牛や豚、馬など、想いを込めて育てられた家畜達を弊社が食肉加工させていただいたので、必然的にその地元のお肉を取り扱いさせていただく流れができていました。

そして、「大切に育てられた生き物の命を決して無駄にする事なく、私達も大切に」と、地元の農家さんたちの想いがこもったお肉を取り扱えることが弊社の誇りでもありました。



昭和初期の1月の本店初荷風景、現在の「和牛屋」所在地


長年に渡って、多くの畜産家の皆さまが大事に育てた牛や豚の加工や販売に携わらせていただいたおかげもあり、現在では大手食品メーカーから、箱根の有名老舗ホテルや旅館、都内の有名ホテル、地元のスーパーやお肉屋さんに至るまで、本当に多くの場所へ精肉を卸させていただけるようになりました。


私たち中川食肉は、個人屠畜場として商いを行っていた歴史を持つ全国でも、とても珍しい食肉卸問屋です。そんな歴史をもつ弊社だからこそ、神奈川県の多くの畜産家の皆さまを大切にしたい!神奈川県の地元のお肉を積極的に取り扱い、畜産家の皆さまと一緒に良いお肉を提供していきたい!という想いがあります。


そして現在、弊社が地元の畜産家と一緒に、美味しさ、地域への貢献性(循環)、ブランドに対して全力で取り組んでいるお肉があります。

それが、地元の畜産家「長崎畜産」の「相州牛(そうしゅうぎゅう)」です。


写真・かながわブランド認定時の取材風景、長崎畜産にて。二代目の長崎光吉氏(右)と、三代目長崎光次氏(中)と

長崎畜産との関係と絆

長崎畜産は隣町である神奈川県南足柄市で3代に渡って畜産業を営んでいます。

実は、長崎畜産の創業者である長崎 努氏と2代目の長崎 光吉氏は、食肉業の技術を学ぶために中川食肉に修行に来ていました。中川食肉の先代の時代から長崎畜産との関わりは3代に渡って続いており、長年の付き合いから「相州牛」と「相州和牛」の商標登録の取得やブランド化や販促に至るまで中川食肉が全力でバックアップして二人三脚で「相州牛」の発展に努めてきました。

現在は「相州牛推進協議会」を立ち上げ、弊社や長崎畜産を始め、相州牛を扱う小売販売店、飲食店と力を合わせて「相州牛」「相州和牛」の販売や販促活動、ブランディングを行っております。多くの方のお力添えもあり、現在では神奈川県からは「かながわブランド」南足柄市からは「南足柄ブランド」に認定されるまでになりました。


相州牛ゴロゴロカレーも、カレーとしての美味しさを伝えたいというのはもちろん、相州牛を楽しんでもらいたい想いも基になって開発した商品です。


これからも生産者さんと一緒に力を合わせて、素晴らしいお肉の提供に努めて参りたいと思っております。


お読みいただき誠にありがとうございました。