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マダガスカルでハンドメイドで作るカゴバック「AMPIANA+」を日本に広めたい!

マダガスカルで初めて日本人夫婦が設立したアパレルブランドです。 現地の小さなアトリエにて、マダガスカルが伝わるようなカゴバッグを手作業でひとつひとつ製作しています。 バッグを日本に広めて、大好きなマダガスカルに新しい雇用を創りたい!

現在の支援総額

1,404,740

140%

目標金額は1,000,000円

支援者数

133

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2021/08/18に募集を開始し、 133人の支援により 1,404,740円の資金を集め、 2021/09/30に募集を終了しました

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現在の支援総額

1,404,740

140%達成

終了

目標金額1,000,000

支援者数133

このプロジェクトは、2021/08/18に募集を開始し、 133人の支援により 1,404,740円の資金を集め、 2021/09/30に募集を終了しました

マダガスカルで初めて日本人夫婦が設立したアパレルブランドです。 現地の小さなアトリエにて、マダガスカルが伝わるようなカゴバッグを手作業でひとつひとつ製作しています。 バッグを日本に広めて、大好きなマダガスカルに新しい雇用を創りたい!

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皆さん、はじめまして!ご支援いただきありがとうございます。AMPIANAの吉田彩虹(あやこ)です。現在は、出産のため一時帰国をしています。妊娠7ヶ月+コロナ禍真っ最中に、私たちの住んでいたマダガスカルの東海岸トアマシナから4日かけて日本に帰国しました!笑そして、無事に元気すぎる女の子を出産しました!今日は、これまでの商品製作について少しお伝えできればと思います。やっとこさ、最初の1人の作り手さん(ジャダさんといいます)が見つかり、商品製作を開始することができたのが2020年の1月頃です。最初は、ジャダさんと彼女の親戚の2人で製作をしてくれていました。今ではオンラインでもなんとか細かいニュアンスもある程度説明できるようになりましたが、最初はかなりわかってもらえないことが多く、トホホな日々が続いていました。。。ですが、ジャダさんは本当に根気よく私の拙いフランス語と説明の意図を理解しようとしてくれていました。それがあったから、今日まで頑張れてこれたと感謝の気持ちでいっぱいです!彼女にマダガスカルの楽しい文化や慣習をたくさん教えてもらいました。商品製作の最初の方は、持ち手をレザーで、布製のロゴタグやジッパーも取り付けようとしていました。ラッピングやダンボールのデザインなども考えて、段ボールの中は不織布ではなくマダガスカル帆布の袋に入れる等、やれることは何でもしようという感じでした。レザーもタグも、材料や業者を探すだけで一苦労で、首都で頼んでみたり、日本や南アフリカで探したりもしました。帆布の袋も発注をかける直前までいきました。タグもサンプルを製作して、取り付け方法を考えていました。ところが、色々とやっていけばいくほど、当然と言えば当然ですが、既製品感が出てきて、マダガスカルや手仕事感がどんどん薄れていきました。そして、ふと「日本ではこれが普通だけど、これって必要?」と色んなところで思うようになりました。ロゴタグや製品タグって絶対無いといけないのかな?ラッピングや発送用の段ボールのデザインってそんなに重要なのかな?とかとか。きっと、無くてはならないものってもっと違うところにあって、私たちが届けたい思いって何なんだろうと思うようになりました。そうして、考えを改め「マダガスカルではどんな感じか」を意識しながら初めからやり直すことにしました。製品タグの取り付けをやめたり、緩衝材を使わないようにしたりと省けるものは全て省いていきました。そして、作り手の皆んなが何日もかけた手仕事と思いが見えなくならないように、小さくシンプルに、でもこれが象徴になってほしいと、マダガスカルカラーの3本線のマークを商品に付けることにしました。いつかブランドが大きくなっても、有名になるのは【AMPIANA+】のロゴではなく、マダガスカルであってほしいという思いも込めて。


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AMPIANA代表の吉田泰己です!早速ご支援いただいた皆様、本当にありがとうございます。これまでの活動を少しずつご紹介したいと思います!前職でマダガスカルに来て1年が経過した頃、一時帰国中に結婚式を終えて、妻を連れてマダガスカルに戻りました。妻は、退職して来ていたので毎日一日中フランス語三昧でした(今思えばなかなか酷だったなと思います笑)まだまだ発展途中のマダガスカルでの生活環境は、日本とはまるで違い、停電なんて毎日必ずあるし、シャワーはチョロチョロだし、道路は未舗装ばかりだし...と大変な生活ですが、現地の人の大らかな人柄と広くのんびりとした雰囲気に段々と心地よさを感じるようになりました。そして、住んでいくうちにマダガスカルのおもしろいところが沢山見つかってきました。家で靴を脱ぐ人と脱がない人がいたり、自転車タクシーはどこまで行っても30円だったり、子供でも2合くらいお米を食べるのが普通だったり、日本と数字の書き方が違って読んでもらえなかったりと毎日笑ってしまうような出来事ばかりでした。自然とマダガスカルが好きになり、何となく直感でここに住みたい!マダガスカルで何かしたい!と思うようになりました。それから、マダガスカルで起業したいと妻に話した時に「前から決めてたんでしょ、ここだったら何でもできそうだね」って言われたのを覚えています。たくましい妻を持ったなぁと感謝です笑さあ、ここで生きていくことは決まったけど何しようか...って感じでした。日本食レストランするかと閉店する韓国料理屋の調理器具一式を購入したこともありました。そんな頃に妻が市場で初めてカゴバッグを買ってきました。見て見て〜と嬉しそうに見せてきた妻はとってもワクワクに満ちている感じで私もワクワクしたのを覚えています。それから妻とこれをしようという話になるまでそう時間はかかりませんでした。マダガスカルが伝わるようなカバンを作れたらきっと楽しいよねって。しかし、調べれば調べるほど逆境ばかりでした。素材のラフィアは私達が住む東海岸とは真逆の地域で生産されていることに加えて、私たちの住む場所では作り手も少なく、全ては首都に集中しているということでした。なので作り手探しは難航して、あっという間に数ヶ月経過していました。絶対ここでは無理だから辞めた方がいいと何度も言われていましたが、何故か絶対にできる!といつも根拠のない自信がありました。ある日、妻のフランス語の先生に作り手を紹介してもらいました。直感でなんかこの人とならできる気がする!と思ったのを覚えています。まだフランス語も十分に分からない妻でしたが身振り手振りでこういうのが作りたいと説明しました。しかし、待てども待てども完成したとの連絡がありませんでした。2ヶ月後くらいに連絡があり、受け取るとあまり良いものとは言えませんでした。愕然としましたが、おそらくこれまでに作ったことがないものは、かなり難易度が高いのだと、私たちも編み方や素材の性質を研究していきました。説明して、完成して、愕然として、、、そうやって何度も繰り返しやっていくうちに納得のいくものができるようになりました。それから、これをブランドとしてやっていこうということになり、単なるファッションアイテムの一部としてだけではなく、製作の背景やマダガスカルの文化や慣習も知ってもらうことで、誰かの日常の一部にほんの少し、私たちが感じたようなワクワクがプラスされたらいいなと思い、マダガスカル語でプラスを意味する「AMPIANA」をブランドの名前としました。