こんにちは。プロジェクトオーナーのGERBELIONです。
夏至を過ぎ、秋の夜長が始まろうとしている今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
去る6月21日、日の出の時刻から始まって4作品をYouTubeチャンネルにアップロードしました。
LITHA
https://www.youtube.com/playlist?list=PLjGGgY4jwBdsGYZgC1sbWYPKHDQ-yoh3B
以前の活動報告にも書いたとおり、現在のGERBELIONは「変容」の過程にあります。
「夢」はただの睡眠時の幻覚であり、意味はなく、正気をもって事実を真っ向から受け止めなくてはならず、真実などは自分自身のものでしかない、言うなればそれを抱え込みそれを通して世界を見るのは狂気であるという話を2021年の作品で伝えてきた私たちが、今度はあえてその狂気を通過しようとしているところです。
これは何の話かと言うと、次回予告です。
本日、暦の上では立秋。
西洋の魔術の世界では1回目の収穫祭「ルーナサー」というお祭りに関連しているようです。
秋は収穫の季節。
歴史が始まる前、ヒトはケダモノだったと誰かが言っていましたが、文明が栄えるにつれてヒトは自然から一方的に搾取してきました。
持続可能な社会が叫ばれる昨今、一切合切を奪わないことはできないのなら、自然の法則に則って「作りすぎず」「使いすぎず」「捨てすぎず」に生きる工夫が必要になるわけで、
それは自然の生き物の営みに学ぶことができるといえるでしょう。
つい先日、メンバーふたりでこんな話をしました。
「ヒトとそれ以外の動物は何が違うのか」
感情の有無でしょうか?言葉の有無でしょうか?
これについてはさまざまな議論がなされていますが、私たちは「責任を取るかどうか」もそのひとつではないだろうかという結論に至りました。
シマウマを食べたライオンが、そのケジメをつけにシマウマの群れに草を上納することはあるでしょうか。
草を食べたヤギが、土を耕して種を植えるでしょうか。
ヒトは自然界の最終消費者です。自然から得たもので、自然に帰せないものばかりを生産して、使って、捨てているのです。
数世紀にわたって行われてきたその営みの責任を取るために、せめて自然に帰せる行動にシフトしようという動きは世界各地で起こっているわけです。
「これが田舎のバンドのボーカルが書く文章か?」という感じになってきましたが、何が言いたいかと言うと、
収穫祭が始まる以上、このプロジェクトで皆さんが私たちに与えてくれたものを返せる形でお納めしようというわけです。
太陽の輝きがピークに達した夏至、
金色の蛹は無限の可能性を示唆し、
不死鳥は細胞分裂を始め、
未来の私たちへの線が引かれ、
それはアナログな現実の世界へと根を張る。
それを明らかにしてから5日後、ボーカルは
「あと500日で新体制(status: RUBEDO)を確立する」と宣言しました。
500日で何ができるでしょうか?
変容の最終到達点まで、たった500日しかありません。
死にたくなければシートベルト。
これもひとつの合言葉です。
それでは、秋分の日に会いましょう。