2021年12月12日(日)
柴橋岐阜市長をはじめとして、岐阜町や岐阜市に関わるたくさんの方にお集まりいただき、
株式会社 岐阜まち家守 設立披露会を行いました。
披露会後の懇親会では、もちろん「岐阜ビール」でカンパイ!
伊奈波通りの岐阜麦酒醸造所を第一号案件としながら、伊奈波を中心に、岐阜町を盛り上げていきます!
長いですが、以下に、株式会社 岐阜まち家守の設立趣旨文を掲載させていただきます!
株式会社 岐阜まち家守 設立趣旨書
岐阜町は、斎藤道三公がその礎を作り、織田信長公が広げ栄させ、織田秀信公が城下町として治め近世への橋渡しを行った、戦国時代のまちづくり思想を今につなげる貴重な戦国城下町です。長良川水運の要所である中河原湊(川原町)がもたらした富がその経済的基盤でした。
近世は尾張藩領として町人文化が栄え、近代には岐阜町の気概と文化を継承する旦那衆が岐阜市政及び県政の礎を築きました。明治24年の濃尾大震災による壊滅的な被害を受けながらも復興し、原三渓や川合玉堂、勅使河原直治郎や名和靖など、数々の偉人を輩出・ゆかりとした、文化都市として成長しました。そして、昭和に至るまで、職住一体のライフスタイルをベースに、ありとあらゆる商店の揃う商業都市・鵜飼を核とした観光都市として、ルイスフロイスのいう「バビロンの賑わい」を思わせる町であり続けたのです。
近年は商店の減少に伴い伝統的な建造物が減っていく中、景観まちづくり計画をもとに、川原町、井の口、伊奈波それぞれのエリアにおいて官民の協働による景観まちづくりが進み、現代の岐阜町にふさわしい景観と建造物が整備・維持されてきました。
一方で、市内トップクラスの少子高齢化地域でもあり、不動産主の高齢化・空洞化(所有者の県外在住化)が進んでおり、岐阜町の景観を担う重要な建築物が壊されてしまう速度が上がっています。
私たちは、岐阜町の生活文化と歴史を今につなげる、素晴らしい景観と建造物を守るために、空き家・町家を活用し続けることのできる、この町・この時代ならではのビジネス・担い手との戦略的なマッチングが必要だと考えます。
歴史文化の継承と賑わいの創出を両輪として、具体的に一軒一軒の建物・土地の可能性を引き出し、未来にその可能性を開いていくため、エリアマネジメントに取り組んでいく所存です。
500年近く続いてきた先人のまちづくりの情熱を受け継ぎ、100年後にもこの誇りある町を継承していくため、岐阜町に住み商う皆さんとともに丁寧に仕組み作りを行なっていきたいと思います。
株式会社 岐阜まち家守 設立発起人 一同