おはようございます。
昨日(1/10)の20時放映のBS 11ch 『京都浪漫 悠久の物語 昔話の旅』はご覧になられたでしょうか?
私も再度見て、改めて浦嶋神社の歴史は正に悠久の物語であるとしみじみと再認識しました。
特に一般的にはあまり知られていない、いわゆる民話として全国的に知られている物語のその後を興味深く見ていました。
約300年後に帰郷した浦嶋子(浦嶋太郎)亡き後、どのようにして浦嶋子が地域の人々によって祀られ浦嶋神社が継承されていく様子が描かれた絵巻物の解説を感慨深く見ておりました。
さて、今回は昨年支援者の方から浦嶋神社にある神亀御守りと玉手箱についてお問合せがありました。
それについて回答させて頂いた事を皆様にも是非知って頂きたく、この事を活動報告としてアップさせて頂きます。
神亀御守りと玉手箱について
授与品の神亀御守と玉手箱に興味を惹かれるのですが、お守りとしてどんな願いがある人向けでしょうか?
教えてください。
との質問に対してお答えさせて頂きました。
以下はその回答内容です。 ↓
神亀(しんき)の御守りは亀姫(乙姫)と云います。
乙姫は亀姫(かめひめ)、神女(おとひめ)とも言われ、浦嶋子(うらしまこ)、いわゆる浦嶋太郎と結ばれました。
(上記の写真解説の中にある場所は髙御座(たかみくら)と訂正させて頂きます。)
この事から今日でも亀姫は美の化身、愛敬神、縁結びの神と崇められ、「 幸福を導く神様」として御神徳を頂いています。
神亀御守りは伊勢神宮の御守等を掘る職人の方々に作って頂いており、長さ13cm〜26cm、4種類ございます。
余談ではありますが、浦嶋神社は亀を神様として考えています。
昔から町内で子供達が亀を見つけ捕まえ浦嶋神社に持って行くと、宮司さんが50円〜100円くれました。(45年程前の相場ですが)
そして引き取られた亀は神社敷地内にある池に放されました。
夏に神社の池を見に行くと、池にある石垣や石の上で多くの亀が甲羅干しをしていたのを記憶しています。
また、町内にある各漁港や漁師の網に海亀が掛かると、生きていれば船に詰んで有る御神酒を飲ませ、感謝の念を持って再び海に帰します。
稀に息絶えている場合は、剥製にして家で守り神として祀る、もしくは剥製にして神社に奉納します。
実はこの神社にある神亀御守りの存在と海亀が間違って漁師の網にかかった時の対応というか地域に伝わる習わしについては、地元の若い世代にはあまり知られていません。
私もその一人であり、浦嶋神社やその歴史に深く興味を持ちはじめ、この支援プロジェクト事業に携わるようになってから恥ずかしながら知りました。
地元で育った子供の一人として、子供の頃は亀を見つけて捕まえて、神社に持って行くとお小遣いが貰え、それでお菓子を買って食べられる!
という事だけを常日頃から真剣に考えて幼少時代を過ごしておりました。
この事を知り得たのは、50を過ぎたおっさんになったつい最近の事であります。
話がズレてきましたので本題に戻ります
海亀の剥製の中には拝殿にてお祀りしている物もあります。
神社拝殿の向かって左側に、いつの時代の物かは把握しておりませんが、まだ薬品のない時代に造られた当時としては珍しいとされた亀の甲羅の剥製が祀られています。
また、実際に神社に参拝された折に神亀御守を購入され、数十年間大切に肌身離さず御守りとして身につけられている方のお話も聞きました。
その方のお話によれば、仕事中、幾度となく危険な任務を凌いでこれたのは、この神亀御守りのおかげとおっしゃられていたそうです。
関東在住の方ですが、今でもその神亀御守りを袋に入れ常に身につけ、既に亀の形の彫刻も擦れてツルツルになっているようですが、今も変わらず身につけておられるとの事です。
そして時間があれば不定期とはいえ神社に御参拝に来てお参り頂いているとの事です。
次に玉手箱について簡単に説明させて頂きます。
玉手箱は室町時代に足利家から奉納された物です。
正式名称を亀甲文櫛笥(きっこうもんくしげ)と言い、大小2つの箱の表面には亀の甲羅をモチーフにしたものが描かれています。
2つの大小の箱で一対となり、この2つを合わせて一合(ひとあい)と呼びます。
中身はいわゆる化粧道具一色が入っています。
櫛笥(くしげ)〜玉櫛笥は化粧道具箱の事であり、現代でいうところの化粧ポシェットの様な存在です。
中には化粧筆(刷毛)や櫛、香、御白いや頬紅等の色付けの際に使う化粧パレットのような物等が入っています。
諸説ありますが一説によれば、化粧をする行為は、昔話は一時的に神に近い存在になれる、神に近づけるという様な意味合いもあったとされています。
また水晶で出来た玉(ぎょく)も中に入っています。
水晶はお守りとしての意味もあり、哲学者である梅原猛氏によると
弥生の文化でもありお守りでもある。
弥生時代、現在の富山から福岡にかけて日本海側に存在したお守り。
儀式の際にもこの水晶が用いられ太陽より頂いた火は篝火(かがりび)として神前に捧げられたとも云われています。
現に、この水晶(玉)を太陽にかざし得た火は聖火として神事に用いられる事もあります。
京都国体の聖火としても実際に用いられました。
非常に精巧に作られており、現在もそのままの形で残っています。
途中に追加説明が入り長くなりましたが、これら全体を櫛笥(くしげ)と言い、これが俗称「 玉手箱」と呼ばれるものです。
玉手箱というのは神社側からすれば、あくまで俗称ということですね。
以上が、支援者の方からのお問合せにお答えした内容に一部加筆し、掲載させて頂きました。
最後まで拝読して頂きありがとうございました。
残り5日間となりましたが、皆様による支援の輪の拡大を切にお願いし、今回の活動報告とさせて頂きます。