こんにちは。
プロジェクトリーダーの古川です。
今日は少し、真面目な話を。
そらのまちほいくえんの教育や在り方の根っこの部分について。
私たちは、阪本啓一先生から大きな影響を受けています。
『大学』という本を、職員全員で読んだり、阪本先生にお越しいただいて職員向けに特別講義をしていただいたりしています。
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大学の道は
明徳を明らかにするにあり
民に親しむにあり
至善(しぜん)に止(とど)まるにあり
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から始まるこの教えは、は「大人(たいじん)になるための学」で、簡単に言うと人に背中を見せる大人としてどうあるべきかということが書かれている書物です。
明徳とは、外に現れる徳のこと。私たちでいうと、多くのみなさんの目に触れ、評価いただいている保育園の活動全般の部分。その明徳を磨くためには「玄徳」=表に現れない根っこ の部分をいかに磨くかが大事。
民に親しむの「民」とは、園児、保護者、取引先の業者さん、地域の人々、そして中で働く職員。その全てにきちんと向き合い、言葉を尽くし、分け隔てなく相手を思いやる。
至善に止まるの「至善」とは「善悪」とは一線を画した概念で、善悪といのは立場が変われば善か悪かの判断が変わる(例えば、英雄であるはずの桃太郎も、鬼の子どもから見たら「親を殺した悪いやつ」)のに対して、「至善」は時代や国籍、宗教が変わっても変化しない絶対的な善のこと。
自分の目先の利益ではなく、至善からブレない。
一度や二度読んだだけではなかなか理解できないこの古典を、車座になって何度もなんども読み返すことで、少しずつ理解が深まる。時には職員が先生になったり、私 古川が自分なりの解釈を伝えたりしながら読み進めています。
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鹿児島には、【郷中教育】という素晴らしいシステムがあります。
「先生」が一から十まで教えるのではなく、同じコミュニティに属する年長者が年下の子どもたちにいろいろなことを教えていくシステムで、共に学び合うという土壌が存在していました。
ひより保育園で、心がけていることの一つに「保育士が前に出すぎない」という点があります。
たとえば、この給食の風景を見ていただくと、園児たちがお互いに食器の並べ方を教えあったり、お味噌汁のつぎかたを教えてあげたりしているのがわかると思います。
日々の保育でも、園児たちはまず、登園したらその日の自分の気持ちを仲間たちに話し、今日何をするかを話し合い、活動をしていきます。
大人の力が必要な時は「ヘルプカード」というカードに、自分たちがなぜその活動をしたくて、そのためには大人のどんな協力が必要なのかを書き園のエントランスに掲示して、それに興味を持ってくれた大人(時には園外の大人も)たちと粘り強く交渉をして、自分たちの成し遂げたいことを実現させていきます。
私は、今の時代の子どもたちに必要なのは、何かを覚えること(知識)ではなく、言葉を尽くし、人と関わり、自分の人生を生き抜く力だと思っています。
その子どもたちに接する中で、私たちがブレない軸を持っておく。そのために『大学』を大事にしています。古典は、理にかなっているからこそ、その長い歴史の中で語り継がれて残ったものです。それは「本質」であり、時代がどれだけ変わっても変化せずに残り続けていくもの。
薩摩偉人、西郷さんの教えをまとめた「南洲翁遺訓」を読んでも、西郷さんが『大学』や『論語』をいかに大事なさっていたかがわかります。
4年前に阪本先生の講義を受けていた時に「やる」と決めて、今の今までできていなかったことの一つに、その鹿児島の歴史を「かわいい!」から入って、少しずつ学んでいける取り組み。
あまり歴史に興味のない若い人たちが手に取りたくなるデザインで、鹿児島にこんな人たちがいたんだ〜と知ってもらうきっかけを作りたい。
その思いを、スピッカートさんが、かわいい手ぬぐいのデザインにしてくださいました。
この手ぬぐいを買っていただいて得られた収益は、園の3階の「地域交流スペース」に置くテーブルを購入する資金に充てさせていただきます。
地域の皆さんと、園児や職員が交わり、化学反応を起こしていく。その中心になるテーブルの一口オーナーに、ぜひなってください^^