毎日祈るような気持ちでCAMPFIREの更新ボタンを押す中の人達です。
ご支援下さった皆様、これを読んで下さっている皆様、本当にありがとうございます。
日々頂くお心遣いや優しい言葉に、私達は深く励まされています。
システムの仕組み上、ご支援下さった方々の具体的なお名前やメールアドレスを、私達はプロジェクト終了日まで拝見することが出来ません。なので、「あれ、支援したのに〇〇氏の反応無いな~」などありましたら、直接メンバーに遠慮なく「協力したゼィ!頑張れよぅ!」とお声がけ頂けると私達も大変励みになります。
ご支援も50万を超え、支援者様も80人…本当にありがたいです。
達成率ゲージ(金額の下の色のついた棒)の色がどんどん濃くなっていくのに気づきました。
100%に届いたら何色になるのでしょう。楽しみでなりません。
ジワジワと、でもまだまだ。
是非、まわりの身近な方にもこのプロジェクトの存在をご紹介いただけたらと思います。
今日のお話の主役はスタジオに訪れる天使、アイドル…お子様(ダンサー)達です。
最初はママの足にしがみついて泣いているチビちゃんたち、気付くと元気にそれぞれ遊んでいたり、見様見真似で一緒に踊っていたりします。羨ましい!なんて英才教育!
今回のクラウドファンディングチャレンジに当たり、中の人は改めて自分とダンスについて向き合う良い機会となりました。多分他のメンバーも…。
なぜ、こうまでしてスタジオを守りたいのか。なぜ、ここで踊りたいのか。
なぜ、私はフラ、タヒチ、…ダンスが好きなのか。
きっと、十人十色、メンバーそれぞれにさまざまなストーリーがあると思います。
…中の人がフラダンス(+タヒチアンダンス。当時は区別がついていませんでした)と出会ったのは三十ん年前、今の先生のお子さんたちぐらいだったと思います。
(そこ、計算しない!)
地元近くにあの映画「フラガール」の舞台になった福島県の「スパリゾートハワイアンズ」(当時は「常磐ハワイアンセンター」)があり、よく家族で遊びにいっていました。ここでは毎日「ポリネシアンダンスショー」が行われており、幼気な少女時代の中の人(そこ、笑わない!いや、笑って!)は美しく、激しく、優しく、華やかなポリネシアンダンスの世界と出会うのです。
迫力満点のショーにがっちりと心を掴まれるのは勿論、ショーの後には「体験コーナー」があり、子供たちがステージ上に呼ばれ、綺麗なお姉さんたちに首からレイをかけて貰い、簡単な振り付けを教えて貰って一緒に一曲踊ります。少女中の人は、もうこの体験でメロメロです。
家に帰ってすぐ、そして何回も自分で紙の工作でスカート(今思えばいっちょ前に“モレ”でした)を作り、母親の目を盗んでドレッサーから化粧品を拝借し舞台メイクをし、ご満悦で自作の踊りを楽しんでいました。
実家のアルバムに当時の犯行写真がしっかり残っておりました。恥を忍んで出血大サービス。
しっかり昭和感ありますね。上下ともどうやらデパートの包装紙のようです。
中の人には今でも姉に絶対服従の優しい弟がおりまして、どうやらこの時も立派にタネ(男性)ダンサー役を務めてくれていたようです。
(写真の肖像権については、立派な大人に成長した弟からしっかりぶんど…承諾を得ています)
…しかし、成長するにつれていつしか興味は他のものにうつり、現在の30代中盤に至るまですっかり「いつか」の存在になっていました。
スタジオの戸を叩くに至るきっかけはなんだったのか定かではありませんが、体験レッスンを受けた時の「私やっぱりこれやりたい!!!」と物凄く興奮した幸せな気持ちはよく覚えています。その日、よく風の通るスタジオで朝日を受けながら気持ち良くストレッチをしたことも、やさしく声をかけてくれた先輩たちのことも。
三つ子の魂百まで、とはよく言ったものです。
そして、やりたいことを始めるのに「もう遅い」ことなんて何もありません。
いつからでも、いちから始められます。少なくとも、RURUANUAでは。
今は私達が、幼い子供たちに夢と可能性をプレゼントする番。
(…時に、年齢は自分の半分以下でも技術と経験が倍以上の立派な先輩もいますが…)
これからも、スタジオで、ステージで、たくさんの「素敵!楽しそう!」「私もやってみたい!」を届けたいと思います。
しまった、自分の話がだいぶ長くなってしまいました。ご容赦ください。役得です。
RURUANUAにはキッズスペースがあり、お子さんもスタジオにウェルカムです。
(そうそう、これを言いたかった)
一緒に踊ったり、おもちゃで遊んだり、ママと一緒に楽しい、心地よい音楽を楽しんで貰えたら、そして未来のダンサー候補になって貰えたら嬉しいです。