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16歳、学びを変える挑戦!美しいミャンマーを伝える「かるた」を作りたい!

いまミャンマーはクーデターの渦中にあります。自由も、平和も、当たり前ではない国がある。私たち若者が世界の問題を「自分ごと」として受けとめるために、ミャンマーを伝える「かるた」作りの資金をご支援ください。若い世代が異文化と多様性を知り、5年先の未来をつくっていくために、応援してください。

現在の支援総額

3,096,500

206%

目標金額は1,500,000円

支援者数

322

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2021/11/30に募集を開始し、 322人の支援により 3,096,500円の資金を集め、 2022/02/01に募集を終了しました

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現在の支援総額

3,096,500

206%達成

終了

目標金額1,500,000

支援者数322

このプロジェクトは、2021/11/30に募集を開始し、 322人の支援により 3,096,500円の資金を集め、 2022/02/01に募集を終了しました

いまミャンマーはクーデターの渦中にあります。自由も、平和も、当たり前ではない国がある。私たち若者が世界の問題を「自分ごと」として受けとめるために、ミャンマーを伝える「かるた」作りの資金をご支援ください。若い世代が異文化と多様性を知り、5年先の未来をつくっていくために、応援してください。

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かるた の付いた活動報告

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クラファンも最終日ですこんにちは。プロジェクトメンバーの石川です。いよいよヤンゴンかるたのクラウドファンディングも最終日を迎えました。2月1日という日を迎え、多くの皆さんが1年前の感情やこの1年の推移を思い起こされていることかと思います。参議院会館で行われましたこの日の前後にかけて、全国各地でミャンマーに関するデモやイベントが企画されています。昨日は、日本とミャンマーの若者主催の院内集会が開催され、ヤンゴンかるたも議員会館での展示やVTR放映などで協力・参加しました。ジャーナリスト北角裕樹氏、上智大学根本敬教授(左から)普段はなかなか接する機会のない議員さんやマスメディアの方にもカルタをお見せすることができましたが、多くの方が興味を示し、ミャンマーの美しい風景に様々な想いを示してくださっていたのが印象的でした。日本にいるミャンマーの日本の人々の心の団結をミャンマーに伝えられた集会だったのではないかと思っています。実際にカルタを体験してもらうだけでなく、展示品としてもヤンゴンかるたが機能することに新たな可能性も感じられました。様々なアプローチを取る今年で、1人でも多くの人に1回でも多くミャンマーのことを考えるきっかけを作れればと思っています。総合司会をしましたこれからも繋がり、ともに歩む本日でこのクラウドファンディングは終了しますが、私たちのプロジェクトはここからが本番です。多くの皆様からいただいた期待とご支援を無駄にすることなく、このヤンゴンかるたを通じて、ミャンマー、そして日本を含めた世界の未来を明るく照らせるような活動をメンバー全員で継続していければと思います。最後になりましたが、僕個人としてもこのクラウドファンディング期間で様々な素敵な出会いがあり、たくさんの温かいお言葉をいただきました。本当にありがとうございます。クラウドファンディングは日付が2月2日に変わる直前まで受け付けております。ぜひ、ご支援や最後の拡散などしていただければと思います。賛同者の皆様と繋がれる機会もこれから増えてくると思いますので、今後ともよろしくお願いします!(石川航)


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プロジェクトを始めた経緯をお伝えしますはじめまして。プロジェクト代表の野中優那です。 私は今年の2月、ミャンマーでクーデターが起きた日、ヤンゴンで、家族と一緒に住んでいまし た。当時、ヤンゴン日本人学校の中学3年生でした。 ロックダウン中のヤンゴンのお店(撮影:野中優那)ミャンマーでは、12月にコロナの感染者が急激に増え、厳しいロックダウンが続いていました。けれど、1月には感染者が減り、2月から、気軽に買い物に出かけられるようになるのではないか、 もしかしたら学校が再開して、対面で卒業式もできるのではないか?そんな期待で、ワクワクしていました。 その頃、「近いうちにクーデターが起きるかもしれない」という噂がありましたが、現地の人々は「まさか起きないよ」と楽観視していました。 その日のことを、私は、忘れることができません。夜中に、珍しく大きな爆発のような音が聞こえました。そして朝6時頃に、クーデターが起きたことを知りました。通信がストップし、電話もインターネットも使えなくなる、という情報が出て、我が家は大騒ぎになりました。その日は、兄の大学受験の出願日だったんです。 2月ヤンゴンのダウンタウン(写真:SNSより)たった1日ですべてが変わっていく・・・そんな信じられないことが実際に起きるということ。平和も、民主主義も、あたりまえではないということを知りました。 結局、卒業式もオンラインでした。私は中学3年生の1年間、一度も学校で授業を受けることはありませんでした。受験も、ミャンマーからオンラインで受験をしました。校長先生と担任の先生が私の住む場所まで来てくださり、直接、卒業証書を受け取ることができたことは幸いでした。卒業生は7人でした。 そして日本に帰国し、私は高校に入学しました。帰国子女が多く在籍する学校なのですが、 ミャンマー帰国と自己紹介すると、クラスメイトから「今内戦してる国でしょ」「危険な国からもどっ てこれて、よかったね」と言葉をかけられたんです。とにかく違和感を感じました。 美しいミャンマーを伝えたいミャンマーは、たしかに途上国かもしれません。医療も脆弱で、野犬もたくさんいるし、停電は頻繁に起きます。レストランで突然の停電も携帯のライトで食事を続けるけれど、優しい人々が暮らす、平和で美しい国だと、私は知っています。美しい日本語を話す若者がたくさんいて、私の大好きな国でした。 こんな形で、ミャンマーから離れることになるなんて、ただ悲しかったんです。 クーデターが起きた当初、人々は歌を歌ったり、音楽を奏でたり、ダンスをしたり、そういった平和的な方法で、パフォーマンスのデモをしていました。しかし、武器を持たない若者たちに、 軍は武力で制裁を始めました。その過程を、わたしは現地にいて、肌で感じていました。でも自分には何もできませんでした。もし自分が怪我をしたり、死んだりしたら、国際問題に発展してしまいます。ですから、とにかく邪魔をしないように、家の中でじっとしているしかありませんでした。 でも、それを知っている日本人の中高生は、数えるほどしかいません。自分は何かをしなくてはいけない、と日本に帰ってきてから、常に考えていました。 私たちにできる支援は何か最初は、食糧支援や募金活動など、ミャンマーの人々が生きるための支援をしようと思っていました。でも、そういった活動は、私のような、お金も力もない高校生に、長く続かないのではないかと思いました。何か他にできることがあるんじゃないか、私たち若者だからこそ、そして現地で暮らした私だからこそ、できることがあるのではないかと考えました。 私と兄と弟ヤンゴンかるたは、まだ平和なときに、兄と弟と一緒に、ヤンゴンの街をブラブラ歩き撮影した写真を使って作りました。ガイドブックにはのっていない、素敵な場所がヤンゴンにはたくさんあります。ヤンゴンで日本の車両が使われていることや、人々が日常的に民族衣装を着ていることなど、日本に帰国したら紹介したいと思って撮影していた写真です。 その平和で美しい情景を見て、改めて、この日常は奪われたんだと思いました。コロナ、クーデ ターの影響によって、子どもたちが学校にいけなくなり、学びが奪われていることにも危機感を感じました。世界は変えられないかもしれないけど、私自身は変われる私たち、若い者にできることはなんなのか。その答えを、私は2月1日からずっと、考え続けています。 私は、それは、ミャンマーについて学び、それを多くの人に知らせて、5年後、10年後の未来につなげていくことだと思い、行動することにしました。でも行動すればするほど、わからないことが増えます。そしてこれまで本当にたくさんの方に出会い、多くを教えて頂き、助けて頂いて、少しずつプロジェクトが進んできました。私はまだわからないことばかりです。ですから、ぜひいろいろなことを教えてください。よろしくお願いします。(野中優那)朝日新聞に掲載された記事