16歳、学びを変える挑戦!美しいミャンマーを伝える「かるた」を作りたい!

いまミャンマーはクーデターの渦中にあります。自由も、平和も、当たり前ではない国がある。私たち若者が世界の問題を「自分ごと」として受けとめるために、ミャンマーを伝える「かるた」作りの資金をご支援ください。若い世代が異文化と多様性を知り、5年先の未来をつくっていくために、応援してください。

現在の支援総額

3,096,500

206%

目標金額は1,500,000円

支援者数

322

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2021/11/30に募集を開始し、 322人の支援により 3,096,500円の資金を集め、 2022/02/01に募集を終了しました

16歳、学びを変える挑戦!美しいミャンマーを伝える「かるた」を作りたい!

現在の支援総額

3,096,500

206%達成

終了

目標金額1,500,000

支援者数322

このプロジェクトは、2021/11/30に募集を開始し、 322人の支援により 3,096,500円の資金を集め、 2022/02/01に募集を終了しました

いまミャンマーはクーデターの渦中にあります。自由も、平和も、当たり前ではない国がある。私たち若者が世界の問題を「自分ごと」として受けとめるために、ミャンマーを伝える「かるた」作りの資金をご支援ください。若い世代が異文化と多様性を知り、5年先の未来をつくっていくために、応援してください。

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国際理解 の付いた活動報告

私たちには、軍事政権下の暮らしを想像することは難しいです。写真家の亀山仁さんから、写真と経験談を頂きました。私がミャンマーへ行き始めた2005年は「軍事政権下」だった。そして2011年ごろから軍の傀儡政権による「民主化プログラム」が始まり、海外投資を呼び込むためアウンサンスーチー氏の軟禁を解き、政治参画を認め民主化は順調に進んでいるように見えていたが10年が経ち、現実はご存知のとおりだ。そのような状況で、私は前の軍事政権下で見聞きし感じたことを思い出している。私はジャーナリストでも研究者でもなく、ミャンマーで暮らした経験も無く年に1度か2度訪れて写真を撮っているだけで、あくまで私個人の記憶と体験ということで読んでいただければ幸いである。 そのころ、友人から聞いたこと。「街中でアウンサンスーチーさんのことを話したり、名前も口にしないでください」軍が軟禁しているくらいだから、そうなんだろうなと納得。「飛行場や駅、役所、軍や警察関係の施設ではカメラはしまってください」これもよく言われる話だ。「国内線のフライトは1時間半前には空港へ行きます」これは理由が分からず聞くと「軍のお偉いさんが乗ると、定刻前でも出発してしまうからです。彼らは並ばずに乗るのでそんなに早く来ることは稀ですが、30分くらい早くなることは何度かありました。だから余裕見て空港へ行く必要があります。」その話をした方は、月に数回国内線にのるので、40分くらい早く行ってしまい、乗り遅れた経験があると話していた。「携帯を真っ当な方法で持とうとすると3,000〜5,000米ドルかかります。」当時、日本では3Gが普及し、殆どの人たちが携帯電話を持っていた。1988年の民主化デモなどの経験から軍政は人々が集まり徒党を組むことを極度に嫌うため、一般の人たちの通信手段を制限していた。「パスポートを真っ当に取ろうとすると膨大な書類と5,000米ドルくらいかかります」若い人が海外へ出て学び、働こうと思うことすら出来ない。「真っ当な方法」と書いたのはそうではない方法が有ったそうだが、詳しいことは分からない。 「私は出生もあいまいで少数民族の出だから一生懸命、陸軍で働いてきたが出世できず、恩給も暮らせるほど貰えない。ビルマ族の若いやつがどんどん出世していったが、俺の働きはあいつらより悪いことは無かったと自信を持って言える」インレー湖のファウダウンパゴダで軍服を着たマンダレーから来たという初老の男性が英語で話しかけてきたときの言葉。このころ、お寺や食堂などで軍関係の人がいることは珍しく無かったし、男の子に将来の夢を聞くと「(国軍の)軍人」と答えることが多く、“憧れの職業”だっだ印象がある。ミャンマーへ行き始めたころは、ヤンゴンの街でもインレー湖の村でも、市場や店に行くと商品はあるし、学校からは子どもたちの声が聞こえるし、道ですれ違うときに控えめに笑顔をみせてくれるし、軍事政権と言われてもビザ取るのが少々面倒なくらいで現地でそれを意識したことは殆どなかったが、写真を撮りながら話を聞くなかで「軍事政権」の実態を少しずつ知ることになった。ある日インレー湖の友人(ホテルやレストランを経営していた)たちとピンダヤへ行ったとき、日帰りの予定が泊まろうとなり、友人がホテルへ英語で電話をしていた。電話を終えたときに私は「ホテルの知り合いは外国人ですか?」と聞いたら「彼女はミャンマー人だよ」との答え。「いつも英語で話すの?」と私。少し間をおいて「電話は誰が聞いているか分からないから、英語の通じる相手とは英語で話をすることが多い」ということだった。このころミャンマーでは携帯電話の普及は程遠く、街中に公衆電話は殆ど無かったため電話は雑貨屋などの店先に置いてあり、それを借りて通話が終わると料金を払うシステムになっていた。私も時々利用していたが、話していると誰かの話声や、何かを切り替えるようなブツブツという音が聞こえた記憶がある。ホテルに着くと友人は当時のミャンマーについて私に話をしてくれた。電話だけでなく私達は常に誰かに監視されている。ホテル経営を続けるために役人やその上の軍に気を使いお金を使わないとならない。ホテルの部屋を1つ増やすための許可を得るため何度も役所に行くし突然役人がホテルに来て宿泊費を払わずに泊まっていくこともあると。賄賂に関しては2016年に同じ地域の村のリーダーに話を聞いたとき、軍政時代にくらべ賄賂はほぼ無くなり役所の対応も良くなったと話していた。仮にも民主化に国が変わり始めた結果なのだろうと、その時は素直に受け止めていた。翌日、帰る途中に寄った小学校で子どもたちは校庭を走り回っていたが、私達を見ると我々が通る道を作って両側に並んだ。友人が一言二言話すと子どもたちは各々遊びに戻った。校舎に入り通された部屋の壁にはアウンサン将軍(スーチーさんの父親)の肖像画があった。 少し驚いたが、校長先生は「軍の言う教育では子どもたちの未来は無い。私はできるだけのことは子どもたちに教えたい」と熱く語っていた。さっき子どもたちが整列したのは理由も分かった。役人や軍が来ると全校生徒で校庭に道を作るように両側に立ち出迎える決まりで、子どもたちは見知らぬ大人が来た時点で条件反射のように動いたとのことだった。教科書を見ながら先生たちの話を聞くと、全科目暗記詰め込み、言われたとおり覚えさせる教育で自らの考えを意見したり議論は無い教育だと知った。加えて、日本の音楽や図工、家庭科、道徳などに相当する科目は無い。自分が子どもの頃、これらの科目の重要性、必要性を意識したこと無かったが、ミャンマーへ行くようになり、必要な科目だと考えるようになった。軍事政権下の暮らしは旅行者が観光地を巡りホテルに泊まりレストランで食事をしている限りでは普通に見えると思う。私にも最初そう見えていた。しかし監視社会による不信感と警察や軍による恐怖が人々の心に重くのしかかり続ける支配に自由は無い。それでも2011年に始まった民主化、2015年の選挙でアウンサンスーチーさん率いる政党が大勝し政権についたころは人々の心が開放され街を歩く人々の表情も明るくなった印象を持っていた。私は軍政から民主化へ変化するミャンマーの人たちを撮影することを通して人として大切なことなど多くを学び得てきた。今ミャンマーの人たちは多くの犠牲を払い、賊軍を排除し民主主義を取り戻そうとしている。私はミャンマーの仲間たちが望む社会の実現を日本から出来ることで応援していきたいと思っている。(文・写真:亀山 仁氏)


政変によって断たれる学びこんにちは。プロジェクトメンバーのAです。先月から開始したクラウドファンディングですが、皆様のご支援のおかげで、早々に目標を達成することが出来ました。改めて、感謝申し上げます。次なる目標に向けて、精進して参ります。さて今回は、本プロジェクトの趣旨にも関わる「ミャンマーの政情と教育」について、自身の経験や知見に基づいて書いてみたいと思います。私はあるとき、ミャンマーの教育について、ザックリとですが、調べる機会がありました。そのとき目についたのが、1988年の民主化運動が軍によって弾圧された後、度重なる大学の閉鎖によって高等教育の質的低下が起こったという記述でした。留学していたヤンゴン大学ミャンマーでは、新型コロナウィルス感染症の拡大や、クーデター後の混乱から、小中高から大学まで、教育機関が閉鎖されてきました。小中高は11月に再開されたものの、クーデターへの反発や、登下校に伴う危険を理由に登校を控える動きが目立ちます。また国軍は、2022年1月からの大学再開を主張していますが、小中高と同様の理由から登校しない学生が多いことが予想されますし、登校するかしないかで政治的立場を問われるような踏み絵を踏まされることも考えられます(身近でそのような事例を見かけたこともあります)。閉鎖されたサッカーグランドが野原に教育を受ける権利と重要性このように、ミャンマーでは、日本で生活していれば考えられないような理由で「学校で学びたい」という願いが絶たれたり、本来必要のない複雑な判断を強いられたりしています。「ミャンマーのような国もあるのだから、日本の学生はもっと真剣に学ぶべきだ」などと言われると、途端に息苦しいような気がしますし、私自身反発心を覚えます。日本においても教育格差が依然として問題であることから、何の抵抗感もなく他国の教育事情について考え、支援をしようと思える状況にある人ばかりでないことも承知しています。とはいえ、私のような日本で生まれ育った学生が、教育環境に関して比較的幸運であることも、また事実であるように思います。少しでも、教育の重要さや、教育を受ける権利について考えていただけるならば、ぜひ本プロジェクトへのご支援をお願いしたいと思います。支援を通し、ミャンマーに興味を持っていただく中で、徐々に考えに変化が生まれてくることもあるかもしれません。クーデター後、民主化を求める人々によって赤く塗られた学校の校門を、国軍が上から黒く塗った跡(ヤンキンの公立学校)未来を見つめる支援クラファン本文中、STEP4の目標として設定している「ミャンマー語版かるた」製作は、現地で十分な教育機会を得られない人々を、直接支援することにも繋がります。また、STEP4の内容を紹介した部分では、ミャンマー語版、日本語版のかるたでそれぞれの国に興味を持った若者が、5年、10年先に交流する未来について触れました。私は、それは決して夢物語のようなものではなく、実現可能な未来であると信じています。まだ少し先...と思っていたSTEP4ですが、いよいよ活動を開始できそうです。近日中に、ネクストゴールについての指針をお伝えいたします。引き続き、我々の活動を応援していただけますよう、よろしくお願いいたします。(A)


当事者は誰か
2021/12/17 08:00

新しい時代を生きる感覚ミャンマーのクーデターに対して「これまでも軍事政権だったんだし、仕方がない」「軍は変わらない」と言う人がいます。今年の2月にクーデターが起きた直後から、ミャンマーの若者は、歌を歌ったり音楽を奏でたり警察官に花束を渡すなど、非暴力で平和的なデモを行い、SNSを活用して世界に発信していました。それは、国際社会へのアピールでした。過去の歴史がどうであれ、「武力による支配はあり得ない」と誰もが思っていたからです。「この理不尽を国際社会が許すはずがない」ミャンマーの若者は誰もがそう思っていたはずです。実際、ミャンマーで暮らす私も、国際社会が黙って見ているはずがないと、信じていました。これまで深く考えたことはありませんでしたが、今の時代を生きる私たち(Z世代とか言われても全然ピンときませんが)は、ミャンマーに住んでいても、日本に住んでいても同じ「世界市民(地球市民?)」だという感覚を持っているのではないかと思います。それなのに、国際社会は目を背け、彼らのSOSに答えませんでした。私はミャンマーにいて、この過程をみている間、仮に日本が某国から支配されたり侵略されたとしても、国際社会は助けてくれないのだ、と危機感を覚えました。そしてミャンマーの問題に対して無関心でいることは、日本の未来に対して無関心なことと同じなのではないか、と思ったのです。日本の学びの矛盾日本では、道徳の授業の中で、いじめに関して「傍観者は加害者と同罪だ」と教えます。私はこの意見に反対ですが、賛同する人は少なくありません。日本は、ミャンマーの現状に対し、傍観者になってはいないでしょうか。傍観者が加害者と同罪であるならば、ミャンマーの若者が追い詰められ、武器を持つようになったことも、地方で弾圧が強まり、多くの避難民が出ていることも、国際社会がミャンマーの問題を傍観し続けた結果だと言えるのではないでしょうか。(日本で教える道徳は、所詮建前なのでしょうか。道徳の教科書に「※政治や外交には通用しません」「※理想と現実は違います」など、注釈が必要ですか?正直、私は道徳の授業にはうんざりでした。)私たちにできることは何かクーデター発生から弾圧が激しくなっていく3月までヤンゴンにいて、一番強く感じたのは「国際社会は何かできないのか」ということでした。もし私たちがGLOBALCITIZENなら、国際社会は、一方的な武力による理不尽を許すはずがありません。内政干渉など、複雑な政治問題がよく話題に上がるけれど、人権が侵害されている現状に対し、傍観することが正しいとは思えません。「もっと早い段階で、何かできたのではないか」と今でも思います。ミャンマーで起こったことは、他人事ではありません。同じ「世界市民」である私たちは、自分の住む世界で、起きている全ての出来事に対して、当事者です。私は常に対話できる人になりたいです。そのために今何をするべきなのか、プロジェクトのメンバー、そして皆さんと一緒に考えたいと思います。(野中優那)


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