昨日NHKラジオに出演させていただきました。上智大学の根本敬教授にお会いしてお話を直接お聞きできる機会なので、わくわくしていました。私たちは、普段の生活の中で、少し言葉や表現の仕方を間違えても、後から補足したり修正したりしながら、なんとなく話しています。例えばプレゼンや発表でも、言い直すことができます。でも、生番組のラジオの「巻き戻せない緊張感」は生まれて初めての経験でした。リハーサルでは余裕があったのに、本番は2分程度押していて、しかも地震速報が途中で入るという、私にとっては(皆さんは慣れているみたいでした)アクシデントがありました。そこで私は、なんと、自分の言うべきことを必死に短縮しようと試みて、大切なことを言い忘れるという失敗をしました。スタジオの時計を見ながら、私は自分で時間をコントロールできると思ってしまったんです。後からものすごく傲慢な考えだと気がつきました。あの場では、私だけが時間をコントロールできない存在だったということに、その時は必死で気がつきませんでした。丁寧に言葉を選ぶいつもは、視覚に頼って何となく伝えてしまっていることも、ラジオでは丁寧な言葉選びで話すことが必要だと知りました。失敗もたくさんありますが、新しいことをするほど発見もあり、教えてくださる方がいます。この2ヶ月間、私たちの拙い考えから始まったプロジェクトを、本当にたくさんの方が応援してくださいました。それに支えられて、ここまで進んでくることができました。ミャンマー人も日本人も、地球に生きている明日でクーデターから一年です。ミャンマーが平和な未来を築いていくためには、きっと難しいことがあるのだと思います。私たち日本人には「多民族国家」を、本当の意味で理解することはできないのかもしれません。でも私たちは、そもそも多様な存在です。そして私たちZ世代は、「地球市民」的な感覚を持っています。それぞれの民族の文化や言葉、考え方を大切にしながら、身近な違いを受け入れていけると思います。私たちには、ミャンマーの人を救う力はありません。でも同時に、日本とミャンマーの未来を作っていくのも、わたしたちZ世代です。自分にできることはないと悲観するのではなく、まずは知ること、そして伝えることが大切だと思います。少し先の未来を見つめて日本にいる私たちにできることは、ミャンマーを忘れ去られた地にしないことです。「いつかミャンマーに行ってみたい」と思う人が増えるように、少し先の平和な未来を見つめて、活動を続けていきます。クラファンは終了しますが、私たちの思いをどうか引き続き、シェアしていただけると嬉しいです。たとえクラファンが終わってしまっても、誰かがこの記事に目をとめ、ミャンマーについて考えるきっかけとなることを願っています。聴き逃し配信はこちらこの後、夜9時からのニュースウォッチ9にて、ピエリヤンアウン選手の特集に、ヤンゴンかるたも少し出るかもしれません。(野中優那)
glovalcitizen の付いた活動報告
新しい時代を生きる感覚ミャンマーのクーデターに対して「これまでも軍事政権だったんだし、仕方がない」「軍は変わらない」と言う人がいます。今年の2月にクーデターが起きた直後から、ミャンマーの若者は、歌を歌ったり音楽を奏でたり警察官に花束を渡すなど、非暴力で平和的なデモを行い、SNSを活用して世界に発信していました。それは、国際社会へのアピールでした。過去の歴史がどうであれ、「武力による支配はあり得ない」と誰もが思っていたからです。「この理不尽を国際社会が許すはずがない」ミャンマーの若者は誰もがそう思っていたはずです。実際、ミャンマーで暮らす私も、国際社会が黙って見ているはずがないと、信じていました。これまで深く考えたことはありませんでしたが、今の時代を生きる私たち(Z世代とか言われても全然ピンときませんが)は、ミャンマーに住んでいても、日本に住んでいても同じ「世界市民(地球市民?)」だという感覚を持っているのではないかと思います。それなのに、国際社会は目を背け、彼らのSOSに答えませんでした。私はミャンマーにいて、この過程をみている間、仮に日本が某国から支配されたり侵略されたとしても、国際社会は助けてくれないのだ、と危機感を覚えました。そしてミャンマーの問題に対して無関心でいることは、日本の未来に対して無関心なことと同じなのではないか、と思ったのです。日本の学びの矛盾日本では、道徳の授業の中で、いじめに関して「傍観者は加害者と同罪だ」と教えます。私はこの意見に反対ですが、賛同する人は少なくありません。日本は、ミャンマーの現状に対し、傍観者になってはいないでしょうか。傍観者が加害者と同罪であるならば、ミャンマーの若者が追い詰められ、武器を持つようになったことも、地方で弾圧が強まり、多くの避難民が出ていることも、国際社会がミャンマーの問題を傍観し続けた結果だと言えるのではないでしょうか。(日本で教える道徳は、所詮建前なのでしょうか。道徳の教科書に「※政治や外交には通用しません」「※理想と現実は違います」など、注釈が必要ですか?正直、私は道徳の授業にはうんざりでした。)私たちにできることは何かクーデター発生から弾圧が激しくなっていく3月までヤンゴンにいて、一番強く感じたのは「国際社会は何かできないのか」ということでした。もし私たちがGLOBALCITIZENなら、国際社会は、一方的な武力による理不尽を許すはずがありません。内政干渉など、複雑な政治問題がよく話題に上がるけれど、人権が侵害されている現状に対し、傍観することが正しいとは思えません。「もっと早い段階で、何かできたのではないか」と今でも思います。ミャンマーで起こったことは、他人事ではありません。同じ「世界市民」である私たちは、自分の住む世界で、起きている全ての出来事に対して、当事者です。私は常に対話できる人になりたいです。そのために今何をするべきなのか、プロジェクトのメンバー、そして皆さんと一緒に考えたいと思います。(野中優那)