ご支援いただいたみなさま、ありがとうございます!
お陰様で開始2日目にして達成率15%を超えることができました!
深く御礼申し上げます。
さて今日は、以前、怪獣映画への想いを綴ったnoteを紹介したいと思います。
※ヒロインからの想いも後日ちゃんと語らせていただければと思いますので乞うご期待!
note:父と観たゴジラ より
「どうして映画を撮りたいんですか?」という質問。映像を作っていて、よく聞かれるのだが、いつも答えに困るのだ。好きなことに理由なんてないさ、と言えれば良いのだが。
一方で、自分の映画好きの原点になった作品はと聞かれたら、間違いなくスターウォーズと平成版ゴジラが挙げられるだろう。
我が家はいろいろなことに厳しかった。朝は早くおき、必ずご飯を食べる。夜は8時以降、テレビを見てはいけない。(NHKはOK)。ゲームはだめ。長男だったこと、父が学校教諭だったことが大きく影響していたと思う。
テレビが全然見られないので、学校で友達が話している話題の半分にはついていけなかった。(まだネットもなかった頃である)
8時までに終わる、サザエさん、ドラえもんなど、学校での話題に話題にのぼるわけもなく、皆が話しているバラエティなど、我が家ではもってのほかであった。
今でも驚かれるが、今までに観たことのあるドラマといえば高校生の時に観たウォーターボーイズくらいである。
そんな我が家だったので、映像といえばもっぱらビデオである。なぜか家にはスターウォーズのVHSがあり、僕はそれの虜になった。何度も何度も観た。宇宙飛行士になりたかった。(その映像が作れるという発想は全くなかった)
金曜ロードショーなど、映画が始まるのは9時からなので、絶対に見ることができない。そこで、クラスメートに録画してもらい、家で見るという作戦に出たのだが、子供が大好きな格闘、銃撃戦などを父が見つけると、これまた怒られるのである。なので、いないときに、こっそりと観た。
自分にとって映画を観るということは、秘め事のような、親に隠れてタバコを吸っているような、ある種反抗的で、自由への戦いとも言える行為であった。
そんな父が、お正月になると唯一、ゴジラの映画を観に連れて行ってくれた。ちょうど平成版ゴジラシリーズがやっていた時だった。
前から約束をしていたのか、どうやって日程が決まったのか今となっては思い出せない。唯一覚えているのは、朝、父が部屋の入り口に立っていて、「ゴジラ、観にいくぞ」というその光景だ。
幕が上がり、東宝のロゴが出る時のワクワクを、僕は一生忘れない。
今思えば、平成版ゴジラはハリウッド映画に大きな影響を受けていたのだろう。「ゴジラvsキングギドラ」で出てくるターミネーター のようなアンドロイドと未来人。「ゴジラvsモスラ」で出てくるインディージョーンズのような遺跡。(入口への階段が崩れていくところは圧巻である)
怪獣以外にもそういった空想を大いに膨らませる要素がふんだんに盛り込まれていた。
当時、座席は指定でなかったので、いつだったか、立ち見だったことがあった。父は私を2時間ずっと肩車してくれた。
お菓子やゲームなどなかなか買ってもらえない家だったが、この時はパンフレットと怪獣のゴム人形のガチャガチャをやらせてもらった。パンフレットには確かスタンプを押すところがついていて、スタンプを押した。
家に帰ると、ゴム人形や既にあったゴジラの人形で、自分なりに物語を再現したり、オリジナルの話を空想した。パンフレットを何度も何度も読み、技やスーパーメカの名前を暗記した。
制作風景の写真もあり、下半身だけ着ぐるみをきた白タンクトップのおじさんがビルを歩いたり、モスラの幼虫が浮かぶプールの写真があったが、当時の僕には、どこかそれがスクリーンの中と結びつかなかった。
エアタンクから呼吸せねばならず、狭い着ぐるみの中で歯が折れた、という話がなぜか印象に残っている。
ゴジラvsデストロイアで、無事デストロイアを倒し、自らも消滅していくゴジラを観て、当時の僕は泣こうと思った。泣いたのではなくて、どこかそれがゴジラに対する敬意のような、自分の少年時代の終わりの通過儀礼のような気持ちがしていた。つまりどこかカッコつけていた。
今となっては、映画の中身よりも、そういった細かい記憶の断片ばかりが蘇ってくる。
----
いかがでしたでしょうか?
みなさんには映画にまつわるどんな思い出がありますか?
機会があればぜひ、聞かせていただきたいです。
それではまた次回!
坂部(監督)