今、東京から神戸に帰る新幹線の中で活動報告を書き綴っております。
昨日はともかく「地震」です、「地震」。本当にビビりました。こんなにビビるとは自分でも思わないくらいビビりました。ほんと、お恥ずかしいくらいに。。。
新宿のホテルに滞在していたのですが、用事も終わり、次の予定までちょっとホテルに戻るか、、、くらいの気持ちだったんですが、もう、揺れに揺れて。。。5階だったこともあるんですが、その後のニュースによると同じ規模の地震が2分という短いスパンで発生していたらしく、異様に長い揺れだったことに動揺してしまいました。
27年前の阪神大震災を20歳の頃、1人暮らしのアパートで体験し、家賃23,000円だった山和荘は全壊となった記憶が、、、こんなに呼び起こされるものなんだ、、、とショックを受けました。
あの時は遠くから呻きのような地鳴りが近づいて来て、、、一瞬で全てのものを破裂するかのような回転とねじれを感じたんでした。思い出した。。。
それとはまた違う、居心地の悪い揺れだったんですが、1人、パニック。なんとか扉の外へ出て、エレベーターは、、、?と近づくと「停止」の文字。ぼやっとする頭の中で絶望を感じながら部屋に戻り、なんとかおさまってくれ、、、と願うかのように「あかんて、、、あかんて、、、コロナに戦争に地震て、、、あかんて、、、」って声に出てしまっていたと思います。
そしてそこから立てなくなりました。。。
●
20歳の頃、あの阪神大震災で、神戸大学での勉学の日々と軽音楽部での音楽の日々を天秤にかけ、どちらもやりたいことだったけれども、「そんな時間はないのかも、、、?」と大学を退学したのでした。
そんな自分が正しかったのか、間違っていたのか、まだ客観的な結果は出ていない、、、というか永遠に出るはずはないのだろうけれど、「まだ答えは出ていない、、、」と念じるしか、立てなくなってしまった自分を取り戻すことはできませんでした。
その後、お腹が空いていたことを思い出し、オリジン弁当で「のり弁当」を買い、こんな時は酔っ払ったらあかんな、とノンアルコールビールを買って戻りましたが、なんでノンアルコールビールが必要だったのかは、、、あんまり思い出せません。水でよかったのにね。。。苦笑
●
もうこれは、20歳のあの頃、差し迫ったと感じていた「選択」の問題ではなく、殺傷与奪を何モノかに委ねてしまっているような感覚で、もしこのまま生かされるのであれば、世のために生きよう、、、そんなレベルの話です。本当に。。。
何に執着して生きることがあろうか。。。
自分の意思とは関係なく死することもあるっていうことが、妙にリアリティを持って迫って来たのだよ!!!!
寝れないよなぁ、、、と思っていたらいつの間にか眠っちゃって勝手に朝になってましたが、どうせ自分はそんなもん、、、と思いながらも、もっと有意義に時間を使わなければ、、、なんて思ってみたり。
ああ。こんなことを書くつもりじゃなかったし、こんなことはnoteに書くべきことだとは思いながらも、現在取り組み真っ只中の「京丹後BEATCAMP」だけは、なんとかやり遂げたい、、、と思う気持ちが強くて。。。
このままダラダラと書いてしまいそうになるので、この辺りで終えます。
穏やかに過ごしたい。火を焚きながら、祈りのようなビートに心を震わせていたい。今は、それだけです。