はじめに・ご挨拶
中内直行と申します。恐らく日本人ではじめて苗族の方を嫁さんとさせて頂きました。最近日本人の中国に対するイメージが戦後最悪との報道が有りました。そしてなんと最近中国人も日本人のイメージが悪化していてます。本当に悲しい事ですね。日本と中国はおよそ1500年間の間友人で漢字だけでなく多くの事を教えてもらいましたね。きっと中国も日本のおかげで良い事も有りました。私の出来る事は微力ですが中国友好を願っております。日本人のルーツの一つが苗族だったら驚きますよね。苗族の一部の人に日本人は苗族の子孫と答える人がいます。当初は全く信じられませんでしたが苗族を知れば知るほど皆さんに伝えたいのです。
このプロジェクトで実現したいこと
日本人の研究者や旅行者に交じり日本人のルーツを探している人が何人もいらっしゃる事がわかりました。その一つが中国の少数民族であるのなら❗️そんな事がわかったら日本人の中国に対する見方やイメージが大きく変化しますよね。悪い方ではなく良い方ですよね。民間レベルから友好ムードを高めます。
プロジェクトをやろうと思った理由
コロナ禍で去年の3月6日以降ほぼお仕事がなくなりました。出来る事からやってみようと言う友人の言葉に共感して今こそこの研究をと思い申込みました。どうか私に機会を与えてください。実は返礼品はお金の価値ほど高価で有りませんが兎に角出来る事で発信してみたいのです。TV局のかたや社内誌等は特番になると思います。
これまでの活動
苗族の人が餅つきをしていたのを偶然発見。きな粉餅は日本の味そのもの。納豆も有る。ただ粘りは無し。山に住んでいるので段々畑での稲作が得意。昔のわら人形話ではないが黒魔術を使う。日本の民族サンカが作った竹籠が苗族と全く同じ。私1人でここまで発見しましたが私以外の研究者はもっと多くの共通点を知ってる事がわかりました。
苗族の嫁さんと一緒に苗族の地に14年間毎年訪れて苗族の方と人間関係が出来ている事。研究者の方ともお会い出来る事。
資金の使い道
苗族の地への上海貴州2名往復格安航空券3960元 台江県 西江 凱里の移動費交際費4600元 貴州空港台江往復乗合タクシー代520元高速代含 西江1泊宿泊食費含1500元 CAMPFIRE手数料4.5万円 御礼15万円 発信用ホームページ作成費雑費7万円 計約45万円
リターンについて
お金の価値に見合うほどのお土産品とは言いがたいですが現地ならではの素敵な民族品を発送させていただきます。
実施スケジュール
2022年1月2日上海発貴州経由で苗族自治区台江着 3.4.5日台江 にてご家族やご友人を通じて認識者達と御面談情報交換。6日西江視察 7日台江にて御礼品購入 8日上海戻り。現地のコロナの影響で前後する可能性はあります。
最後に
ご興味を持って頂けるか不明ですがTVで特集番組が作れる程です。苗族の地に現地に日本人との関係を研究している人が居る事もわかり新たなルーツ解明への期待が高まっております。中国に住んでみると日本は昔の様な活気を失っているのを感じずにはいられませんまが、新たなる衝撃や驚きを日本の皆さんに与えたい。命をかけて海を超えて日本に渡り段々畑を作りながら生き抜いたたくましい日本人のはじまりを知りつつ自分に置き換え日本の再出発の勇気ある1人になってくれる事を願います。勿論自分にも言い聞かせます。
<募集方式について>
本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。
最新の活動報告
もっと見るただいま活動途中です。
2022/03/21 12:00ご支援をいただき誠に有難うございます。紀元前2世紀頃最初に始皇帝から命令不老不死の薬を探すよう徐福は命令されました。徐福はその命令を受けて交換条件に穀物の種や農業技術者、建築技術者、衣服技術者等他若者3000人を越える働き手を連れて倭国つまり今の日本に探しにいくと言い始皇帝はそのメンバーと沢山の船を用意しました。出発後徐福達の船は宮崎、鹿児島、佐賀、福岡、和歌山、三重、秋田、青森にたどり着いた様子で多くの痕跡が各県に残っております。1人でこんなに動けないので徐福と途中で離れ離れになった同行者が徐福の名前を語ったと考えます。徐福は始皇帝の元には戻らず日本で畑を耕し種を蒔きます。諸説ありますし徐福は架空の人とも言う人もおりますがお米は南国地方の物で元々日本には無くDNAを調べたら中国のお米と言う事です。稲は日本で育ち難く今は北海道でも稲作が可能になるほど随分と改良されました。第一次渡来系弥生人と言うのはもしかしたら徐福の事ではないでしょうか?中国の寧波市に徐福記念館があります。そこにはもしかしたらもっと多くの伝説が有るのかもしれません。じゃあ第一次渡来系弥生人の痕跡は?と言いますと稲作の他に日本の山に住む謎の少数民族の山窩ですね。山窩は日本語が話せないのです。山窩が使ってた不思議な文字を苗族の人に見せました。残念ながら今の苗族も北京語を使用している為わからないとの事です。山窩の文字と古代苗族の文字が同じと言う結果を期待していました。和式の結婚式での女性の角隠しは苗族のとある山の銀の被り物にも似てるし納豆もあるし餅つきもするし絶対繋がっているとまだまだ歴史ロマンを追い続けます。あっコロナが落ち着く頃に現地に向かいます。嫁の田舎苗族の地では上海から来る外国人はやはりコロナが心配みたいで…なのでごめんなさい。現地の御礼のお土産物はもう少しお時間ください。必ず必ず発送しますm(_ _)m お土産も難しいですが私の歴史ロマンの大発見をネタに日中友好ムードが高まる時を楽しみにしております。そうそう貴州の一部の町で日本人は苗族の子孫だと言う人がいます。何か手がかりや証言は得られると思うます。完全な証拠にはなりませんが本当に徐福さんに倭の国に連れて行かれたのではと想像が止みませんです。 もっと見る
途中報告です。
2022/03/21 00:35ご支援をいただき誠に有難うございます。紀元前2世紀頃最初に始皇帝から命令不老不死の薬を探すよう徐福は命令されました。徐福はその命令を受けて交換条件に穀物の種や農業技術者、建築技術者、衣服技術者等他若者3000人を越える働き手を連れて倭国つまり今の日本に探しにいくと言い始皇帝はそのメンバーと沢山の船を用意しました。出発後徐福達の船は宮崎、鹿児島、佐賀、福岡、和歌山、三重、秋田、青森にたどり着いた様子で多くの痕跡が各県に残っております。1人でこんなに動けないので徐福と途中で離れ離れになった同行者が徐福の名前を語ったと考えます。徐福は始皇帝の元には戻らず日本で畑を耕し種を蒔きます。諸説ありますし徐福は架空の人とも言う人もおりますがお米は南国地方の物で元々日本には無くDNAを調べたら中国のお米と言う事です。稲は日本で育ち難く今は北海道でも稲作が可能になるほど随分と改良されました。第一次渡来系弥生人と言うのはもしかしたら徐福の事ではないでしょうか?中国の寧波市に徐福記念館があります。そこにはもしかしたらもっと多くの伝説が有るのかもしれません。じゃあ第一次渡来系弥生人の痕跡は?と言いますと稲作の他に日本の山に住む謎の少数民族の山窩ですね。山窩は日本語が話せないのです。山窩が使ってた不思議な文字を苗族の人に見せました。残念ながら今の苗族も北京語を使用している為わからないとの事です。山窩の文字と古代苗族の文字が同じと言う結果を期待していました。和式の結婚式での女性の角隠しは苗族のとある山の銀の被り物にも似てるし納豆もあるし餅つきもするし絶対繋がっているとまだまだ歴史ロマンを追い続けます。あっコロナが落ち着く頃に現地に向かいます。嫁の田舎苗族の地では上海から来る外国人はやはりコロナが心配みたいで…なのでごめんなさい。現地の御礼のお土産物はもう少しお時間ください。必ず必ず発送しますm(_ _)m お土産も難しいですが私の歴史ロマンの大発見をネタに日中友好ムードが高まる時を楽しみにしております。そうそう貴州の一部の町で日本人は苗族の子孫だと言う人がいます。何か手がかりや証言は得られると思うます。完全な証拠にはなりませんが本当に徐福さんに倭の国に連れて行かれたのではと私の想像が止まりません。 もっと見る
途中経過報告
2021/12/16 21:12皆さんのご支援ありがとうございます。この写真は苗族の餅つきです。食べ方は砂糖入きな粉で食べるので日本と全く同じでした。赤飯も納豆とあり繋がりを感じます。問題はどうして苗族が日本に?と言う事になりますが苗族は人口800万人もおり中国だけでなくタイやベトナムにも進出範囲が広がっており一部の苗族の間では日本にも五万人ほど渡ったと言い伝えが今でもあります。この言い伝えが本当なら?と私なりに考えると日本の少数民族の山窩に繋がりました。私は運良く山窩の御子孫にお会いできたのです。山窩は猿の頭の頭蓋骨を抜いて干し首にしてました。これって一部の苗族と同じ習慣なのです。山窩の文字も中国の甲骨文字と似ていると言われました。そして北九州には苗族と同じDNAを持つ方がいらっしゃるのです。私の出会った山窩のご子孫のDNAも許されるのであればDNA検査をしてみたいです。あと少しのところで幾つかの証拠が揃いそうです。研究者の方々TV局の方々どうかお力添えをお願い致します。引き続きわかりました事をご報告します。 もっと見る
有難う御座います。マスコミの方には研究結果をお渡しさせていただき是非とも報道される事を望んでおります。現地でのお写真等のご案内もお渡しさせていただきます。もしご紹介頂きますと大変嬉しく思います。
コメント大変嬉しく思い本当に有難うございます。引き続き頑張ります。