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紀元前2世紀頃最初に始皇帝から命令不老不死の薬を探すよう徐福は命令されました。徐福はその命令を受けて交換条件に穀物の種や農業技術者、建築技術者、衣服技術者等他若者3000人を越える働き手を連れて倭国つまり今の日本に探しにいくと言い始皇帝はそのメンバーと沢山の船を用意しました。出発後徐福達の船は宮崎、鹿児島、佐賀、福岡、和歌山、三重、秋田、青森にたどり着いた様子で多くの痕跡が各県に残っております。1人でこんなに動けないので徐福と途中で離れ離れになった同行者が徐福の名前を語ったと考えます。徐福は始皇帝の元には戻らず日本で畑を耕し種を蒔きます。諸説ありますし徐福は架空の人とも言う人もおりますがお米は南国地方の物で元々日本には無くDNAを調べたら中国のお米と言う事です。稲は日本で育ち難く今は北海道でも稲作が可能になるほど随分と改良されました。第一次渡来系弥生人と言うのはもしかしたら徐福の事ではないでしょうか?中国の寧波市に徐福記念館があります。そこにはもしかしたらもっと多くの伝説が有るのかもしれません。じゃあ第一次渡来系弥生人の痕跡は?と言いますと稲作の他に日本の山に住む謎の少数民族の山窩ですね。山窩は日本語が話せないのです。山窩が使ってた不思議な文字を苗族の人に見せました。残念ながら今の苗族も北京語を使用している為わからないとの事です。山窩の文字と古代苗族の文字が同じと言う結果を期待していました。和式の結婚式での女性の角隠しは苗族のとある山の銀の被り物にも似てるし納豆もあるし餅つきもするし絶対繋がっているとまだまだ歴史ロマンを追い続けます。あっコロナが落ち着く頃に現地に向かいます。嫁の田舎苗族の地では上海から来る外国人はやはりコロナが心配みたいで…なのでごめんなさい。現地の御礼のお土産物はもう少しお時間ください。必ず必ず発送しますm(_ _)m お土産も難しいですが私の歴史ロマンの大発見をネタに日中友好ムードが高まる時を楽しみにしております。そうそう貴州の一部の町で日本人は苗族の子孫だと言う人がいます。何か手がかりや証言は得られると思うます。完全な証拠にはなりませんが本当に徐福さんに倭の国に連れて行かれたのではと私の想像が止まりません。