2022/04/24 09:33

#全ての動機は愛であるべきだ

    

第二次世界大戦の頃、温泉がある別府を保養地として利用したいと考えた米軍は、大分を空襲で焼け野原にしても、別府には一発の爆弾も落とさなかったそうです。だから、京都と同じように別府には古い建物やお店が多く残っています。


所有者の高齢化や建物の老朽化で取り壊されていく建築物の遺品をそんな「別府」という街が文化財として残すということは、日本の歴史や文化を語る上でも、とても意味のあることだと個人的には考えています。今回の企画はそんな別府の鉄輪にあった文化財を残すというプロジェクト。


始まりは本当に個人的な話。1人の写真家の愛が動機で物語は動き始めます。

    

67年間の長きにわたり、大分県別府市の鉄輪(かんなわ)で親しまれた大衆演劇場ヤングセンター。2020年に経営者の高齢化を理由に、沢山のファンに惜しまれながらも閉館しました。2021年に取り壊され、2022年4月現在は更地となっています。今はなきヤングセンターの温泉には男湯に9枚、女湯に4枚、計13枚のステンドグラスがありました。

    

別府出身の写真家「東京神父」さんがその温泉に初めて入ったのが2018年2月のこと。ステンドグラスから差し込む朝日が温泉に色を落とし、キラキラと揺れている様子を見た時「自分が生まれ育った街にこんなに素敵な温泉があったのか!」と感動し、そこから本格的に温泉巡りを始めます。東京神父さんにとっては、故郷への愛が芽生えた最初の場所で、とても思い入れのある場所だったそうです。


ヤングセンターがなくなってしまうと聞いた時、温泉だけでも残せないか、せめてステンドグラスだけでも残せないか、衝動的に取り壊しの現場に足を運んだそうです。現場監督に直談判し、管理会社の許可をもらい、13枚全てのステンドグラスを回収することに成功します。現在は大分県の様々な場所に引き取ってもらい、それぞれの場所で徐々に設置が進んでいる状況とのこと。


東京神父さんは「結果的にそれが別府の宣伝や大分の為になれば嬉しい」と話しますが、このプロジェクトで引き取られたステンドグラス達が大分県の様々な場所で、また新たな命を宿し、そこを訪れる方達と新しい物語を作っていくことを考えると、このプロジェクトの意味の大きさに感動すら覚えます。ヤングセンターという別府の文化がステンドグラスという想いのこもった愛に形を変え、長きに渡り大分の地に残り、また次の世代に引き継がれていくのです。


ステンドグラスが設置された場所に足を運んだ方達が、東京神父さんと同じようにそのステンドグラスに感動し、スマートフォンを片手に、教会にいるような気持ちで、十字を切るようにシャッターを切る姿が目に浮かびます。


写真もステンドグラスも「光」があって初めて輝くもの。設置された様々な場所に足を運び、その土地を歩き、その場所で紡がれる生活の光を観ることこそが、本当の意味での「観光」なのかもしれません。このステンドグラスがあることで、土の人(出身者や移住者)も風の人(観光客や旅人)も一緒にその「光」を目指して、集まれる場所になるのではないでしょうか?

    

「あのステンドグラスのお店で待ち合わせね」そんな会話がこの大分のどこかで生まれる日が来るかもしれません。


東京神父さんの愛から始まったこのプロジェクト。4月20日からは設置費などを集めるクラウドファンディングにも挑戦するそうです。口コミや支援、実際にステンドグラスを観に行く方など、関わる多くの人々の動機が愛であるのなら、そんなに素敵なことはありません。


福田元