皆さん、はじめまして。中西謙介と申します。
奈良県月ヶ瀬の梅農家に生まれ、自動車メーカーで研究開発の仕事に従事した後、梅作りへの情熱と小さな使命感で実家に戻り、専業で梅作りをはじめて4年が経ちました。
現在、7,000㎡(東京ドーム0.5個分)ある梅畑では、南高梅、紅映、白加賀など計10種類の品種を育てており、生梅の他にも、梅干しやジャム、シロップなど梅を加工した商品も手作りしています。
月ヶ瀬は梅林の郷と呼ばれ、江戸時代から続く梅の名所。今でもその景色はとても美しく、日本政府が最初に指定した名勝の一つです。梅作りは未だ生産者の残るこの場所ですが、「烏梅(うばい)」を作る農家は私たち家族の一軒のみ。月ヶ瀬だけではなく全国を見ても私たちは烏梅を作る最後の、唯一の農家になってしまいました。このクラウドファンディングを通して、烏梅のことを皆さんに少しでも知っていただき、烏梅作りを日本に残すための美味しい応援をして頂けたら嬉しいです!
皆さんは烏梅(うばい)という名前を聞いたことがありますか?烏梅は中国から遣唐使が持ち帰ったものの一つで、梅の果実を伝統製法で燻製にしたもの。漢方薬の原料として、また染料として日本で1300年の歴史があります。当時から薬として胃腸や肺、風邪や咳・熱の症状に効くと言われてきました。また、キク科の植物「紅花(べにばな)」と合わせることで鮮やかな紅色の染料ができることから、化学染料のない時代に欠かせない材料として重宝されていました。衣類用の繊維を染めるのはもちろん、口紅や頬紅にも使用され、歴史の中で日本女性を彩った「色」でした。
奈良県の月ヶ瀬地域では700年前から烏梅を作り続けていて、私は烏梅農家の10代目。烏梅作りの最盛期には月ヶ瀬にも400軒以上の烏梅農家がいたとされていますが、明治期に西洋から安価な化学染料が輸入されると烏梅の需要は激減。さらに戦時中の食糧難のなかで腹を満たさずお金にならない烏梅農家は次々と消えていきました。
当時は「終戦後の食糧難の時代になぜこんな時にそんなことをしているのか?」などと、変人だと言われることもあったそうです。しかし、中西家の先祖代々受け継がれている「(天神さんをお祀りするつもりで)売れても売れなくても梅を焼け」という言葉。歴史を残すために、そして伝統的な染色家の想いにも応えるために、烏梅を作り続けた先祖の想いが今も引き継がれ、私たち家族の原動力にもなっています。
燻蒸中は24時間、つきっきりで温度調節をするため、ひとときも気が抜けません。年に一度、烏梅を作る数週間はその年で一番気合の入る時期です。時間をかけて出来上がった烏梅は、紅花と掛け合わせることで、烏梅の酸と紅花の持つ色材が反応し、鮮やかな紅色の染料になります。これを「紅花染め(べにばなぞめ)」と呼びます。近年では、手に入りにくくなってしまった烏梅の代わりに、紅花とクエン酸を使用する染色家の方もいらっしゃいますが、発色の鮮やかさ、透明感は烏梅を使ったものとは大きな違いがあります。
烏梅を使用して衣類用生地の染めを行う染色家は、現代でもまだ僅かに残っているものの、口紅や頬紅に烏梅を使用すること自体が過去のものとなってしまいました。
しかし、歴史を学ぶうちに、現在は作られていない紅花と烏梅から本物の口紅を復活させてみたいと考えるようになりました。食品だけでなく肌に直接触れる化粧品も成分の見直しが行われ始めている昨今だからこそ、アレルギーを持つ方や敏感肌の方へ向けた、低刺激で安全、更には環境にも優しい口紅の可能性を改めて感じています。
紅花と烏梅の口紅は当時から伝統工芸品として大切にされてきました。これまで先人たちの強い想いで守ってきた烏梅作りを後世に残すため、伝統と文化の継承のためにも紅花と烏梅だけを使ったオーガニックの口紅を復活させたいです!
また月ヶ瀬地域には耕作放棄地がたくさんあるため、そこで新たに紅花の栽培を始めたいと思っています。この口紅プロジェクトを地域と連携しながら活性化させることで、伝統産業を再生させ、烏梅という文化を継承しつつ、森を守っていくことにも繋がっていく。地域に還元できる、そんな新しい循環を作ることを大きな目標としています。
春から夏の時期は、梅の収穫や烏梅の製造など農家としての仕事があるため、冬場のオフシーズンを上手に使用し、商品化を進めていきたいと思っています。まずは、商品開発に取り組むための工房設備の着工、化粧品の商品化やデザイン等を、固めていきたいと思っています。
目標としては、2022年の秋には口紅の試作を開始し、2023年の春頃には、口紅製作拠点の完成です。そして、その後、商品の完成を目指します。
「日本最後の烏梅作りを残したい。知られざる梅の魅力を伝えたい。」その気持ち一心でスタートした一世一代の口紅製作。一時的な施策ではなく継続したプロジェクトになるよう、完成のクオリティを高めるため、原料の泥紅を安定供給できる工房施設を作り、化粧品の商品化やデザインなど、それぞれ専門家や専門工場と一緒に開発にすることで、長期的に育てていけるような魅力的な商品づくりを目指します。紅工房では泥紅の生産、烏梅、梅食品の開発のほか、烏梅染体験が出来る設備を設け、地域に人が訪れるきっかけの1つになれたらと思います。今回は、その体制を整えるための先行投資として、クラウドファンディングを行わせていただけたらと思いました。
もちろん資金としてのサポートもですが、これを機に烏梅の存在を知り、私たちの取り組みに共感して仲間になってくれる人がいたら嬉しいな、とも思っています。
支援者の皆さまへお送りするリターンは、ぜひ召し上がっていただきたい、私たちが月ヶ瀬で作る昔ながらのすっぱい梅干しです。
食生活や食の嗜好の変化によって市場の梅干しはだんだんと甘く、塩気が少なくなってきたように感じますが、「塩分カット」や「甘口梅干し」がどのように作られているか知っていますか?梅干しは塩を一定の比率使用することで保存が利くように仕上げます。なので塩分カットや甘い梅干しは塩で漬けた後に塩分を抜いたり、加糖したりして作っていきます。その過程で梅自体の養分やエキス分も一緒に抜けてしまうので、どうしても少し味気ない味わいになってしまいます。さらに塩分が抜けた分、保存が利くように防腐剤などの添加物を使用するため、本来であれば塩だけを使った保存食である梅干しに結果としてたくさんの添加物が足されてしまうのです。
私たちは昔ながらのすっぱい梅干し作りを続けていて、梅と紫蘇、塩だけを使って、昔から食卓に並んでいた酸味の強い、台所の桶で保存されていたあの頃と同じ味わいを守り続けたいと思っています。私たちの畑には10種類以上の様々な品種の梅の木が生きています。古い品種で「城州白(ジョウシュウハク)」という長生きの木だと樹齢200年以上のものも!古い品種や、ぽってりと柔らかい実が人気の「南高(ナンコウ)」など新しい品種、様々なものを育てています。品種によって酸味や食感、味わいは大きく異なります。味のプロでなくても面白いくらい違いがわかるので、ぜひ食べ比べて好みの梅を探してみて欲しいです。
白ごはんや、お茶漬けはもちろん、お肉や茹で野菜と合わせておかずにも。梅干しサワーにしても美味しいですよ。スッパ〜!!と口をすぼめて目を瞑って、みんなで楽しく食べてもらえたら嬉しいです。
生まれてからずっと私の家には家訓のように「(天神さんをお祀りするつもりで)売れても売れなくても梅を焼け」という先祖の言葉がありました。自然とその言葉が私の真ん中にいつもあって、自動車メーカーで仕事をしている時も、いつかは梅作りに、実家に帰るんだという意識がありました。それは小さな使命感のようなものかもしれませんが、私自身が「烏梅を世の中に残したい、歴史と伝統のある烏梅だからこそ何か面白いことができるのではないか」と明るい可能性を信じていたように思います。
烏梅農家がどうして・・・?と思われてしまいそうな「口紅」の復活プロジェクトですが、作り方や歴史を文献を読んで学んでいくうちに心からワクワクしている自分がいました。家業である梅、烏梅を使ってこんな気持ちになれたこと、そしてそれをサポートしてくれる仲間がいることに感謝しています。
ここまで読んでくださった皆さん、本当にありがとうございます!
梅や烏梅の魅力を知ってもらう、それこそが「烏梅を後世に残す」ためにまずは必要なこと。このページを読んで興味を持っていただけたら、それこそに意味があると思っています。ぜひ我が家の自慢のすっぱい梅干しを食べて、烏梅や口紅に想いを馳せていただけましたら何よりの幸せです。
最新の活動報告
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2025/01/30 21:03今朝の朝日新聞で月ヶ瀬梅まつりが紹介されました。今年の梅古庵お食事処は2月8日〜3月31日まで営業し、お客様のお越しをお待ちしています。今も昔も外国の評価や輸入品が好きな日本人ですが、梅も遣唐使によって唐から伝わりました。当時お花見といえば梅。万葉集でも梅が沢山詠まれています。万葉集で詠まれた植物1萩 141首2梅 118首3松 79首4橘 68首5桜 50首太宰帥(太宰府長官)の大伴旅人は梅花の宴を開催。31名の客人を自宅に招いて梅花の歌三十二首が詠まれます。序文は元号令和の由来になりました。万葉集は当時の言語漢字で記されています。『うめ』の発音はあて字である万葉仮名『烏梅』と表記されます。万葉集の『烏梅』は『うめ』の万葉仮名である事が通説ですが、日本文学者である国学院大学の辰巳正明教授はこの『烏梅』は当時伝わった薬としての烏梅に違いない、大伴旅人が梅花の宴で薬の烏梅を披露したのではないかと、令和元年に梅古庵を訪問し熱く語られました。『大伴旅人』辰巳正明著 新典社に詳しく書かれていますので興味ある方は参照下さい。遣唐使と共に伝わった梅のお花見は、遣唐使の廃止によってその地位を桜に譲ります。唐の文化よりも国風文化が見直されお花見といえば日本古来の桜になりました。菅原道真公が好きだった梅は菅公の進言による遣唐使廃止によって人気に陰りが出る事になります。平安京の内裏、紫宸殿もその頃、左近の梅から左近の桜に変わります。(右近の橘は今も変わらず)烏梅は西暦1331年に月ヶ瀬に伝わりました。江戸時代後期には最盛期を迎え、烏梅を作る為に月ヶ瀬には梅の木が10万本植えられていました。烏梅用の梅でしたが、五月川を背景にした満開の梅の景色が美しく、明治の文人墨客が多数訪れる観光地となります。大正11年には日本初の名勝にも指定されました。紅花染めに使われた烏梅は化学染料の普及と共に需要は激減しました。梅の木も伐採され茶や桑畑に変わっていきます。月ヶ瀬の風景と観光事業が失われる事を嘆いた隣町の田中善助町長は月ヶ瀬梅渓保勝会を立ち上げ、月ヶ瀬の梅の伐採を止めました。その会は後に公益財団法人となり、現在も1万2千本の梅の木を管理されています。五月川の瀬に映る梅と月が美しい月ヶ瀬。ぜひ今年の月ヶ瀬梅まつりにお越し頂き歴史と梅の香りに触れてみて下さい。#月ヶ瀬#梅まつり#朝日新聞#烏梅#万葉集#大伴旅人#梅花の歌#梅花の宴#紫宸殿#右近の橘#左近の梅#令和#万葉仮名#五月川#梅古庵 もっと見る
月ヶ瀬付近で栽培された紅花買い取ります
2025/01/19 23:09月ヶ瀬付近で栽培された紅花買い取ります。というつもりで始めた烏梅と紅の会昨年から参加してくれている会員さんが、今春から紅花栽培を始めるとの事で、草刈りとトラクターのお手伝いしてきました。耕作放棄地と言っても草木や花が自然に生えた土地。そこを開拓して野菜や花を植えるのも、太陽光設置するのもどちらも人間が自然を壊す事に変わりないと思う。草刈機もトラクターも大量の排気ガスを出してるし。耕作放棄地よりも野菜や花畑の方が美しいと感じるのは私の個人的な審美基準に過ぎないのだけど、観光地でもある月ヶ瀬は日本の原風景が残って欲しいと思った。米を作っても赤字になるし体力しんどいから、何もしないで自然に戻すか太陽光設置というのは自然な流れ。地主さんは責められない。そこに紅花を栽培してもらい成果物をうちで買い取れば田畑が守られるのではと思い、烏梅と紅の会を始めました。ボランティア隊で畑を守る活動すると楽しいイベントにはなっても、責任曖昧で主体的に動けないし、次第にしてやってる感も出て来て色々問題あり。一方、販売を目指して栽培を始めると顧客の評価があるから品質は上がるし技術力も付く。コスト意識も出るのが趣味とプロの違い。紅花を販売して利益が出ると納税もある。納税は社会貢献。災害現場で救助してくれる専門の公的機関も原資は税金であり、納税する事は大きな後方支援になる。納税しても誰にも感謝してもらえないけど。今回月ヶ瀬で紅花栽培始めてくれた@sat.channellはもっと壮大な計画ありそうだけど、耕作放棄を紅花畑にするという一致点が嬉しくてお手伝い行ってきました。月ヶ瀬付近の耕作放棄放棄地で紅花栽培してみたいという人いたらご連絡下さい。栽培のお手伝いと成果物買い取ります。また、うちの畑で一緒に紅花栽培して収穫した紅花で染物をやる烏梅と紅の会2025も開催します。こちらも是非ご参加ください。#紅花#畑#耕作放棄地#トラクター#紅花染め#烏梅#月ヶ瀬#烏梅と紅の会#梅古庵 もっと見る
烏梅料理会第二弾
2025/01/15 19:252月4日(火)烏梅食事会第二弾を大人の寺子屋余白にて開催します。お申込みを開始しました。烏梅を効かせたコース料理と烏梅のお酒を三井寺町の町屋でお楽しみ頂けます。参加者同士の交流も楽しいです。お申込みはインスタストーリーやハイライトのリンクからお願いします。備考欄に中西の紹介と記載すると今回のみご参加の場合は入会金は不要です。大人の寺子屋 余白のホームページからもお申込み頂けます。宿泊も可能です。@terakoyayohakuメニューアペリティフ 酸梅湯アミューズオードブルスープポワソンソルベヴィアンドデザート紅茶ドリンク(別料金)烏梅ジンフィズ烏梅ジンリッキー烏梅コーラカクテル烏梅コーラ紹興酒梅酒完熟梅ジュース烏梅コーラ玄米ほうじ茶#大人の寺子屋#余白#烏梅#烏梅コース料理#フレンチ#イタリアン#オーベルジュ#和食#料理人#出張料理人#出張シェフ#梅古庵 もっと見る
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