2022/03/03 15:00

今日は、西表島での私の自然体験をシェアさせていただきます。

今から3年前、コロナになる前のちょうど今頃、私は初めての西表島の亜熱帯森林の中にいました。もともと緑の中にいるのが大好きだったのですが、西表島の雄大な自然はそれまで体験したことがないほど、圧倒的な緑のエネルギーに満ちていて。その濃密な空気に触れてものすごく体調を崩していました。

病気なんてしたことがない私は混乱しました。右左上下もわからない感覚、文字通り時空が歪む。どこに立っているか感覚がまったくつかめない。ぐわーっと何か大きな渦に巻き込まれていく。自分が自分でなくなってしまうような感覚を覚えながら、やっとの思いでガイドさんについていき、森林の奥深くの滝に向かったのです。

天高くから降り注いでくるような清冽な水しぶき。まさに浄化の嵐をまともに全身に被っている。偉大なパワーが襲いかかってくる。自分の中の自分がぐちゃぐちゃに壊されていきました。めまいと吐き気と腹痛と全身の震えが大変で、景色を眺める余裕はまったくなく、這いずるようにして森林を出た後は、遭難して浜辺に打ち上げられた人のように放心状態になってしまいました。案内してくれたガイドさんは笑いながら「たまにそういう風に喰らっちゃう人がいるんですよ。」と言っていました。


地元の美味しい料理屋さんでお昼ごはんを頂いたら、だんだん感覚が戻ってきて、魂が肉体に戻ってきたかのような安堵感を覚えました。地に足がついた、という実感です。そして料理屋さんから外に出た瞬間にとても驚くべきことが・・・。

青い空、青い海、緑濃い自然、目に映るものすべてがものすごく、ものすごく色鮮やかな色彩で光っていて。まるでこれまで瞳にかかっていた薄膜がはずれたように、すべてのものがみずみずしくきらめいて見えたのです。西表島滞在を経て、私の感性はまったく生まれ変わってしまいました。

その後は、それまでの人生で身につけてきた制約や自分の外側から与えられた固定概念など、もう必要なくなった古いものを自らの意思で、あるいは強制的に取り外される出来事が次々と大波のように襲いかかってきました。自分を脱ぎ捨てていくのは、大変不安で恐ろしいものでした。「私」というアイデンティティーが無くなっていくのです。存在意義すら見失っていきます。けれども、一見不幸に思われるような大事件も「社会の正解」ではなく、「自分はどうしたいか?私はどのようになれば嬉しいのか?」という自分軸で考えて決済していくと、どんどんどんどん加速度的に理想的な人生に入っていくことに気づいていきました。創造の前には必ず破壊がある。破壊を恐れず、自分軸で物事を査定し、真心の指示するままに進んでいくとその後には想像もつかなかった理想的な大きな幸せがやってきます。


後から知ったのですが、西表島のある八重山列島地方には海の彼方、海の底または地の底にある「ニライカナイ」という概念があるそうで、ニライカナイはエデンの園、桃源郷、極楽のような理想郷のこと、神々の住む光の国があると信じられています。私の亜熱帯森林体験は、まさにニライカナイのお膝元で、これまでの穢を一掃されたようなものでした。私はあのとき大きな目に見えない洗濯機で強制的にグルングルンに回されて、それまでの人生の垢の一切合切を振り落とされ、0に戻されたのだと思っています。これがPHYSISという状態です。私が、生まれる前のPHYSISな状態に還れたのは、鬱蒼と茂る植物たちの呼気の影響だと思っています。きれいなエネルギーの植物の呼気は神の吐息、神聖な酸素。地球の生命にとって酸素は生命の源です。


けれどもしかし、私は植物の生みだす酸素なら何でも良いとは思えないのです。30年近く植物(これまでは切り花でしたが)を扱ってきて、植物にもエネルギーのあるものとそうでないものがあるのを肌で感じています。その原因のひとつは、その植物の生い立ちにあります。これはすごいと感じる植物は、生産者の方がそれはそれは大切に、まるで自分の子供を育てるように心を込めて育てていました。一方で大量生産、流れ作業で育てられた植物には生命エネルギーが少ないです。心がないような無機質で無表情な感覚を受けます。


以前のイベント装飾の仕事のときに、フラワーシャワーをつくるため、よく何百本もの花びらをむしっていたときがありました(かわいそうだけれど)。普段はものすごく安い花を使うのですが、ある時やむを得ず皇室御用達の花を使うときがありました。モーツァルトを聴いて育った花たちです。花びらがはずれないはずれない。ものすごくしっかりついていて。いつもの花はパラパラっと取れるのですが、その時は3倍時間がかかってしまい、とても苦労しました。つまり生命エネルギーの強さがまったく違うのです。


そんな私がハイドロカルチャープランツに出会いました。水と緑の組み合わせに、西表島で感じたような清冽さを感じました。もちろん、ハイドロカルチャープランツのすべてが生命エネルギーに満ち溢れているというわけではありません。正直にお伝えしておくと「これは弱いな〜。」というものもあります。だからハイドロプランツなら何でも良いということではなく、しっかりとこれはいいエネルギーに満ちあふれているというものを選んでお届けしていきます。ときに配送時の気温変化のせいで弱ってしまうハイドロプランツもあります。受け取った方の管理不足(たとえば水を枯渇させた、寒いところにほっておいたなど)の原因でなければ、1ヶ月以内の不具合は無料で新しい植物をお送りします。生命なので、完璧ではないというところも知ってください。


生命エネルギーに満ち溢れたタイプのハイドロカルチャープランツたちは、いつも穏やかにご機嫌で可憐です。どんな時も静かにあなたを見守ってくれます。ただし、忘れないでください。その優しく可憐な植物は、あなたがお世話をして守ってあげないと生きていけないのです。でも心配しないで。土の植物よりは、ずっとお世話は簡単です。きれいな水ときれいな緑が、きっとあなたの空間を浄化してくれます。あなたがかわいがってお世話をしてあげる、植物は静かにあなたに喜びを与えてくれる。そんな美しい植物との共存生活をぜひ体験してください。