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少数民族のマイノリティの子ども達が、途上国のプラスチック調査に挑戦!!

プラスチック問題は今や先進国だけの課題ではありません。 そこで、バングラデシュの子ども達が自らの手でプラ問題の現状を調査します。 調査を行うのは、少数民族であるマイノリティの子ども達です。 民族や抑圧を越えて、グローバルな環境問題を考える一人の市民としての視点を獲得する機会を創出します。

現在の支援総額

543,000

108%

目標金額は500,000円

支援者数

63

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2022/02/12に募集を開始し、 63人の支援により 543,000円の資金を集め、 2022/03/12に募集を終了しました

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現在の支援総額

543,000

108%達成

終了

目標金額500,000

支援者数63

このプロジェクトは、2022/02/12に募集を開始し、 63人の支援により 543,000円の資金を集め、 2022/03/12に募集を終了しました

プラスチック問題は今や先進国だけの課題ではありません。 そこで、バングラデシュの子ども達が自らの手でプラ問題の現状を調査します。 調査を行うのは、少数民族であるマイノリティの子ども達です。 民族や抑圧を越えて、グローバルな環境問題を考える一人の市民としての視点を獲得する機会を創出します。

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脱プラスチック の付いた活動報告

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皆さまこんばんは。ジュマ・ネットの稲川です。リターンとしてもご協力いただいているブランド、「S.(エスドット)」を展開されている株式会社スライバル様にお邪魔いたしました!様々な代替製品の販売を行っている企業であり代表の青木さんが築いてきたネットワークを駆使し、国際的に活動を行っておられました。SDGsやサステイナブルが叫ばれているが、身近な生活にまで浸透していない現在の課題、との認識から、生活用品にとりわけフォーカスを当てた商品販売を展開されております。人々が課題を主体的に捉え、いかに行動して社会を実際に変えていけるか、を模索されている姿が伝わってきました。今回のクラウドファンディングでも、リターンとしてステンレスストローやカトラリーセットなどをご協力いただいております。ぜひ木になる方はお選び頂けましたら幸いです。クラウドファンディングは今週の日曜日までです。最後までどうか見守っていただけましたら幸いです。よろしくお願いいたします!


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皆さまこんにちは。ジュマ・ネットの稲川です。本日は、長年ジュマ・ネットが活動を行ってきたチッタゴン丘陵地帯の歴史についてお話させていただきます。現在のバングラデシュ南東部にあたるチッタゴン丘陵地帯は、6世紀から16世紀にかけて、トリプラ族とアラカン民族(マルマ、ラカインまたはモグと呼ばれる)というモンゴロイド系の民族が争い、交互にこの地 域の支配権を争ったと言われています。同時にベンガル平野を制圧したムガール帝国が、16世紀くらいからこの地域にも勢力を伸ばしますが、大きな海戦の末 1665年にムガール帝国は、チッタゴン丘陵を支配下に置きます。彼らは直接統治せず、納税のみを迫り、地域の統治はトリプラ族、アラカン民族、そして チャクマ族などがそれぞれの勢力に合わせて行なっていたようです。英国植民地時代1760年、ムガール帝国は統治権をイギリス政府に手渡し、この地域は英国植民地の一部となりました。その後重税に耐えかねたチャク族とイギリス政 府の間で数回の戦争を起こりますが、1787年には、チャクマ族が謝罪をする形で英国の完全な統治体制が整います。綿で納税をしたため、この地域は 「Kapas Mahal(綿の地域)」と呼ばれるようになりました。その後、アラカン地域で発生した紛争のため、1784年~1799年の間、数回にわけてビルマから大量の民族移動があり、多くのマルマ族、チャクマ族、ラカイン族がこの地域に移住し、現在の民族構成の原型ができあがったと思われます。英国政府は、ルサイ丘陵のキク族などの反乱に対抗(1898年には制圧)しながら、徴税システムをほぼ完全なものにしていきます。1860年には、 この地域を3つの地域にわけ、それぞれの地域の徴税作業と手続きをマルマ王、チャクマ王、ボム王に任せ、一定の統治権を与えることで効率的にこの地域を支 配しました。これが現在のカグラチャリ県、ランガマティ県、バンドルボン県統治の原型になっています。平野のベンガル人の流入が徐々に活発になるのを見て、英国政府は1900年に「チッタゴン丘陵マニュアル」(1900年マニュアル)を制定し、ベン ガル人の土地の売買や居住を厳しく制限しました。またそれぞれの部族に与えた司法や自治の権限なども明確にしました。この1900年マニュアルが、チッタ ゴン丘陵に住む先住民族の自治意識の原型となっています。今回は以上になります。次回は1947年、インドのパキスタンの分離独立以降のお話です。ぜひご覧いただけました幸いです。


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皆様こんにちは。本日は、ジュマネットの歴史についてお話いたします。ジュマ・ネットはバングラデシュ、チッタゴン丘陵地帯の紛争解決と平和促進のために、関心のある有志や団体が集まり2002年3月に設立されました。チッタゴン丘陵地帯の弱い立場に置かれた先住民族の人々が平和な社会に暮らし、基本的な人権が守られ、開発の恩恵を十分受けられるようになることを目指して活動している非営利団体です。 もともと下澤共同代表は、NGOで19年間勤めてきました。しかし、民族的な差別や弾圧、政府に対する活動は制約も大きく、ジュマ・ネットでなければできないことでした。これが立ち上げの大きな理由でした。 また同じくトム共同代表は、1990年代に他の先住民族の活動をする中で、チッタゴン丘陵地帯で襲撃事件の報道を知りました。そして1994年にインドに逃げていたジュマの難民キャンプを訪問しました。リーダーとの出会いもあり、その後プロジェクトも行いました。そうした経緯の中で二人が出会い、協力してイベントを行ったことが、ジュマ・ネット創設の大きなきっかけになっていきました。 ちなみに、一番最初はボイサビという現地の祭りを日本で行いました。蓋を開けてみたら、100人を超える参加者が集まる結果となりました。そうして、ジュマ・ネットはスタートしていきました。本日は以上です。毎日少しずつですが更新して参りますので、今後もぜひ活動報告をチェックいただけましたら幸いです。ありがとうございました。