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チェロの長南牧人です。
今回は前回お話ししたように、文化的な側面から、さらに時系列に、楽器を見てまいりましょう。
ある意味、新解釈でお届けいたします。
前々回、「1550年頃、ヴァイオリン族は突如として現れた」と申しました。
歴史上、一番最初の製作者はイタリア人、アンドレア・アマティさんとガスパロ・ディ・ベルトロッティさんのお二人です。
アマティさんは北イタリアのクレモナという町出身、ガスパロさんは同じく北イタリアのサロという町出身です。
通称ガスパロ・ダ・サロと言われています、潮来の伊太郎、みたいなもんですね。
みなさんもテレビ番組などを通して良くご存じのストラディバリウスさんは、アンドレア・アマティさんのお弟子さんです。
さらにアマティさんのお弟子さんには、アンドレア・グァルネリ、パオロ・グランチーノ、アレッサンドロ・ガリアーノ、フランチェスコ・ルジェッリさんら、ヴァイオリン属にとって重要な人々がいます。
アマティさんもガスパロさんも、北イタリアで活躍なさった方なので、ここまで発展したヴァイオリン属とその音楽文化の礎となったこのお二人の活躍には地理的、時期的な要因も絡んでいるような気がします。また、イタリアとの国境にあるオーストリアのチロル地方にも、ヤコブ・シュタイナーさんとうドイツ系ヴァイオリン製作技術のお手本となるような方もいらっしゃいました。
さて、その師匠のアマティさんをも凌ぐ評価を受ける事になったストラディバリウスさん、お亡くなりになった後はフランス人のジャン=バティスト・ヴィヨームさんが引き継ぎました。
なぜにフランス人!?・・・今でこそ最高峰の評価を受けているストラディバリウスさんですが、お亡くなりになられた後は悲しいかな、使っていた工具なども全て売り払われてしまいました。のちにその工具を全て買い取ってストラディバリウスさんの製作技術を研究なさって、ご自分の楽器製作に生かしたのがこのフランス人のジャン=バティスト・ヴィヨームさんなのです。
当時、フランスのミルクールという町(フランスのイタリアのでいうところのクレモナのような弦楽器の一大生産地です)で活躍なさったヴィヨームさん、下請けの職人さんたちも多く抱えストラディバリウスさんの製作方法にさらに磨きをかけて弦楽器を数多く生産していきました。残念ながらこの時期、イタリアでは弦楽器製作はかなり下火になっていたようです。
そして、現代のヴァイオリン属の製作はこの頃のフランスの方法がお手本となっています。元のイタリアにおいてでもです。
ある意味逆輸入になってしまいましたよね。
時は第二次大戦の頃、我が国日本の天皇陛下、ドイツのヒトラーに並び、欧米で三大悪人とされていたイタリアのムッソリーニ、そのムッソリーニさんがイタリアの復興を目指して下火になっていたヴァイオリン製作にも力を注ぎ、かつてアマティさんやストラディバリウスさんが活躍していたクレモナに、国立のヴァイオリン製作学校を作りました。
これはムッソリーニさんの功績ですよね。 余談ですがヒトラーさんは亀の甲文字とアウトバーンが功績と言われているようです。
そして近年、イタリアのヴァイオリン製作家のフィオリーニさんなどの尽力もありストラディバリウスさんが使っていた工具などを買い戻し、現在、また弦楽器製作がこのクレモナで盛んになってきました。そして現代の製作家さんたちは温故知新、フランスからの製作方法の逆輸入ばかりではなく、かつての、いわゆるオールド楽器からもインスパイアし、製作しています。
・・・色々つらつらと書きましたが、これらの視点はある一方からであり、また違った側面から立体的に視るとさらに音楽芸術文化の理解に繋がると思います。
例えばフランスイタリアの職人さんに発注されたヴァイオリンは、フランスとイタリアの国境の街トリノを経由してフランスに持ち込まれていたりもしました。
ヴェルサイユ宮殿の「王の24のヴァイオリン」などもクレモナに注文して、トリノ経由だったのではないでしょうか?
点でしか知らなかった情報が、横につながると、なんだかワクワクしますよね。
フランスの王シャルル9世さんがアンドレア・アマティさんに発注したヴァイオリンがヴェルサイユ宮殿のチャペルに保管されていたそうです。オスカルさんとマリー・アントワネットさんもビックリです。
ちなみにそのアマティさんが作ったヴァイオリン24丁、ヴィオラ6丁、チェロ8丁、フランス革命の動乱でほとんど行方不明になってしまったそうです。勿体ない。
そしてそのうちの何丁かは、のちにイギリスで発見されたそうです。フェルゼンさんもびっくりです。
当時の政治、貴族文化、物流など、全てが複雑に絡み合っていて面白いですよね。
さらにはここ数年、クレモナは東洋(日本や中国、韓国、アジア諸国)からの留学生も増え、製作を学んだ人々が自国に戻り工房を始めたりして、さらに状況は複雑で興味深いものになっています。
イタリアのオリーブオイルやトマト缶ではないですが、産地偽装なんていう物騒な話もちらほら聞こえてきます。
我々戦後の教育を受けた日本人、西洋に関する認識が、いかに戦後のアメリカを通しての視点がメインであったかがこれらの考察から感じられますよね。早く経済的にも文化的にも国家防衛的にも、独立国家として自立して行けると良いです。
おっと、これ以上はナショナリズムに傾きそうなので、今日はこの辺で失礼します。
次回は守備範囲外ではありますが、製作について、少し触れたいと思います。
それでは次の掲載の他のメンバーの活動報告もお楽しみください!