突然ですがみなさんは、
辛いこと、困難なことがあっても諦めないタイプですか?
心や体が傷ついても、堪え忍んで、60年間過ごせますか?
今日は、農家のおばあちゃんの昔話をご紹介します。
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今から60年以上も前のこと。
おじいちゃんおばあちゃん、
二人の出会いはお見合いでした。
その頃二人は24歳、19歳。
おじいちゃんの家は代々続く農家の本家!
お茶も自家製。
庭に鶏が放し飼い。
豚さんもいました。
おばあちゃんは嫁いですぐ、
おじいちゃんの兄夫婦と農業を始めたそう。
農業だけでなく、
着物の手入れや家事全般、おばあちゃんが任されたんですって。
(ひぇぇぇ)
数年後、兄夫婦と別居したり、母屋を建て直したりしている頃、
可愛い三姉妹の子宝に恵まれました。
まだまだ昭和も半ば。
その頃は地域全部と言っても過言でないくらい農家ばかり。
だからこそ組合があり、婦人部というマダムの集まりがあり、
旅行や食事会など、地域みんなが家族のよう。
農業が活気づいていた頃です。
活気づいていたのは、お二人が暮らす本家も同じ。
昭和の田舎です。
盆暮正月は親戚が全員集まります。
家事を任されたおばあちゃんは、生きた心地しなかったでしょうね。。。
だけど、
可愛い三人娘が従姉妹たちと遊んでいる姿を見て頑張れたといいます。
さて。
こんな農業全盛期でしたが、少しずつ陰りが見えてきました。
周囲が次々と農業を卒業。
組合も成り立たず、農協さんを通すことに。
全盛期は、だいこん・にんじん・とうもろこし・じゃがいも・大麦も手掛けていたお二人の畑でしたが、作物を縮小しさつま芋に絞り、今に至ります。
農業が落ち着きだしても、
おばあちゃんは、家事も育児も付き合いも、やることが盛りだくさん!
本当に休む暇もない激動の60年だったことでしょう。
ですが、
三姉妹みんな結婚したけど近くに住んでいるので寂しくないし、曾孫も6人。
大変だけれど、農家に嫁いでから幸せな60年だったと振り返ります。
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どんなに辛くても、自分が置かれた環境で頑張り続けたおばあちゃん。
おじいちゃんと二人で続けた、60年の思い出の畑。
そんな畑で育った「さいごのサツマイモ」が美味しくないわけがありません。
お二人のさつま芋がもう食べられないのは悲しいですが、
悲しむよりも、
「おじいちゃん、おばあちゃん、お疲れ様!」と笑顔で送り出しましょう!
終了まであと少しです。
私も最後まで諦めず、多くの方へさつま芋たちを届けます。
どうぞご支援、よろしくお願いいたします!