2023/03/11 15:10

 大切な皆様へ

 春の息吹も感じられる今日この頃、ご支援者の皆様はいかがお過ごしでしょうか。

 大変お世話になっております。〈3.11を忘れない。震災の記憶をつなぐ小説『海のシンバル』を多くの人に届けたい〉のプロジェクトリーダーの久々原仁介です。

 クラウドファンディングの返礼品も到着している頃合いなのではないかと思います。想定を超える多くの支援者への配送にお時間がかかったことで、皆様をお待たせしてしてしまい誠に申し訳ございません。そういったなかで「届いたよ!」「書いてくれてありがとう!」というたくさんの応援の言葉を頂きましたこと、本当に嬉しく思います。もしもお送りいたしました返礼品に不備がありました際は、ご連絡いただけましたら幸いです。

 昨年のクラウドファンディングでは、ご支援者の皆様からたくさんの応援のお言葉を頂きました。初めてのクラファン、初めての交流。僕にとっては激動の3カ月が、もう半年間も前のことという事実に私自身も驚いております。

 今日で、東日本大震災から12年が経ちました。

 多くの記憶が呼び起こされる日に、僕もまたこれを綴っております。

 思いやりや、優しい言葉だけでは、この気持ちを書き起こせないかもしれません。それは僕がいま、小説家としてではなく、ひとりの人間として机に向かっているからです。そんな僕を、どうか今日という時間だけはお許しいただけましたら幸いです。

 この12年間は僕にとって、後ろ向きに歩いてきたような人生でした。3.11からずっと伸びる鎖を、首に巻いて歩いてきました。それは長く、重たい鎖でした。

 テレビを眺めるだけの僕が、初めて子どもであることを知りました。家族を置いて被災地に行けない子どもであることを知りました。僕の命が、ひどく薄弱で、誰の助けにもなれないことを知りました。次の日には学校に行きました。一分間の黙禱で、まるですべてを忘れて普段通りの振る舞いを強いられるのが嫌でした。予定されていた番組やドラマが延期されることを愚痴るクラスメイトが嫌でした。そこには無責任な頑張れを言えない、僕だけがいました。

 あの日、助からない命があって、助かった命があって。その境界線はグラデーションではなくて、はっきりと線引きされていて。どうして自分の命が助かった側にいるのかの意味を分からないまま生きてきました。

 海のシンバルは、その意味を探し歩くなかで拾った多くの感情によってできた作品でした。

 関わり続けたい、忘れてほしくないというエゴを包み隠さず書いた「海のシンバル」は、幸い多くの反響を得ました。この小説を読んだことによって、東日本大震災を考える一つのきっかけになってくれればという思いもありました。

 しかし非被災者が書く3.11は、どれだけ綿密な取材を重ねて、多くの配慮を行ったとしても、冒涜的な一面をもったフィクションに過ぎません。

 震災を利用していると言われることも、少なくありません。でもそうして僕を責める人を誰が咎めることができるでしょうか。

 あの日、テレビの前で立ち尽くすだけだった僕が今さらのように書いた小説を、責める彼らが間違ってるなどと、言える人などどこにもいないと、僕は思います。

 先日、僕の元に一通のDMが届きました。そこには海のシンバルを読んだこと。当時、最愛の両親を津波によって奪われたことをその方は教えてくれました。この物語を読んで初めて、自身の喪失に整理が付いたことについて触れ、最後に僕へこう問いかけました。

 非被災者である貴方が、どうしてそこまでするんですか。

 その方は僕が、多くの誹謗中傷に晒されていることを知ったうえで、心から慮ってくださり、どうして自分の傷をかえりみないのかという言葉をもらいました。

 正直、その答えを僕ははっきりと文字に起こすことは今もできません。

 しかし僕の心の中にある街並みは当時のままです。僕の心は瓦礫の街に囚われていて、それは街を覆う瓦礫を一つでも多く取り払いたい気持ちと似ているのかもしれません。この瓦礫の下に大切なものがあるのではないかと思うほどに、一文字でも多く書かなければいけないと思ってしまう。もしかするとその先で届く誰かがいるかもしれないと思うほど、言葉は指先からボロボロと零れてしょうがなくなります。

 それが今の僕が考える、この作品を世に出したいと考える理由なのかもしれません。

 

 拙い文章で恐縮ですが、ここまで読んで頂き誠にありがとうございます。 

 この作品を必ず世に出すという決意を、応援頂きましたことに、重ねて深く御礼申し上げます。様々な想いによって紡がれた「海のシンバル」の行く先をどうかこれからも見守って頂けますと幸いです。 

 歩みは未だ始まったばかりではございますが、皆様からのご支援に恥じぬように一歩一歩を踏みしめて、ひたすらに前に進もうと思います。

 

 今日という日に、いつか優しさが残るように心から願っております。



                         久々原仁介