大変お世話になっております。クラウドファンディング「海のシンバル書籍化プロジェクト」の久々原仁介です。 日が暮れるのが少しずつ早くなってきましたね。冷たい風が、どこか記憶を連れてくるようで、こういう季節は、物語のなかにいるみたいな感覚になります。 現在、書籍化に向けての作業は、静かに、けれど確実に進行中です。本文の最終調整、加筆修正など……ひとつひとつ、目と心を使って選び抜いています。 命って、なんだろう。 ずっと、考えながら書いていました。 ページの余白ひとつとっても、「Rの言葉がちゃんと息をしている余白があるか」「磯辺の孤独と寂寞が欠けてはないか」を何度も確認しています。印刷物って、ただのテキストじゃなくて、空間を届けるものだと感じていて――。読んでくださる方が、どこかで震災を忘れないでいてくれる何かの部品にしてほしいと思っています。 先日の文学フリマ東京で同人版の「海のシンバル」も在庫もとうとう数えるばかりとなりました。1000部を超えたという数字が、実感としてはまだピンと来ないのですが、ひとつひとつの読者との出会いが積み重なったものなんだと、改めて噛みしめています。 焦らず、でも丁寧に。今この時間も、誰かのための言葉になっていきますように。 進捗としては小さな一歩かもしれませんが、これからは継続的にこちらで共有させていただきます。 大きな発表まで、残り少しだけ命を削る時間をください。 どうか、見守っていただけたら幸いです。今後とも、何卒よろしくお願いいたします。
3.11 の付いた活動報告
大変お世話になっております。 クラウドファンディング「海のシンバル書籍化プロジェクト」の久々原仁介です。 東日本大震災から、今日で14年という月日が経ちました。 喪われた命と、波に呑まれた多くの声を、忘れることがないように、ひたすらに書いてきました。この14年という年月は、僕にとって文字と命と、奪われた時間を理解したいともがき続けた日々でした。 岩手へ訪れ、切り立った海の冷たさを知ったとき、どうしたって消えた命は返ってこないことを知りました。山肌に連なる、倒れたままの墓石を直す家族は誰もいないことを知りました。綺麗に舗装された海岸沿い道路を走る車はもういないことを知りました。 怖いくらいの平地に建てられた建物に住まう人は誰もいないことを知りました。フェンスの脇に括られた小さな浮き輪は、もう一度津波がきたときに助かりますようにという儚い祈りだと知りました。 命を書くということは、人の生死に対し焦点を定め続けなければならないと思います。一度ズレてしまえば、僕の書くことはただの虚構で終わってしまからです。 海のシンバルに登場するRという存在は、確かに実在する人物ではありません。彼女の痛みも、心も、そこにある時間も、文字の上でしか生きることはできない。 それでもRは読者の心に、震災を刻み込んで生きている。 僕はどうあっても、Rを生かすことができなかったというのに。彼女の言葉だけが多くの人の支えとなり、震災を忘れないための栞となり、寄り添うための手となって息づいている。 14年です。 僕の人生の半分を占めたこの時間を、ひたすらに想う。 その資格など、僕にはなくて、これは一種の冒涜と受け取られるかもしれないという恐れもあります。 だからこそ、一つの答えを出さなくてはなりません。それが僕の生きている意味だと思うからです。 弱くて愚かなこの僕の、手のひらに落ちた文字たちをどうか見ていてください。 更新がずいぶん時間を途絶えてしまったこと、心よりお詫び申し上げます。 「海のシンバル書籍化プロジェクト」は今年度中に大きな節目を迎えます。 最後まで、何卒よろしくお願いします。
大変お世話になっております。 クラウドファンディング「海のシンバル書籍化プロジェクト」の久々原仁介です。 東日本大震災から、今日で14年という月日が経ちました。 喪われた命と、波に呑まれた多くの声を、忘れることがないように、ひたすらに書いてきました。この14年という年月は、僕にとって文字と命と、奪われた時間を理解したいともがき続けた日々でした。 岩手へ訪れ、切り立った海の冷たさを知ったとき、どうしたって消えた命は返ってこないことを知りました。山肌に連なる、倒れたままの墓石を直す家族は誰もいないことを知りました。綺麗に舗装された海岸沿い道路を走る車はもういないことを知りました。 怖いくらいの平地に建てられた建物に住まう人は誰もいないことを知りました。フェンスの脇に括られた小さな浮き輪は、もう一度津波がきたときに助かりますようにという儚い祈りだと知りました。 命を書くということは、人の生死に対し焦点を定め続けなければならないと思います。一度ズレてしまえば、僕の書くことはただの虚構で終わってしまからです。 海のシンバルに登場するRという存在は、確かに実在する人物ではありません。彼女の痛みも、心も、そこにある時間も、文字の上でしか生きることはできない。 それでもRは読者の心に、震災を刻み込んで生きている。 僕はどうあっても、Rを生かすことができなかったというのに。彼女の言葉だけが多くの人の支えとなり、震災を忘れないための栞となり、寄り添うための手となって息づいている。 14年です。 僕の人生の半分を占めたこの時間を、ひたすらに想う。 その資格など、僕にはなくて、これは一種の冒涜と受け取られるかもしれないという恐れもあります。 だからこそ、一つの答えを出さなくてはなりません。それが僕の生きている意味だと思うからです。 弱くて愚かなこの僕の、手のひらに落ちた文字たちをどうか見ていてください。 更新がずいぶん時間を途絶えてしまったこと、心よりお詫び申し上げます。 「海のシンバル書籍化プロジェクト」は今年度中に大きな節目を迎えます。 最後まで、何卒よろしくお願いします。






