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コロナ禍で医療に支配されてしまった人々の生活を憂う医師として本を出版したい!

コロナ感染対策は経済を壊し絆を断ち切り、自殺を増やしました。 僕は医師としてこのような状況に常に反対のいを評してきましたが、世間からの逆風は非常に強く今回の本を出版してくれる出版社が見つかりませんでした。 こちらで資金を集め「人は家畜になっても生き残る道を選ぶのか」という本を出版したいと思います。

現在の支援総額

3,736,050

373%

目標金額は1,000,000円

支援者数

652

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2022/01/18に募集を開始し、 652人の支援により 3,736,050円の資金を集め、 2022/02/04に募集を終了しました

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現在の支援総額

3,736,050

373%達成

終了

目標金額1,000,000

支援者数652

このプロジェクトは、2022/01/18に募集を開始し、 652人の支援により 3,736,050円の資金を集め、 2022/02/04に募集を終了しました

コロナ感染対策は経済を壊し絆を断ち切り、自殺を増やしました。 僕は医師としてこのような状況に常に反対のいを評してきましたが、世間からの逆風は非常に強く今回の本を出版してくれる出版社が見つかりませんでした。 こちらで資金を集め「人は家畜になっても生き残る道を選ぶのか」という本を出版したいと思います。

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はじめに・ご挨拶

こんにちは、医師・医療経済ジャーナリストの森田洋之と申します。

普段は鹿児島県の中山間地で小さな開業医をしながら、記事や本を書いたりしております。


(普段の診察風景)




御存知のとおり、新型コロナの感染対策は「経済を壊し」「人々の絆を断ち切り」「自殺数を増やし」てしまいました。

僕は経済学部出身の医師という立場から、このような「過剰な感染対策によるデメリット」を問題視する発言を微力ながら繰り返してきました。しかし、この「過剰にコロナを恐れてしまう風潮」は2022年になっても依然として継続しています。


正月の高校サッカー準決勝では、選手2名に新型コロナ陽性反応が出たとのことで関東第一高校が試合を辞退してしまいました。

まるで「コロナに感染したら社会の迷惑・厄介者」と言わんばかりの対応です。

コロナ騒動が始まってもう2年も経っているのに…
コロナウイルスが日本社会に与えている健康被害は非常に小さいことが統計的に判明しているのに…
社会の過剰反応は当初と何も変わっていないように感じます。

今後ももしこのような風潮が続くのであれば、この風潮はそれこそ「新しい生活様式」となって社会に定着し文化になってしまうかもしれません。

僕はそんな「家畜」のような生活を、
感染を恐れて人との絆や接触を断ち切るような社会を、
絶対に子供たちに残したくありません。

そんなやりきれない思いが日々高まってゆき、我慢できなくなって今回始めてクラウドファンディングに挑戦しようと思い立ちました。


クラウドファンディングで多くの皆さんからお力をお借り出来れば、

リスクを過剰に恐れ「家畜」のように自ら殻に閉じこもり、真に「生きる」ことを放棄するような世界…
それを良しとして子供を誘導する世界…

そんな世界をぶっ壊すことが出来るかもしれない。

僕はそんなことを考えながら、このクラウドファンディングを立ち上げました。



このプロジェクトで実現したいこと



(鹿児島県の中山間地に作った古民家診療所)


医療は社会にとってとても重要な存在です。しかし、医療の論理にこだわりすぎると人間の生活はいとも簡単に破壊されてしまいます。

確かに医師が患者の生活を制限してまで行うべき治療があるのはわかります。

しかし、それが通るのはせいぜい入院中など急性期、一時的な制限です。

2年も継続して自分の生活を制限されたら拒否反応がでる。それが通常の人間です。

こうした医師による生活制限の弊害はコロナ以前から高齢者医療・慢性期医療の世界で言われてきたことです。

しかし、このコロナ禍ではその理論が一般人どころか子供たちにも広まってしまいました。

僕は本当にこの状況を憂いています。


この書籍によって、もう一度日本国民の手に「自由に移動し、人と交わり、生き生きとした生活を堂々と送る権利」を取り戻したいと思っています。





プロジェクトをやろうと思った理由


(ブログのタイトル画像)


新型コロナ第1波直前の2020年4月、僕はこんなタイトルのブログを書きました。


「人は家畜になっても生き残る道を選ぶのか?」


ブログは大きな反響を呼び、今でも継続して多くの方に読んでいただいております(頂いた「いいね」がもうすぐ5万に届きます)。


このブログの真意は上記のような「医療による生活支配」をそれで本当にいいの?そんな社会を子どもたちに残していいの?というものです。

2年前の記事ですが、ブログの趣旨・中身としては決して古びていない、いやむしろ2年経った今だからこそ意義のある内容だと思っています。

プロジェクトが成立した暁には、このタイトルをそのまま書籍タイトルに使い、本文も書籍の冒頭にもって来ようと思っています。

(いい機会ですので、今回はそのブログをそのままこの文章の末尾に転載しておきます。かなり本書のネタバレになってしまいますが、導入部分の無料公開としてお読みいただけますと幸いです。)



市民の皆さんから多くの支持を頂いた上記のような僕の考え方ですが、

残念ながら医療業界では全く主流になりえません。


なぜなら、医療業界は医療のことだけを専門に対処する業界だからです。

感染症専門科は感染症を減らすことだけを考えれば良いのです。

それによって経済が壊れようが、絆が立たれようが、人々の自殺が増えようが、感染症が減りさえすれば社会からの要請に答えたことになります。

しかし、医療が支配するそんな世の中で人々は幸せに暮らせるわけがありません。


そもそも、医療の目的とは何なのでしょうか?

医師法第1条には、

「医師は(中略)国民の健康な生活を確保するものとする。」

と書いてあります。

もちろん新型コロナにかからないことで健康を保つことも大事でしょうが、過渡の自粛や行動規制で親しい人たちとの交流が減ってしまって本当の健康が得られるのか?という視点はもっともっと大事なものです。

健康とは体の話だけでなく、心の健康も、社会的な健康(絆を紡ぐことで生まれる良好な人間関係・コミュニティー)も含まれるのですから。

この2年間のコロナ対策で、経済は落ち込み、学校は休校・リモートになり、高齢者は施設に閉じ込められました。その結果、2020年の自殺数は激増し、子供の自殺は過去最高となりました。

果たして我々医療従事者は本当に「国民の健康な生活」を確保できたのでしょうか?

 

そもそも、新型コロナの他にも感染症はたくさんあります。
肺炎による死者数は毎年10万人、多いときで12万人です。
インフルエンザは毎年1000万人がかかって、多いときは1万人が亡くなると言われています。
一方、新型コロナの死亡はこの2年で1万8000人。
どの感染症もその死亡のほとんどは高齢者です。

人間の死亡率は100%。
非常に残念なことですが、高齢になれば様々な理由で人は死にます。
新型コロナもその一つと考えるなら…
社会全体でもっと最適解があったのではないでしょうか。



これまでの活動

僕は経済学部卒後に医師になりました。医師になってからは、財政破綻で医療崩壊してしまった夕張市の「夕張市立診療所」の院長として医療再生に携わりました。


(夕張市立診療所時代)


夕張の医療崩壊は大変なものでした。市に一つしかない病院、171床の病院が一夜にして19床の診療所に縮小されてしまったのです。まさに絵に書いたような医療崩壊でした。

その時、僕の師匠の村上医師は「在宅医療」を中心とした本当に患者さんの思いを叶えるための地域医療を展開することにしました。本当に大きな治療が必要な人は大病院でお願いするとして、治療が終わった方や、そもそも大きな治療が必要でない方々は施設や在宅で診療する方針に切り替えたのです。

驚くことに、医療崩壊の5年後に夕張市民のデータを見てみるとここまで医療崩壊したにも関わらず市民の死亡率は全く変わっていませんでした。一方医療費は大幅に減少し、またここが最も大事なポイントなのですが以前より「人々の笑顔」が町に広がっていったのです。

僕はそれまで、「医療は人々の生活に欠かせないものだ」と思っていました、しかし夕張の経験は僕の思いを大きく変えてしまいました。

「医療こそが人々の生活を制限し、笑顔を奪っていたのだ」

と思うようになったのです。


(ガン末期で亡くなる3日前でも自宅で笑顔で生活されているお婆ちゃん)



事実、街の病院や施設では医師の指示によって「転倒防止のため歩くな」と言われ衰弱して寝たきりになるいく高齢者や、「誤嚥するから食べるな」と言われ胃に入れられた管から取る液状の栄養物で生きている高齢者が山のようにおられます。


(とある療養病院の一室)



人はなぜ「生き生きとした自分の生活」を継続できないのだろう?

医療は命を永らえさせることは出来ても、人々を幸せにすることは出来ていないのではないだろうか?

夕張の方々から僕はそん事をたくさん教わりました。

その後僕は、人々の死生観に思いを馳せるような著作(「羨ましい孤独死」など)を書く活動をしたり、また医療現場では地域の在宅医療・在宅介護を充実させることを活動の重点におくようになりました。

現在は、その思いを実現すべく、鹿児島で素晴らしい介護をされている施設「いろ葉」と連携しながら、小さな開業医をしています。



資金の使い道

新刊「人は家畜になっても生き残る道を選ぶのか?」の出版費用に使います。


僕は個人事業として南日本ヘルスリサーチラボという出版業を営んでおりまして、これまでに2冊の書籍を出版しています。

これらは自分の手で編集を行い、印刷会社に発注し、Amazonでリアル本とKindle本を流通させたものです。今回もそのノウハウと経験を活かして、自分で編集と流通までやっていきたいと思います。

印刷の発注に50万円ほど、デザインや校正などの外注で10万円ほど、また皆様への書籍の梱包・発送に10万円ほどの費用を想定しています。さらにクラウドファンディング運営側への手数料を含め、目標を100万円と設定させていただきました。


リターンについて

新刊書籍の定価は税抜で1500円程度を想定していますが、リターンとしましてはこちらの書籍を含めて、4パターン用意しました。


1,サンクスメール + メルマガ登録 500円


2,発売前のサイン入り新刊1冊 
  サンクスメール + メルマガ登録 3000円


3,発売前のサイン入り新刊1冊 + サイン入り既刊2冊(破綻からの奇跡、羨ましい孤独死)
  サンクスメール + メルマガ登録 8000円


4,森田洋之の講演会開催権 限定3  200000円





実施スケジュール

1月末まで

  ○クラウドファンディング
  ○原稿執筆、編集、校正仕上げまで

2月上旬

  ○印刷会社(既刊2冊で取引実績のあるモリモト印刷)に発注

2月中旬

  ○順次サインを書き込んだうえで皆様に書籍発送
  ○発送作業終了後にAmazonにて流通開始。

 



最後に

正直なところ、個人的には普通に医師として医療をやっていたほうが金銭的には圧倒的にメリットがあります。

ただ、僕は上記の夕張の医療崩壊したのに死亡率が変わらなかった(医療費は減った)という体験から、

「医療はビジネスにしてはいけない、ビジネスになるからこそ患者を増やしてしまうのだ。

医療は真に公的存在として、警察・消防と同じく無償で提供されるべきものだ」

という信念を持つようになりました。

そのような信念のもと、今は金銭的メリットの殆どない発信活動に多くの時間を割いています。

また、今回のコロナ禍で、医療業界は「病気を治す専門家」から「日本社会全体を動かす大きな力」へ変貌してしまいました。

その「日本社会全体を動かす大きな力」が日本社会の全体最適を求めずに、ただ単に

「感染を抑えればいい」

「経済が壊れようが、自殺が増えようが、高齢者が閉じ込められようがそんなことは知らない」

というのであれば、そんな専門家に対しては明白にNOと言いたい。

その声を多くの人に届けるためにも、この本をベストセラーにしたい。

でも、おそらく多くのメディアは世間の流れに反しているこの本をなかなか取り上げてくれないでしょう。

となると、やはりSNSやクラウドファンディングで拡散され話題になってくれることでしか道はない。

今僕はそう思っています。


コロナ禍で医療に支配されてしまった人々の生活を取り戻すため、

子どもたちにより良い世界を残してゆくために、

ご支援のほどよろしくお願い申し上げます!




<募集方式について>
本プロジェクトはAll-or-Nothing方式で実施します。目標金額に満たない場合、計画の実行及びリターンのお届けはございません。



ーーー

(ブログ転載)


「人は家畜になっても生き残る道を選ぶのか?」 (2020年4月14日掲載)



「人は家畜になっても生き残る道を選ぶのか?」

一人の医師としてこの言葉を聞いたとき僕はすべての思考がストップしてしまった。友人との会話中でなければ泣いてしまったかもしれない。

そうなのだ。不意に思いを言い当てられて自制が出来なくなるくらいには、僕はこの国の医療に対して思い悩んでいたのだ。僕は、僕がそんなに思いつめていたことに我ながらびっくりした。

おそらくその言葉は、僕がそれまでなんとなく感じていた「この国の国民と医療の世界に蔓延するモヤモヤ」をズバリと言い当てたのだろう。だからこそこんなにも僕の心をかき乱したのだ。

今回はそのモヤッとした空気感を自分なりになんとか言葉にしてみようと思う。自分の気持や空気感を描写すると言う作業に慣れていない僕にとって、これはかなり困難な作業になりそうだ。拙い表現になるとは思うが、しばしお付き合いいただけると幸いである。

 

皆さんがこのことをご存知なのかご存知ないのか、僕には分からない。しかし「人間の死亡率は100%」だ。僕の医者としての経験上それは多分間違いない。人間は必ず死ぬ。

新型コロナ肺炎だけでなく、インフルエンザでも、普通の肺炎でも、ガンでも心筋梗塞でも…原因は無数にある。人は死ぬのだ。

ちなみに、冬季の流行シーズン中は毎日100人くらい、年間で1万人くらいの日本人がインフルエンザ、もしくはそれに起因するざまざまな病態(インフルエンザ超過死亡という)で死んでいる。

交通事故で3千人〜5千人、インフルエンザで1万人、自殺で2〜3万人の日本人が毎年毎年死んでいるのである。ちなみにこれだけ大騒ぎしている新型コロナ肺炎は、この世に登場してから通算でまだ100人しか日本人を殺していない(2020年4月半ば現在)。もちろんまだ増える可能性はあるが、自殺のレベルにまで到達するかは疑問である。そういう意味では致死率が80〜90%にのぼるエボラ出血熱やコレラなどとは基本的に全く違う感染症と言っていい。当初から言われているとおりコロナ感染者の8割は軽症もしくは無症状。残りの2割は入院が必要なくらい重症、そのうちのわずかな人が死亡に至る。致死率はインフルエンザの10倍とも言われるが、死亡者の大半は高齢者や基礎疾患のある方である。

 

 

こんな言い方をすると必ずこう反論される。

 

「高齢者は死ねというのか!?」

 

それは間違いである。僕が言いたいのは

 

「高齢者は死ぬ。」

だ。

いや、さっきから言っている通り正確には、

「人は死ぬ。」

言ったほうがいい。

 

こんな言い方をする僕は冷酷なのだろうか。
人の死を数字で語る僕は非人間的な医師なのだろうか。

たしかにそうかも知れない。ただ、これだけは言っておきたい。僕はコロナで亡くなられた志村けんさんの人生を昔から知っていた分深く悲しんだ。しかし、それと同じくらいインフルエンザや肺炎やガンで亡くなられた多くの名もなき人たちの人生に寄り添い、悲しみを共有し、そして見送ってきた。

あなたはインフルエンザで亡くなられる人が毎日100人もいる事実をこれまで少しでも深く考えたことがあっただろうか?

あなたたちがいままで見てこなかった、あるいは知っていたとしても無視あるいは軽視してきたたくさんの死に僕は向き合ってきた。志村けんさんの人生の物語を知っている人はとても多い。だから日本中が悲しみに包まれ「コロナ憎し」という空気が出来上がった。でもね、これまでインフルエンザや肺炎や自殺で亡くなられた何万という人たちにだって、一人ひとり、それぞれに人生の物語はあったのですよ。僕に言わせれば、これまで高齢者医療にも終末期医療にも自殺問題にも殆ど見向きもしなかったあなた方、いまコロナで自分や家族の命が脅かされそうになって初めて大騒ぎしているあなた方のほうがよっぽど冷酷に映る。

 

そう、本当に残念なことだが、人はふとしたことで命を落とすものなのだ。
これだけ医学が進歩しても、助けられない命は無数にあるのだ。

 

もちろん、助けられる命は全力で助ける。それが医療だし、それが医師だ。

しかしそれでも、リスクは決してゼロにはならない。なぜなら人は必ず死ぬのだから。いや、むしろ、リスクゼロを追求するべきではないと言ってもいい。

リスクをゼロにしようとする医療側の真摯な努力が逆に様々な弊害をもたらしてしまうことは、医療の歴史を鑑みれば容易に想像が出来るのだから。


医療による「ゼロリスク」の危険性 

医療によるゼロリスクの追求は様々な弊害を社会にもたらしてきた。

その最大のものはやはり「高齢者」に対する医療だろう。

先程「高齢者は死ねというのか?」と言う意見に少しでも共感された方には是非この点を認識していただきたい。

批判を恐れずに率直に言う。

高齢者医療の現場である病院・施設は「ゼロリスク神話」による管理・支配によって高齢者の収容所になりつつある。

誰しも高齢になれば自然に足腰も衰える、転倒を予防したければ「歩くな」が一番の予防策だ。今高齢者が入院する病院では、ベッドに柵が張られていることが多い。トイレに行きたいときは看護師を呼んで車椅子移動。行動を制限された高齢者の筋力・体力は急速に落ちていく、そして寝たきりになり、排泄はおむつになる。

また、誰しも高齢になれば飲み込みが悪くなる。食べては誤嚥し、肺炎を発症する。誤嚥性肺炎を予防したければ「食べるな」が一番の予防策だ。今高齢者が入院する病院・施設は、鼻から胃袋まで管を入れられる、もしくはおなかに直接穴を開けられて胃に栄養を送る経管栄養の高齢者で大賑わいだ。

こうして高齢者は入院・入所した途端に行動を制限され寝たきりになっていく。

多くの高齢者の願いは、「自宅で好きなものを食べて、自分らしく生活をしたい」という至極単純なものだ。それなのに、世間や医療のゼロリスク神話はいともたやすく高齢者の生活を奪ってしまう。リスクを恐れるあまり、多くの高齢者は今「かごの鳥」になっているのだ。(ちなみに僕は彼らを一人でも多く救いだすべく活動している)

この傾向は今回のコロナ騒ぎで確実に深刻化している。病院や高齢者施設はいま、完全に他者をシャットアウトしつつある。家族でさえ面会が困難な状況だ。

そしてその状況に至るまでの道程の片棒を担いだのは(もっと言えば先導したのは)我々医療従事者である。

「命を守る」「〇〇しないと死ぬ」という恐怖のメッセージは、我々の想像以上に効果的だったのだ。

今この恐怖のメッセージは、高齢者医療から新型コロナウイルス感染予防へ場を移し、猛威を発揮し始めている。

中国ではスマホの位置情報で個人の行動が管理されているという。韓国でもスマホの位置情報で感染者との接触情報が管理されているという。そして日本でもこの動きは少しずつ進展している。


(表示の都合上、自分のツイッターを貼っております。)






医療による死の恐怖は、まるで国民全体を徐々にカゴの中へ誘っているのかのようだ。


もちろん、今は緊急事態だから仕方ないのかもしない。ただ、一旦進んだ時計の針は戻せないのも現実。一度許してしまった権利の制限は、今後様々な形で進んでいくだろう。


もちろん、清らかな医療者は「医療による恐怖で世界を支配する」なんてかけらも思っていない。しかし、コロナパニックは「医療的な恐怖で世界を動かせる」ことをにわかに証明してしまったのだ。

 

これまで何百年もかけて人類が一つずつ獲得してきた様々な社会的な権利。それらを一時的にとはいえ一気にむしり取るという前代未聞の体験を、いま僕たちは「コロナ」を理由に経験している。医療は、これまで誰も持ち得なかった「国民の人権さえも制限できる巨大な力」を持ってしまったのだ。「命を守る」の殺し文句がこれほど効果を持つとは。。。


この力を利用しようとする勢力は確実に現れるだろう。それが国家なのか巨大資本なのかGAFAなのか、それともその全部なのか。それらが牙を剥いた時、果たして我々医療者はその巨大な力に抵抗できるのだろうか。いや、上手に牙を剥く彼らは、我々医療者が気づかないように…医療者を盾にして国民の目をそむけながら、手を進めるだろう。

 

もう一度言う。

「人は必ず死ぬ」

死はいつも身近にあるのだ。新型コロナ肺炎だけでなく、インフルエンザでも、普通の肺炎でも、ガンでも心筋梗塞でも交通事故でも…人は死ぬのだ。世界に目を向ければ、3大感染症(結核・マラリア・HIV)で一日7千人もの人が亡くなっているのだ。


自動車を製造を止めれば、交通事故で死ぬ年間100万人の命を救えたはずだ。でも僕らは歴史上決してその選択肢をとらなかった。


意識するかしないかに関わらず、我々はリスクと共存し、それを許容して生きてきたのだ。

それなのに今、コロナによる恐怖と医療従事者による「ゼロリスク」の先導は世界中の経済を止め、生活を破壊し、人々は自らカゴの中に入ろうとしている。そして巨大な権力は近い未来、医療が持つ壮大な力を巧みに利用するだろう(もしかしたら今がその時かもしれない)。得るものに比べて失うものが大きすぎはしないだろうか。バランスが圧倒的に悪過ぎはしないだろうか。

その時になって我々は、「あ〜、あのコロナパニックが始まりだったんだ」と気づくのかもしれない。

 

 

そんな未来を子供達に残してしまうのか…しかも自分たちがその片棒を担いでいるのか…。漠然とそんなことを思っていた時に聞いたのが、

 

「人は家畜になっても生き残る道を選ぶのか?」

 

と言う言葉だったのである。

 

僕が感じている漠然としたもやもや感を拙い言葉で表現すると以上の様になる。いや、自分の今の気持ちをきちんと文字で表現できたかどうか…自分の拙い表現力に悔しい気持ちでいっぱいだ。でもこれが今の僕の限界だろう。仕方ない。僕は今ここで筆を置く。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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  • ご支援いただきました皆様へ

    2022/03/26 14:17

    こちらの活動報告は支援者限定の公開です。

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