通過点基本は「通過点」私自身は通過点でありたいと考えています。何かに困ったり前へ進めなかったりする子どもたちがいればその子どもたちと共に温かな時間を過ごす事を仕事にしています。それは、気力体力をしっかり蓄えて楽しく過ごして行ける工夫を共に考えながら社会へ参加していく為の通過点です。支援活動という社会事業についてこの活動も通過点として存在したいと考えています。社会参加につながる一端として特急パンを無償で焼く事がどれくらいの心のゆとりを提供できるかはわかりませんがそれぞれの状況が少しでも幸せに向かうようにいつか自力でお金を払ってもこれなら間違いない満足であると感じるように共に時間を過ごす事をしています。自分ができる事の幸せ無料と有料の考えの中には無料な人は羨ましいなぁという気持ちやあちらの方がお得であるという気持ちが出てくる時があります。例え無料の枠に当てはまらなくても自分が無料でなくても例えお金を払ってでも【自分ができる事の幸せ】を感じられれば羨ましいとかお得であるという気持ちは起こらないのではないかと思っております。日常の中で感じる幸せ温かいお風呂に入ったり 清潔なお布団で眠れたりすることは【自分ができる事の幸せ】でありますが中でも「食をいただく事」は一番の幸せと思うのです。子どもたちが出来立ての安全安心な美味しいパンを食べるためにまだまだ挑戦中ですどうか応援ご支援をよろしくお願いいたします。
食育 の付いた活動報告
ご支援・応援いただいております皆様方本当にありがとうございます!今回は米粉の蒸しパンレッスンの様子をご紹介いたします。様々なアレルギーを持つ子どもたちにも対応できます特急パンではグルテン・卵・乳完全フリーの米粉の蒸しパンレッスンがございます。アレルギーを持つ子どもたちと過ごす中で私の生徒の中にはアレルギーを持つ子どもたちがいます。給食などの食を共にするときに必ず言われる言葉があります。それは「こんなに美味いもの食べれなくてかわいそうになぁー」です。アレルギーを持つ子どもたちはそんな言葉は慣れっこになっていて相手に悪気がない事もよく知っているので受け流していますがいい気分ではありません。女の子が言った言葉私の教室の生徒たちと米粉の蒸しパンを食べていました私が何気なく「余ったらあなたが家に持って帰ったらいいわよ」とアレルギーを持つ男の子に言いました。すると教室の女の子が「こんなに美味しい物私だって持って帰りたいわ! みんなだってそうだと思うみんなで分けましょう!!」と言いました。先生、僕ななんか嬉しかった教室で米粉の蒸しパンをみんなで分けているときにアレルギーを持つ男の子が「先生。僕、なんか嬉しいわ!」と言いました私はとてもよく彼の気持ちがわかりました。特急パンの米粉の蒸しパンは(↑今回のレッスンでお作りになられている様子)特急パンの米粉の蒸しパンはアレルギーを持つから仕方なく食べる蒸しパンではありませんみんながとても美味しくて取り合いになる蒸しパンです。誰もが参加できる社会へあなたは無理よ。ってことはない。工夫をすればどんなことだってできる。こどもの間は「あきらめる事を教えてはいけない」と考えています。思春期青年期そして大人になると諦めなくてはいけない事も出てきます。だからこどもの間は諦めることをわざわざ教えなくていい工夫すればできる事を共に考えていきたい。米粉の蒸しパンのレビューはこちら画像は活動報告に是非ご活用くださいm(__)mそして、ステキな時間をありがとうございましたm(__)m出来上がった蒸しパンを食べ切った後さっそく買い物に行って色々な種類の豆乳を購入してきました。その途中、娘が先生が使ってた黄色にする粉どこに置いてあるんだろう〜って彼女なりに買い物しながら探してるものがあったんだな〜と驚いきました。きっと先生が使ってるのは、普通のお店にはないからネットで探して購入しよって言って本日はスーパーを撤退しました米粉も違う種類のものを購入してみたので、リベンジしてみます^ - ^生地の加減は私しかわからないから、その部分だけは私がやる!!って、娘が、はりきって言ってて、先生に自信をつけてもらった娘なのでした。本当に、どうもありがとうございましたm(__)m先生の想いは、これからも沢山の人たちに届いていくと思います。オンラインの普及により先生の人気講座を自宅にいながら受講することができて私は幸せです。プラス娘の自己肯定感も先生に会うたびに、先生の声を聞くたびに上がっていく気もしていて、先生に出会えたことだけは、コロナ禍いろいろありますが、この1点だけは感謝です笑笑また受講させて頂きます。引き続き宜しくお願い致しますm(__)mまだまだネスストステージに挑戦中ですどうかよろしくお願い致します。
インクルーシブの意味って何?私も含めて言葉が足りないことが事実だと痛感します。子どもたちに限らず全ての人々に様々な分類があります。例えば年齢や国籍、性別や出身、学歴や肩書き、そして障害や特性そんな様々な分類を外して、すべての人々が互いに必要な助けを受けながら同じ場で生きていける事がインクルーシブだと私は考えています。みんな一緒に もよくわからない皆んなが同じ速さで同じ事を同じように出来るようにする金太郎飴 も無責任だと思っています。学校の体育館のスローガンをふと見たら「個性を大切に!皆んな一緒に大きな声で挨拶!」と書いてあってわっ・・・と思う事があります。それぞれの社会参加の方法を考えて。この子はここまで参加できたら、成長へと導けるのではないかとそれぞれの存在価値を見つけていく事を考えています。あなたは自由でいいのよ もわからない自分のやりたいように生きればいいのよ も無責任と考えています。同じ社会で生きていくのだから社会も私たちに歩み寄る理解が必要であるし私たちも社会に歩み寄る理解が必要であります例えとてつもなく社会からの歩み寄りが少ないからといって私たちも社会に歩み寄らないのであれば接点は無くなってしまいます。「自由に生きればいい」と言うのはとても美しそうに聞こえますが人生という山を登る時に何も知らずハイヒールやサンダルでは険しい山や高い山を登ることは難しいですだから教育が必要になると信じています土台に必要な力を身につけることでもっと高い山やもっと険しい山をもっと自由に登る事ができます。それが教育の力。どこまでも広くどこまでも深く自由に過ごせる力。どうか私に土台の導きをさせて下さい!子どもたちが前を向いた考え方ができるように健全に生きられるように大切な土台の前段階である信頼できる大人に出会う役割をお任せいただきたいのです。残り26日となりました。どうか皆様にお願いがございます。「私は特急パンプロジェクトで支援応援しているのよ」と誰かにお話しください。たくさんの方々に広まりますように厚かましいお願いを申し上げました。応援くださる皆様には本当に本当に感謝いたしております。ありがとうございます。