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ドイツの人気哲学者プレヒトの主著『エゴイストにならない極意』を翻訳出版したい

ドイツで超人気のR・D・プレヒト。哲学的な問題意識とジャーナリスティックで学際的な視点から、現代社会の「道徳」の問題を、わかりやすく魅力的な語り口で解き明かした彼の主著(2010年刊)を翻訳しましたが、厳しい出版事情ゆえに版元が見つかりません。日本の読者に届けるための自費出版計画に、どうぞご支援を!

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目標金額は2,500,000円

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このプロジェクトは、2022/05/13に募集を開始し、 2022/07/10に募集を終了しました

ドイツの人気哲学者プレヒトの主著『エゴイストにならない極意』を翻訳出版したい

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ドイツで超人気のR・D・プレヒト。哲学的な問題意識とジャーナリスティックで学際的な視点から、現代社会の「道徳」の問題を、わかりやすく魅力的な語り口で解き明かした彼の主著(2010年刊)を翻訳しましたが、厳しい出版事情ゆえに版元が見つかりません。日本の読者に届けるための自費出版計画に、どうぞご支援を!

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はじめに・ご挨拶

 皆さま、こんにちは! 
 私は、ドイツ語書籍の翻訳をしております、柏木ゆう、と申します。
 翻訳といっても、それで生計を立てているわけではありません。生活費は、別の仕事をして稼いでおります。出版社から依頼されて翻訳をやるのではなく、自分で翻訳したい本を見つけて、それを出版社に売り込む、というやり方をしていますが、昨今は、どうやら、それがますます難しくなってきているようです。
 訳書に、R・D・プレヒト著『「愛」って何?──わかりあえない男女の謎を解く』(共訳、2011年、柏書房)、同じプレヒトの『どうしてボクはいるの──息子とパパの哲学対話』(2013年、柏書房)があります。


このプロジェクトで実現したいこと

 ドイツの人気ジャーナリスト、評論家、作家であるリヒャルト・ダーフィト・プレヒトが2010年に刊行し、いまなお、その魅力と説得力とを失わない著書『エゴイストにならない極意』の日本語版を、自費出版形式で1000部つくり、図書館や書店、アマゾンなどでアクセス(閲覧や購入)可能にし、これまでに邦訳されている彼の本の愛読者の皆さんや、新たな読者が、手にとって読めるようにしたい、というプロジェクトです。

●オリジナルの原典は──

Richard David Precht: Die Kunst, kein Egoist zu sein--Warum wir gerne gut sein wollen und was uns davon abhaelt, Goldmann Verlag 2010.

リヒャルト・ダーフィト・プレヒト著
エゴイストにならない極意
  ──私たちはなぜ、善良でありたいか、けれど何が、それを妨げるか』(ゴルトマン出版社、2010年刊)


*上記は、原著タイトルを直訳したものです。
・日本語版では、サブタイトが変わる可能性もあります。
また、次のようなキャッチコピーをつけたいと考えております。

*大変動の時代の『道徳』をめぐる、長大でスリリングな哲学的探査──


●著者プレヒトについて──

 すでに彼の著書の邦訳版、たとえば『哲学オデュッセイ』や『「愛」って何?』、『どうしてボクはいるの?』などをお読みのかたは、もうご存じかと思いますが、プレヒトは、ドイツでは言わずと知れた、人気も発言力もある、超有名な言論人です。
初めての方のために、ここに、あらためてそのプロフィールなどをご紹介しましょう。

▽〈著者プロフィール〉
ドイツの哲学者、評論家、ジャーナリスト、ベストセラー作家。
ロイファナ大学(ニーダーザクセン州リューネブルク)客員教授(哲学)。ハンス・アイスラー音楽大学客員教授(哲学・美学)。
1964年、ノルトライン=ヴェストファーレン州の工業都市ゾーリンゲン生まれ。父親は、家庭用器具や電気製品を扱うゾーリンゲンの企業、クルップ社の工業デザイナー。母親は、国際的な児童救援組織の活動家。ベトナム戦争反対の立場から両親が養子にした、2人のベトナム人の子どもをきょうだいとして育つ。1984年、ギムナジウムを卒業後、地方自治体で非軍事役務に服したあと、ケルン大学で哲学、ドイツ文学、芸術史を学ぶ。1994年、ロベルト・ムージルの作品『特性のない男』についての論文で、ドイツ文学の博士号を取得。1997年、ジャーナリストのための助成プログラム(アーサー・F・バーンズ特別奨学金)により、米国のシカゴ・トリビューン紙にて特別研究員。2000~01年、ベルリンの欧州ジャーナリスト高等専門学院特別研究員。ドイツの複数の新聞・雑誌に評論を執筆するいっぽう、2005~08年には、西ドイツ放送ケルン(WDR)のラジオ番組「日々の徴候」で、キャスターをつとめる。
2008年、前年に刊行した著書『わたしってだれ? だとしたら、どれだけいるの?──哲学的な旅』(邦訳『哲学オデュッセイ──挑発する21世紀のソクラテス』)が、ドイツで100万部を超える大ベストセラーを記録、一躍世間の注目を浴びる。これは、世界各地の哲学にかかわるホットスポットを旅してまわりながら、脳科学や生命科学、遺伝子工学など、現代科学の最新の知見をふまえながら、正義とは何か、自分とはだれか、を問いかけた、きわめて斬新な哲学ガイドブックで、世界数十カ国で翻訳出版される。 日本でも、2011年に邦訳され、著名な哲学者から激賞される。以後、哲学や政治、社会にかんして論じた著書が、毎回、ドイツでベストセラー入りしている。
2012年から、全国ネットの公共放送、ドイツ第二テレビ(ZDF)で、自身の名を番組名にした政治・社会対論番組『プレヒト』(隔月、日曜夜放送、45分)でホスト役をつとめ、毎回各界、各分野から識者をひとり招いて、最新の時事的なテーマについて議論を交わしている。 講演やシンポジウム、メディアへの出演にひっぱりだこの身で、多忙ながらも、ますます旺盛な言論、執筆活動をおこなっている。


▽彼には、これまでに、つぎのような著書があります──
(※邦訳されているものは、( )内に示します)

①『宇宙飛行士』(長編小説)(2003年)
②『わたしってだれ? だとしたら、どれだけいるの?──哲学的な旅』(2007年、邦訳=『哲学オデュッセイ』
③『愛──整理のつかない感情』(2010年、邦訳=『「愛」って何?』
④『エゴイストにならない極意』(2010年、※今回の翻訳出版プロジェクトの対象)
⑤『レーニンはリューデンシャイトまでしか来なかった──私の小さなドイツ革命』(自伝)(2011年)
⑥『なぜすべてはあって、何もないのではないの?──哲学への遠足』(2011年、邦訳=『どうしてボクはいるの?』
⑦『アンナと学校と神さま──私たちの子どもを裏切る教育制度』(2013年)
⑧『動物は考える──動物の権利と人間の限界』(2016年)
⑨『狩人、羊飼い、評論家──デジタル社会のユートピア』(2018年、邦訳=『デジタル革命で機械の奴隷にならないための生き方』
⑩『人工知能と人生の意味』(2020年)
⑪『義務について──ある考察』(2021年)
⑫『万人のための自由──私たちが知っていた労働の終わり』(2022年)

⑬『世界を知れ──哲学史Ⅰ』(2015年)
⑭『汝みずからを知れ──哲学史Ⅱ』(2017年)
⑮『汝自身であれ──哲学史Ⅲ』(2019年)


▽現在、日本語で読めるのは、つぎの4点のみです──

・『哲学オデュッセイ──挑発する21世紀のソクラテス』(悠書館、2011年)
・『「愛」って何?──わかりあえない男女の謎を解く』(柏書房、2011年)
・『どうしてボクはいるの?──息子とパパの哲学対話』(柏書房、2013年)
・『デジタル革命で機械の奴隷にならないための生き方──ディストピアを超えて現代のユートピアへ』
(日本評論社、2021年)


●著者プレヒトってどんな人?──

 〇大学教授よりは、むしろ高校の魅力的な哲学教師?
 私は、ドイツ滞在中 (2008年)、テレビに登場する彼を初めて目にし、書店に掲げられたベストセラーランキングに、彼の本が複数入っているのを見ました。当時は、ちょうど、著書『わたしってだれ?』(邦訳『哲学オデュッセイ』)がドイツで大ベストセラーとなって、一躍世間の注目を集めているころでした。
 当時40代前半だった彼も、今年で58歳になります。当時は、アフターシェーブローションのCMに出てきても不思議でないくらいのイケメンでした。ジーンズとスニーカーに長髪と、カジュアルでラフなスタイルはいまも変わりませんが、近年では、はやしたひげに若干、白いものが交じり、さすがに貫禄と渋さと円熟味とが、増してきました。言論人としては、いよいよ脂がのってくるころで、これからが、ますます楽しみです。
 私には、彼を見ると、いつも頭に思い浮かぶ映像があります。昔見たフランス映画で、タイトルは忘れましたが (たしかカトリーヌ・ドヌーヴが出ていました)、その映画の中に、高校生の少年がいて、彼の通う学校には、哲学の教師がいました。哲学の授業なんて、日本の高校にはありませんが(あるのは「倫理・社会」で、社会の先生が、ついでに教える程度ではなかったでしょうか?)、フランスやドイツにはあるようです。その教師が、日本の学校の先生とは、およそちがう言葉と顔つきと雰囲気とで、人生について、みずからの言葉と思考でつむいだ、エスプリのきいた洞察を、教壇から生徒たちにむかって語りかけ、思春期の少年たちが、それをまばたきもせずに、聞き入るという場面がありました。その映画では、この少年と哲学教師とのあいだに、何か心の交流があったと記憶していますが、詳しい筋は忘れました。この教師が、学校の先生というよりは、若くて鋭敏な哲学者、といった雰囲気で、巻き毛の長髪に丸眼鏡、開襟シャツという、ラフな風貌だったのを覚えています。
 こんなふうに、無垢(むく)で感じやすい少年たちが、目を見開いて座っている高校の教室で、教壇から一人ひとりの生徒たちの顔を見ながら、考えつつ、ときに黙り込んだりしながら、語りかける哲学教師プレヒトの姿を、私はいつも思い浮かべてしまいます。彼には、大学の大きな階段教室の教壇や、重々しい研究室や、万巻の書物に囲まれた息のつまりそうな書斎は、あまり似合わないような気がします。
 もしも自分が、もう一度高校生に戻れるなら、(そして、もしも哲学の授業があったなら、)プレヒトみたいな先生の授業を、受けてみたい、と私はつい思ってしまうのです。

 〇“ポップな哲学者”の実像
 彼は、自然科学の世界と人文科学の世界の、どちらの先端的な研究成果にも、ひじょうによく通じています。専門分野を横断するような、学際的な視点をつねに保ちながら、哲学的な問題意識と切り口とを軸にして、現代社会や政治がかかえるアクチュアルなテーマについて、一般人向けに、啓蒙的に、親しみやすく、わかりやすく、かつジャーナリスティックに論ずる評論家です。言うなれば、ポピュラー・サイエンスならぬ、〝ポピュラー・フィロソフィー〟とでも呼ぶべきジャンルで、ドイツでは、出す本がどれもことごとくベストセラーになる人です(その意味で、彼はたびたび〝ポップな哲学者〟という呼ばれ方をされています)。

 ところで、メディアでは、こんなふうに、ふつう「哲学者」という呼称が使われますが、これはじつは、どちらかといえば、メディアによる便宜的な分類によるもの、といえそうです。厳密な意味では、彼は、日本でも人気の高いマイケル・サンデルや、マルクス・ガブリエルのように、アカデミズムの世界で認知、評価されているような、いわゆる学者、哲学研究者ではありません。彼の本領は、むしろ、そうした重要な思想家の考えを、批判的に咀嚼(そしゃく)しつつ、初学者や大衆に、かみ砕いてわかりやすく説明、紹介するところにある、といえます。
 あくまでメディア(テレビ·ラジオ、ネット、新聞·雑誌、書籍)を足場に言論活動をおこなう、思想ジャーナリスト、科学ジャーナリスト、評論家と見るほうが、実像に近いのではないかと思います(ただし、彼自身は、メディア流の「哲学者」なる呼称を受け入れているようです)。

 〇デジタル革命、AI(人工知能)、コロナ、ロシアのウクライナ侵攻……
 近年では、デジタル革命やAIの大量投入が、労働など人間社会にもたらす重大な変化、あるいはそこに潜む危険性について、本を書いています。また、このコロナ禍においては、行動制限を課す国家と、それに反発する市民の姿から、自由や義務についても、考察を深めています。
 今回のロシアのウクライナ侵攻については、結果として多くの人命を犠牲にする、ウクライナの徹底抗戦には批判的なようです。「ウクライナへの武器供与は、いたずらに戦争を長引かせることになるだけ」「ロシアを除外した、あるいは、ロシアを敵に回したヨーロッパの平和秩序は、〝時限爆弾〟みたいに、危ういものでしかない」「願わくば、ウクライナの中立をもって、ただちに戦争を終わらせること」と述べています。


●本書『エゴイストにならない極意』について──

では、本書の目次を紹介しましょう(*今後の推敲、編集過程で、章見出しに多少の変更が生じる可能性はあります)。


〇〈目 次〉

善良であるのを、何が妨げるか──はじめに

 Ⅰ 善と悪

1 プラトンのトークショー──善とは何か
2 美徳のせめぎ合い──善 対 善
3 オオカミどもの中のオオカミ──いわゆる悪
4 侯爵にして無政府主義者、自然研究者の男とその遺産──私たちはいかに互いに助け合うか
5 思惑の進化──私たちはなぜ理解し合うか
6 泣ける動物──心理を読みとる天性
7 怒りの叫びをあげるオマキザル──公正の感覚は生まれつきか
8 感情 対 理性──何が私たちの決断を下すか
9 自然と文化──私たちはいかにして道徳を学ぶか
10 社会的なチェス──人間にはどれほどのエゴイズムが潜んでいるか
11 まんざらでもない気持ち──私たちはなぜ親切でありたいか
12 善行と私──自己イメージはいかに私たちに義務を課すか
13 私自身の友──善き生活とはどのようなものでありうるか
14 ヨガ修行者のネコ──モラルはどこでも同じか
15 シャングリラへの旅──なぜ戦争はあってはならないか

 Ⅱ 望むことと為すこと

1 道徳における視野狭窄──動物的な感情、人間的な責任感
2 群れの道徳──模倣はなぜ理解に先だつか
3 視野の狭い教区民──仲間うち、仲間以外の人びと、まったくのヨソものたち
4 ごく普通の殺人者たち──道徳の操車場で
5 ミルグラムの実験──私たちはいかにして限度をずらすか
6 人身攻撃とはとらないこと──私たちはいかにして自分自身から隠れるか
7 定言的比較級──なぜ私たちはいつも責任をまぬがれるか
8 道徳の帳簿づけ──私たちは自己イメージをいかにうまくいつわるか
9 仲買人、カカオ、ガーナの子どもたち──なぜ私たちはいつも責任外なのか
10 クモの巣の中で──金銭は道徳に何をしでかすか
11 市民農園での殺人──なぜ道徳的ルールを大まじめに受けとるべきでないか

 Ⅲ 道徳と社会

1 赤の女王の国で──私たちの社会は何に病んでいるか
2 ブータン人であることの幸せについて──私たちはなぜゆたかさを測りまちがうか
3 イースター島の大きさ──私たちのゆたかさはなぜもはや成長しないか
4 神話、市場、経済人──経済を動かしているものとは…
5 フライブルクに立ち返る──…しからば何が経済を動かすべきか
6 アッカーマンと貧しき人びと──いかにして経済活動に責任感をもたらすか
7 美徳への回帰──どうしたら市民精神は旺盛になるか
8 幸せな納税者──報奨のもちい方について
9 市、州、国──私たちに必要なのはどの地平か
10 疎遠なる共和国──私たちの民主主義は何に病んでいるか
11 市民の合意──民主主義はどのように改革できるか
12 スピーカーズコーナー──公共にたいする責任の喪失 ……そして私たちはそれをいかにして取り戻さねばならないか

願わくば昼の見方を──あとがき


〈付 録〉
原注
人名索引


次に、本書の内容について説明しましょう。


★道徳の危機をめぐる、エキサイティングな哲学的探査

 〇コロナ以前の問題は、なくならずにある
 この2年来、コロナ禍で世界がまさに一変してしまった観がありました。たしかにコロナは、コロナ以後の社会や世界のありようを、さまざまな点で変えずにはいないでしょう。

 けれど、コロナ以前の世界や社会で問題化していたことがらは、依然として、私たちの問題でありつづけますし、それを踏まえてでなければ、将来への道筋も、ろくに見えてこないだろうことは、いうまでもありません。

〇「道徳的危機」としてのリーマン・ショック
 本書の刊行は、リーマン・ショック(2008年)直後の2010年です。コロナ以前の大きな経済的災禍として、昨今、頻繁に引き合いにだされるこの金融恐慌を、著者プレヒトは、たんに経済危機とはとらえず、社会的危機、「道徳的危機」としてとらえました。
 1980年代に英米が推進し、世界がこぞってそれにならった新自由主義、ソ連・社会主義陣営の崩壊と資本主義の勝利、グローバリズムの急拡大──。その果てに起こった、この経済的災禍の傷跡が、ドイツでもまだ生々しく残る雰囲気のなか、かつてオーストリアのジャーナリスト、ヨーゼフ・キルシュナーが1976年に出版して大ベストセラーとなった本『エゴイストになる極意』をあえてもじり、逆に『エゴイストにならない極意』と題して出版したのは、そのためでした。

 当時、金融恐慌をひき起こし、その穴埋めを国家にさせた銀行家たちのふるまいが、ドイツでも「エゴイスト」「エゴイズム」とさかんに非難されていました。他方、それまでの20年来、めざましい発展期にあった英米の進化生物学は、時代の傾向にぴったり合わせるかのように、人間の本性を、〈私利私欲のみを追求するエゴイスト〉とみなしました。それは、そもそも遺伝子の指令によるのであり、とりわけ極限状況においては、この本性が露呈しやすい、とされました(この主張は、その後、生物学においても、利他的な行動の本来性を指摘する異説や異論が登場して、こんにちでは、かなり下火になったとはいえ、利他的な性向はむしろ表面的なものにすぎず、エゴイズムのほうが、人間の、より本質的な本性である、とする見方には、依然として根づよいものがあります)。
 昨今でも、たとえば、プーチンのロシアによるウクライナ侵攻、米国のトランプ前大統領の自国第一主義、習近平の中国の覇権拡大の動き、そしてコロナ感染拡大のさなかに世界各国が見せた国境封鎖、入国制限、コロナ・ワクチンの争奪戦などを見るにつけても、ある意味で、このエゴイズムが端的に表われている、ととれなくもありません。

 2種類のエゴイズム
 けれど、著者は、エゴイズムを2種類に分けています。「人間は何をするにせよ、何かしらを──お金や、評価や、愛情や、喜びや、満足を──得ようとして生きており、それじたいは別に悪いことではないし、非難されるべきことでもない。その意味では、人間はすべてエゴイストだ。けれど、それがただちに、“非情なエゴイスト“であることを、意味したりなどしない。問題とすべきは、“いつどんなときでも、他者をかえりみず、おのれの利益だけを、何が何でも追求するタイプ”である。彼らは、自分が他人を扱うようには、自分はぜったいに扱われたくない人間だ」。普通人のだれもがもっているエゴイズムを、後者の非情なエゴイズムの一種(亜種)とみなしたり、両者をいっしょくたにして論じたりするのを、著者はまったく無意味なこととして厳しく戒めます。そして後者のタイプも、たしかにいるにはいるけれど、けっしてそれほど多くはない、といいます。むしろ多くの人びとは、自分は善良な人間だと思いたがるし、思っている。それなのに、なぜ世の中はかくも、よろしくないことばかりなのか──。

 もしも宇宙からやってきた動物行動学者が、先進工業国の人びとの暮らしぶりを観察したなら、そこには、たえまなしになされる広告宣伝による〝エゴイズムの奨励〟しか見当たらず、社会の協力と連帯の徴候を何ひとつ見つけられないだろう、と著者はいいます。その意味では、リーマン・ショックの金融恐慌をひき起こした張本人たる銀行家たちは、〝特別な存在〟なわけではなく、だれもがその立場にあったなら、同じことをやりかねなかったかもしれない、と指摘します。

 エゴイズムの反対は、善良さであり、だからそれは、必然的に「道徳」の問題になってきます。〝道徳的に善い〟とは、正直、真実を愛する心、友情、誠実や忠実、扶助や親切、同情や慈悲、好意や丁重、尊敬、勇気、市民として自己の信念を主張する勇気──といった諸価値にしたがうこと、といっていいでしょう。
 環境生態系の大変動、情報社会と多文化性、地球的な規模の再配分、という時代にあって、いまやモラルの見直しがかくも必要とされていながら、「いったい人間は、道徳的に、どのように機能するものなのか」ということが、私たちには、いまだに少しもわかっていないように見える、とプレヒトはいいます。

 道徳をめぐる哲学的な探査の旅へ
 かくして著者は、本書を3部に分けて、さまざまな角度から光をあてながら、この「道徳」をめぐる哲学的探査に、読者をいざないます。人間の道徳にかんして、諸科学が獲得している知見や主張する説を、著者は広く紹介しながら、プラトンやアリストテレス、デイヴィッド・ヒュームやヴィトゲンシュタインといった人びとの、興味深い生涯と思想に分け入ります。普通の人びとの衝撃的なふるまいを暴いた、ミルグラムの心理学実験や、ナチス政権下の、一人ひとりはみなごく普通の善良な中年男性からなる、第101警察予備大隊による、ユダヤ人大虐殺の顛末(てんまつ)に目をこらし、フィリピンのミンドロ島からヒマラヤのブータン、南太平洋のイースター島にまで、縦横に舞台を移して、こんにちの私たちの道徳をめぐる認識論的な、そして実践的な座標軸を、わかりやすく、あざやかに描きだしてみせます。

 「哲学は、もはや偉大な真理をあきらかにするのではなく、できるとしても、新しい関連性をはっきりと示せるぐらいが、せいぜいのところである」──と考えるプレヒトは、脳科学や進化生物学、社会学や社会心理学から行動経済学まで、諸科学の先端的な成果に目を配りながら、それらが相互に、哲学的にどういう意味や関連性をもつのかを探り、それを一般の大衆に向けてわかりやすく平明に、魅力的なしかたで伝えられる、稀有(けう)な書き手です。欧米──とくに英米には、多くのすぐれた科学ジャーナリストや科学ノンフィクション作家、魅力的な語り手でもある自然科学者たちがいて、彼らの著書の多くが日本でも翻訳されて読者を獲得しています。けれど、自然科学と社会科学の両方に目がとどく学際的なセンスと、時代のはらむ問題性を鋭く切りとるジャーナリスティックな感覚を兼ね備え、ドイツ語文化圏・ドイツ文化の遺産(レガシー)の上に立脚しつつ、大衆に向けて語れる、哲学的な語り部である彼は、稀有で貴重な存在といえましょう。

 私たちの道徳的本性にかんする「吉報」
 第Ⅰ部では、まず人間の「道徳」の問題を、哲学的に、かつまた生物学的、進化論的に考察してみせます。道徳(善)は、プラトンが考えたような〝天上的に定められた秩序〟ではなく、人間どうしのあいだに生じる、相対的なものであること。道徳的能力は、太古以来の〝社会的直覚〟に根ざしており、人間に生まれつきそなわっていること。そしてアリストテレスが見抜いていたように、満ち足りた生活をするためには、人間は自己自身と調和し、肯定的な自己イメージを必要とすること。人間はみずからを善人と思いたがるものであり、利他的なおこないをすると脳がこれに報いて、晴れ晴れとした、いい気持ちにさせてくれること──を確認します。著者は、これは私たちの道徳的本性についての「吉報」だといいます。──それにもかかわらず、なぜ自己イメージとじっさいのおこないとのあいだには、大きな溝が生じ、善はかくも世におこなわれにくいのか──。

 私たちの道徳的本性にかんする「凶報」
 そこで第Ⅱ部では、人間が道徳的責任から逃れるためにもちいる、多くのトリックや自己欺瞞(ぎまん)──意識から押しのけたり、問題をすり替えたり、他人と比べたりするやり口について、道徳心理学的な側面から、吟味をおこないます。ナチ政権下での普通の人びとによる、非道なユダヤ人大虐殺や、人間の見せる群れ行動、限度を知らず知らずのうちにずらしてゆく、科学的実験の衝撃的結果から、読者はわが身におきかえて思わず慄然(りつぜん)とさせられたり、苦笑させられたりします。さらには、現代世界の社会システムが一個の人間を複数の役割に分裂させていること、個人的な感情と職業上の行動が別次元のものとなり、道徳的責任や世界の大局についての責任を感じにくくさせている──政治家や財界首脳ですら!──ことが確認されます。安倍政権下の森友問題にかかわった財務官僚とか、統計不正の国土交通省の官僚たち、関西電力の幹部や、かんぽ生命の社員たち、法務大臣の地位にあった政治家などが、どうして不正を犯すのか、少しわかったような気にさせられます。こんなぐあいに、著者は私たちの道徳的本性の「凶報」についても、あきらかにします。
 さて、こうした私たちの道徳的本性の吉と凶とから、私たちは何をさとり、何を学べるのか──

 善をおこないやすい社会にするには、どうすれば?
 そこで第Ⅲ部では、現代欧米社会の現状に目を転じます。成長至上主義と新自由主義とグローバリズムの激流のはてに、リーマン・ショックの座礁を経験した社会。そこに露呈している焦眉の道徳的諸問題に、著者は光をあて、これに警鐘を鳴らします。政治は経済への介入・調整を放棄している。市場規範によって社会規範がすっかりむしばまれ、物質への欲望を駆りたてる広告宣伝の大洪水が、エゴイズムを奨励し、消費者メンタリティーばかりを助長し、社会的団結を弱めている。ロビー活動や政界と財界の癒着が、民主主義を切り崩し、一部の政治家や大企業が、利権や利益を独占している。大事なのは、個々の市民の幸福よりも成長である、という成長至上主義のイデオロギーが、生態学的にあやまった発展を許し、次世代への遺産を使いはたしつつある──。
 それでは、社会的不正をおこないにくくさせ、公共(これから生まれてくる後継世代をも含む)の福祉のためになる活動に、人びとの社会参加をもっとうながすためには、経済・社会制度はどのように改められねばならないか。不正を犯したさいの罰則の強化や、善いおこないをした人が報われる報奨制度の導入など、著者自身の提言も披露されます。経済に責任感と社会福祉の次元をもたせ、持続可能なものへと転換してゆくために、民主主義もまた、改造されなければならない、といいます。
 ドイツのように、これまで国家が手厚い社会保障をおこなってきた国も、いまや厖大(ぼうだい)な負債をかかえており、従来のような社会保障制度をいつまでも維持できないのがあきらかである以上、社会福祉や厚生、保護、支援事業の大部分は、近い将来、市民自身が担わなければならなくなるだろう、といいます。

 共同体主義と社会的愛国心
 ここで著者は、米国の哲学者マイケル・サンデルや、英国の哲学者アラスデア・マッキンタイアらの「コミュニタリズム(共同体主義)」の考え──市民は文化的伝統や歴史的記憶を共有する共同体をこそ重視し、連帯とコミュニティー意識にもとづく「社会的愛国心」をもって、積極的に活動すべきであり、それがアリストテレスがいう意味での、人間としての〝善い生き方〟でもある、とする考え──は、有効であるとします。そして社会を変えてゆくのは、政治家でも財界首脳でもなく、自分たち自身なのだ、という思いに目覚め、市民がもっと責任を自覚し、積極的にかかわる必要があることを説きます。そのためには、市民みずからもが、もっと決定に参加してゆくこと、住民表決などの直接民主制の導入も、必要であるといいます。
                    *

 ★科学的な実験や調査の話も、盛りだくさん‼★
 道徳をテーマにしているといっても、本書では、けっして抽象的な議論や観念的な話に終始しているわけではありません。もっと具体的で、もっと実際的、現実的で、それだけにワクワクさせられる、興味深い内容が盛りだくさんです。本書に紹介、言及されている主な実験や調査を、大ざっぱに分類し、わかりやすい見出しにして、以下に列挙してみると──

 <動物を使った実験>
▶キヌザルがみせる無私の行動 (自分の分け前がなくなろうと、他のサルにえさを提供するとは!)
▶孤児のサルを手厚く世話する、オスのチンパンジー「フレディ」
▶群れによって、パートナーづくりの社会行動がまったく異なるアカゲザル
▶オマキザルには、公正 (公平)を期待する感覚がある
▶生まれたばかりのアカゲザルを、家族から引き離して孤立させる実験
▶ミラーニューロンはこうして発見された!──サルの脳活動を調べる実験で

 <子どもを使った実験>
▶乳児はもう善悪を見分けられるし、それを観察によって修正すらできる?
▶そこにいない子どもとお菓子を分けさせる実験──自分の取り分をちゃっかり多めにするか?
▶ハロウィーンに物乞いする子どもたちは、どんなときにキャンディーをねこばばし、どんなときにはあえてそれをしないのか?──「鏡」を使った実験
▶自然にわき起こる親切心──幼児とチンパンジーを観察してみてわかった!
▶①「それを売った代金は、病気の子どもに寄付されるんだよ」②「ごほうびに、オモチャをあげるからね」③「えらい、えらい、よくやったね。たいしたもんだ!」④「……(無言)」──①~④のことばで、児童たちに色紙を色別に仕分ける作業をさせた。それぞれの場合の作業具合を観察してみたら、こんな重大なことがわかった!

 <脳内の血流を調べる実験>
▶ウガンダの孤児への食料支給を削減せざるをえない場合、ひとりの15食分をカットするか、それとも二人の18食分 (ひとりにつき9食) をカットするか?──どちらかに決断するさいの脳内を観察してわかったこと
▶莫大なお金が手に入るのを想像してみて! つぎに、それを慈善目的で寄付するところを想像してみて! 前者と後者の場合の、脳内を観察してわかったこと
▶お金をさしだされると、脳の中でこんな変化が生じるとは…⁉──スタンフォード大学での実験
▶大統領候補二人のテレビ討論をどう評価するか──両候補の支持者たちの脳のはたらきを観察してみたら、こんなことがわかった!

 <経済学の実験>
▶最後通牒ゲーム
▶独裁者ゲーム
▶信頼ゲーム
▶<対人>と<対コンピューター>の場合では、最後通牒ゲームと信頼ゲームの結果は、どうちがってくる?

 <自己イメージにかかわる実験・調査>
▶鏡に映る自分は、自分のイメージとはおおちがい? 鏡の前でホームトレーナーをやらせたら、女性たちは、トレーニングに集中できなくなっちゃった……
▶モデルの写真を見せられたあとで、自分の魅力について問われた女性は、さすがに……。ところが、そのモデルと誕生日が同じだと教えられると、同じ質問に、こんどは何と……‼

 <ショッキングな結果には、ご用心!>
▶大講堂に200人を集めて、集団の動き方をさぐる実験をやってみたら……
▶教師役の彼らは、いったいどこまで電圧を上げるつもりか⁉ 答えをまちがえた生徒役に衝撃電流をくらわしてお仕置きさせてみたら……──エール大学の心理学者ミルグラムの、ぞっとする実験
▶テレビはどれだけの人びとをあやつるか──フランスの映画監督が試みた「ミルグラムの実験」の“テレビ中継版”
▶「いま、何してる? 何感じてる? 何考えてる? それをメモして!」──サラリーマン107人にポケベルをもたせて、こんな質問を1日に何度もしてみた! この実験調査からわかったこととは?
▶「慈悲の心」について講演を依頼され、道を急ぐ神学部学生に実験をしかけてみた!──はたして彼は、道にうずくまってうめいている男性を助けるか、見て見ぬふりをして道を急ぐか?
▶予言がはずれたとき、予言者はどうなるの?──世界滅亡を予言したマリアン・キーチと、その信者たちにじっさいに起きたこと
▶宝くじの当せんの喜びも、事故にあった悲しみも、2年もすれば、元に戻っちゃうってホント?

 <あなたなら? を尋ねてみたアンケート>
▶「死んだ愛犬を食べる」「国旗を使って便器を磨く」……極端だけれど、だれにも迷惑をかけるわけじゃない行為の事例──人びとの反応を聞いてみると⁉
▶戦時下、敵がすぐ近くで探し回っているなか、地下室に大勢の人びとがいっしょに隠れている。そのとき、赤ん坊が大声で泣き叫ぶ!──あなたなら、その赤ん坊をどうするか?と聞いてみた
▶「わが子といるときの幸福度」調査──米国人の親たちに聞いてみてわかったこと
▶どちらを救うべきか? 線路作業員5人の命か、隣の線路にいる 1人の作業員の命か──世界中の30万人に聞いてみた‼
▶隊列から抜けるべきか、そこにとどまるべきか──ユダヤ人大虐殺をおこなう警察予備大隊における、それぞれの立場を支持する理由を、大学生が議論のうえでリストアップしてみた

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 ★「道徳」について、何となく論じにくい日本★
 一般に道徳といえば、ブッダや孔子やイエス・キリストの教え、プラトン、アダム・スミス、カントらの道徳哲学、あるいは善悪の彼岸を説いたニーチェなどが、思い浮かびます。
 他方、ダーウィン以来、生物学においても、道徳の発生については、議論がなされてきました。現代の英米の霊長類学者や動物行動学者、進化生物学者、心理学者、脳科学者らによる近年の著作の翻訳によって、欧米における自然科学の立場からの、道徳や、その起源へのアプローチが、日本でも昨今、よく知られるようになってきています。
 とはいえ、こうした新しい科学的知見を、哲学的な批判的思考に照らして吟味したり、論じたりしているものは、けっして多くありません。日本は歴史的、文化的に、仏教と儒教の影響下にあり、 他方では、教育勅語をもとにした道徳教育の「修身」が、天皇への忠君愛国による軍国主義に利用された経緯があります。そのため、「道徳」を道徳として、フラットに論じにくい面が、いまでも何となくあるような気がします。そのせいか、一般読者が気負いも、気構えもなしに、道徳的な心のはたらきについて、読み、かつ考えられる、学問的な背景をそなえた本が、日本ではあまり見られません。そこへゆくと本書は、精神主義とはまったくちがう次元の道徳論になっているので、読者はきっと、目からウロコが落ちるように、「道徳」(モラル)という人間がもつ能力のはたらきを、虚心坦懐(きょしんたんかい)に眺めることができるでしょう。
 東日本大震災の災禍や、今回のコロナ禍の中での日本人の態度、ふるまい方に、海外の人びとは、公共の中での節度・礼節を感じて、驚きと感心の目を向ける、という話が、しばしば報道されてきました。けれど、そんな日本社会においても、犯罪などの不正行為や、不道徳な事件が、毎日のように世間を騒がせています。こうしたおこないをする人たちは、必ずしも特別な人びとなわけではありません。同じ立場や状況にあったなら、ひょっとして自分も、同じことをやりかねない。それはどうしてか──それを本書は、わかりやすく教えてくれます。

 ★12年前の本なんて、いま読む価値があるの?★
 本書には、もちろん、執筆した当時の時代状況を、ある程度前提にしていたり、時事的な問題にからめたりした表現も、ないわけではありません。けれど、基本的には、人間の、時代を超えて普遍的な、道徳的な側面や、その本質について論じたものです。この間の時間的経過による、社会的、経済的、政治的状況や環境の変化によって、いささかも、本書の議論の有効性が失われたり、論点が左右されたりするものではありません。
 たしかに、2010年から2022年の間に、世界や日本のうえに生じた出来事、情勢や潮流の変化には、多大なものがあります。これらの事柄は、当然ながら、本書には反映されていません。けれど、いろいろな意味で、それらへの予兆や予感は見てとれます。脱炭素化への動きなど、本書が書かれた時点から(ようやくにして)世界的に大きく動きだしたものもあれば、資本主義にたいする問いなおしのように、言論のうえでは〝流行〟を見せていながら、現実の成果には、ほど遠いものもあります。この間の事態の進展について、読者は、本書を読みながら、おのずと考えずにはいられないでょう。このように、現在にいたる、いわば歴史的推移を体感するうえでも、12年前の本は、有益でこそあれ、無益であるはずはありません。
 そればかりでなく、本書の視点や人間観は、こんにちにいたるまで、著者プレヒトの思考の土台をなしています。それゆえ、ウィキペディア (ドイツ語版・英語版 )では、彼の思想を解説した部分の多くが、本書によっています。
             


プロジェクトをやろうと思った理由

  ★出版のチャンスは遠のき★
 プレヒトは、ドイツでは、テレビなどのメディアによく登場することもあり、知名度がひじょうに高く、出す本がすべてベストセラー入りするほどですが、日本ではまったく事情が異なります。彼の邦訳書は、上記に掲げたとおり、これまでに4冊あります。本によって多少ちがいはあるものの、どれもまちがいなく、一定の読者をつかんでおり、いまも読者を増やしています。しかし、残念ながら、売れ行きの面では、総じてあまりよくありません。
 「ポピュラー・フィロソフィー」というジャンルが、日本ではまだ認知されていないか、認知されにくい事情があるせいでしょうか。本格的な哲学の読者には、俗っぽい、まがい物と見なされて軽んじられ、一般読者には、逆に小むずかしく見えて、避けられてしまうきらいがあるのかもしれません。

 10年ほど前、2012~2013年ごろ、本書 『エゴイストにならない極意』 の翻訳出版について、いくつかの出版社に打診してみたことがありました。しかし、当時の出版不況の厳しい状況に加え、本書が一般人向けの本でありながら、学術書なみに頁数が多いことなどが、ネックとなり、どこにもひき受けてはもらえませんでした。本書は、原著で500頁を超える分量があり、日本語版でも600頁近くになりそうな本なので、はなから出版社に避けられてしまいます。専門書の場合なら、高い値段をつけても買う読者がいるので、ぶ厚くても出版してくれますが、本書のような一般人向けの教養書、啓蒙書の場合には、そうはゆきません。売りにくい、売れない、という理由で、出版社は嫌がります。

 ★面白さにぐいぐいひかれて、翻訳をつづけ…
 出版してもらえる見通しもないまま、本書の語りや構成の面白さに、ぐいぐいと魅かれ、また、いつか出版できるチャンスがめぐってくるかもしれない、という思いから、私は、生活費を稼ぐ仕事の合い間を見つけては、少しずつ翻訳作業をつづけてゆきました。本書には、著者の渾身(こんしん)の作品であることをうかがわせる何かがありました。(途中、何年かの中断を余儀なくされはしたものの、)5年ほどの歳月をかけて、2020年の夏に、ようやく訳了することができました。
訳了してから、出版界に通じた知人の助けも借りて、複数の出版社にあらためて翻訳出版をもちかけてみましたが、やはり上に述べたような事情から、さらには原著の発刊が2010年と、すでに刊行時から年月がたってしまっていることも、ネックになり、どこにも取り合ってはもらえませんでした。

 そこで私は、出版社に持ち込んで刊行してもらうのを断念し、代わりに自費出版の形で、本にできないものか、と考えました。(──プレヒトの邦訳書のいずれかをお読みになった方は、数万人とはいなくても、全部合わせれば、数千人はまちがいなく、いらっしゃいます。こうした方々のなかには、プレヒトの著書をもっと読んでみたい、と思っている方が、きっとおられるはずです。その方々に、プレヒトの思考のエッセンスが詰まった本書を届けたい、どうしても読んでいただきたい。さらには、彼を知らない人びとにも、新たに彼と出会って、ぜひ彼を発見していただきたい、という一念からでした。)
 

 ★最後の頼みの綱
 昨今では、多くの出版社が自費出版をビジネスにしており、特化した部門をもっています。そうした業界の中でも、とくに良心的と思われる会社に相談してみて、とりあえず見積もりを出してもらいました。翻訳書であることから、日本語版の版権取得の手続きに、まず費用がかかること、また版権の取得上、最低1000部はつくる必要がある(部数が少ないと、版権を売ってもらえない)こと、本書は、600頁近い分量があることなどから、四六判のソフトカバー(並装)にした場合でも、合計で180万円は必要になる、との回答でした。残念ながら(そして、お恥ずかしいことに)、私にはこの金額をぽんと出せるほどの蓄えも、経済的余裕もありません。
 初期費用がいっさいかからない、オンデマンドの個人出版方式を利用することも検討してみましたが、個人では翻訳版権の取得が困難という問題もあり、断念せざるをえませんでした。
 そこで、上記の自費出版社の条件を満たす資金を得るために、最後の頼みの綱として、このクラウドファンディングにたどりついた次第です。

 


資金の使い道

 目標金額の250万円が集まった場合、その用途の内訳は、つぎのとおりになります。
まず、CAMPFIRE手数料(250万×17%)が42万5000円。自費出版の版元(出版社)に、翻訳版権取得料および本の製作費(四六版・並装(ソフトカバー)×1000部)として支払う代金が、180万円です。 残り27万5000円を、支援していただいた方々へのリターンに使わせていただきます。


実施スケジュール
・2022年 5月中旬までに、プロジェクト公開
・7月中旬までに、プロジェクト公開終了
・7月末までに、自費出版社側と契約、打ち合わせ
・8月中旬までに、原稿入稿
・12月まで、編集、校正、校閲作業
・2023年 1月下旬に、印刷・製本完成
・2月初め~、支援者の皆さまにリターン品を発送
・2月中旬までに、配本(書店、図書館等に流通。アマゾンは比較的早めになります)

〔※上記のスケジュールについては、出版社の合意・許諾を得ております〕
     


最後に

 ★読みたい本を、自分たちの手で形に
 皆さんもご存じのとおり、急速なデジタル化、IT化にともない、いまメディアの世界も、大きく変わろうとしています。スマートフォンの普及で、個人の一人ひとりが、有名か無名かを問わず、情報の発信者となり、大きな世論とは別に、みずから共感する人びとの輪を、独自に生みだせる時代になりました。こうした中で、出版のあり方にも、革命的なことが起き始めています。紙と電子版の両方でオンデマンド方式の個人出版を可能にするサービスや、EXODUS(エクソダス)のような、クラウドファンディングを利用した出版プラットフォームの登場も、そのひとつといえます。私は、このメディア革命がさらに進展し、いつか出版という行為が、もはや、既成の出版社の、特権的な独占物ではなくなり、つまり、出版社の人間だけが世に出る出版物を決定する権利をにぎるのではなく、著作物の著者や翻訳者と、それを求める読者や支援者による協同的な営為によって、もっと自由におこなえるようになる日が来ればいいな、と思います。
 その意味でも、本書の自費出版プロジェクトのためのクラウドファンディングは、出版社頼みから足を洗い、出版物を自分たちの手に奪い返し、みずからの力で形にする運動の、ささやかな一歩のひとつにでもなれば、と考えております。


 ★“心を分け合う友だち”のように
 本は、それを書いた人、つまり著者(あるいは訳者)のものでも、出した出版社のものでもありません。本は、それを読んでくださる人、つまり、皆さま、読者のものです。本は、だれかによって、多くの中から、発見され、読まれることで初めて、おのれの命(いのち)を得られます。心ある読者と出会わないうちは、本は死んでいるのも同然です。人間に例えるならば、読者は、〝心を分け合う友だち〟のようなものです。

 きらびやかな大書店や、新刊本のセンセーショナルな新聞広告の賑わしさとは、遠く隔たった、たとえば地方の町の、小さな図書館で、この瞬間にも、人知れず、ある本が、だれかの目にとまり、そして借り出されています。こうした名もない出会いが、市場の喧騒(けんそう)とは別のところで、いくつも積み重なって、じつは、本のほんとうの精神的な世界を、静かに、秘かに支え、形づくっているのではないでしょうか。「世界は、見えないところで回転している」 と、ある哲学者もいっています。
 だとすれば、心ある人びとがいれば、死んだままの原稿を本にして、新たな命を吹き込むことだって、けっして不可能なはずはありません。

 本書 『エゴイストにならない極意』 の──あるいは、著者プレヒトの、お友だちに、ぜひ、なっていただけないでしょうか。お一人おひとりが、本書(彼)とじっくり付き合っていただけるなら、訳者として望外の幸せです。まずは、彼に、人様の前に出られるだけの服を着せてやるために、どうか皆さまのお力を、お貸しください。そして、本にできたあかつきには、ぜひ皆さまの心と精神で接していただき、これにどうか、命をお吹き込みください!
 (最後まで読みいただき、まことにありがとうございました。)


<募集方式について>
本プロジェクトはAll-or-Nothing方式で実施します。目標金額に満たない場合、計画の実行及びリターンのお届けはございません。

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