B.L.S.です!
今日は甲府の宝飾に関する歴史についてお話をさせて頂きます。
世界に誇る「Made in Japan」といえば、鯖江のメガネ、今治のタオル、岡山のデニム、鳥羽の真珠などが思い浮かぶでしょう。
甲府のジュエリーも、本来は世界に誇る「Made in Japan」に入るべき歴史と実績があるのです。
そもそも、なぜ甲府市でジュエリーの製造が盛んになったのでしょうか?
山梨県は水晶の鉱脈が豊富にあり、古くから透明度が高く質の良い水晶が採れていたそうです。
縄文時代の狩猟では水晶を使って「石鏃(いしやじり)」や「ナイフ」などがつくられていたことが記録されています。
さらにその歴史は、はるか旧石器時代まで遡るといわれています。
その後、江戸時代の甲府市ではその水晶を研磨する研磨職人やカットされた水晶を装身具 ( かんざし、根付け、帯留めなど ) として製作する職人が育っていったのが地場産業の始まりでした。
そして、明治時代には甲府市にある「金峰山」周辺で水晶の採掘が盛んになり、 市川松次郎という方が考案した水晶をくり抜いて指輪の内側に金の輪を入れた「水晶の金の指輪」が全国で流行したそうです。
大正時代には水晶飾りに変わり、金の指輪をはじめとする金の飾り製品をつくり、これ以降「貴金属工芸技術」が盛んになりました。
現在の貴金属・宝飾品の加工技術は、この水晶を研磨する技術がきっかけとなり、現在の伝統産業へと発展を遂げてきました。
その後、全国の宝飾業界の業績は伸び続け、今から30年以上前の全盛期の頃には、3兆円産業として栄えていましたが、2019年には約9千5百億円まで縮小しています。
さらにこのコロナ禍の影響により6~7千億円まで減少し続けているのが現状です。
この長い歴史の中で世界に誇れる甲府の宝飾や技術力を絶やすことなく継承していく為にも
「甲府宝飾プロジェクト」で活動をしていきますので応援宜しくお願い致します。