※私すえなみなりの解釈であり、書籍の要約ではないことをご留意ください。こんな感じで「社会人のための勉強会」では題材として本を読み解いていきます。
【エネルギーを自ら生み出すことができる存在を”生命”と言う。】
機械にではない、人にしかできないこと。それは内側から湧き出る情動、行動するモチベーション。
はじめに.
機能しなくなったシステムを見直して、新たな価値が生まれるシステムを作り直さないといけないのです。
そうした新しい戦略を日本のみなさんに伝えることは、今の僕の義務だと思っています。
1.「個人」として判断することをやめればいいと僕は考えています。
明治維新以降、日本は西洋化を目指してきました。
西洋思想を簡単に言えば、個人がすべての元です。目指すものは個人がレベルアップしていかに神へと近づくのか。神との対峙し、神に許しを請う思想です。
これに対し、東洋思想は一言で言えば”自然”です。
日本人は、どこまでいっても、同質性、均質性に紐付いています。自然のエコシステムとの距離感を保ちながら暮らしていく思想です。
「私はこれが良いと思う。」を捨てる。
「私”達”はこれが良いと思う。」
自分が所属するコミュニティの視点から個人の行動を判断していく。
2.拝金主義的な考えを変えるために大事なのは、文化であり、美意識であり、大人への教育である。
トレンディドラマによって拝金主義が広がったのであれば、トレンディドラマでその洗脳を解く必要があります。
「年収300万円だよ」という人をバカにするような金融崇拝の人達を、お金の軸だけで考えないように律するコンセンサスを持つこと。
お金を軸に考えていては、社会の富も多様性も生まれない。
今、社会の動きとして、年収の低い人を上げる施策や取り組みをしたりしています。
社会的に良い取り組み、弱者を救う手立てをしているようで、実は弱者を作り出しています。
「年収が低いことを悪いことだ。年収が低い人達は劣っている人達だ。」
そう言っているのと同じなのです。
ここで考えるべきは、基準がお金になっていることです。
何かに一心不乱に取り組みたいことがある。例えば職人。
衣食住は最低限あればいい。我慢ではなく、それで充分な人がいる。
その代わり芸、技を磨くことに心血を注ぐ。
江戸時代には、そうした人達への尊敬の念が世間にあった。
今は、そうしようと思っても、収入が少ないこと、衣食住がみすぼらしいことに罪悪感を持ってしまって、取り組むことができない社会になっている。
3.障害者も高齢者も介助が必要な人も「体のダイバーシティが高い人」になる。
デジタル社会では身体上の違いは問われなくなってきます。
今の世の中、目が悪い人を障害者とは呼びません。それはメガネやコンタクトレンズによって補完できるうようになったから。
同じ様に機会やAIによって、今障害と呼ばれることでも、補完できるようになる。
そうしたら障害から人の多様性の一つだよね。ってことになる。
デジタルとアナログが融合した世界を「デジタルネイチャー」と呼びます。従来からの自然と、インターネットなどのデジタルの世界が渾然となって新しい”自然”が作り出されている世界です。
先にも書いたとおり、デジタルネイチャーは身体的ハンディキャップを多様性の一つに変えます。それはいわゆる弱者に優しい社会であり、弱者に優しい社会は多様性を生み出します。
多様性のある社会は多くの富を生み出します。
4.例示と対話による説得
日本は機械親和性が高い社会です。
テクノロジーはカラクリ人形と同じです。いわゆる職人が作り出す芸術がテクノロジーと捉えています。
ロボットやAIそのものではなく、それを作り出した職人を見ている。
対して西洋では労働は神聖なものです。
神聖な労働をロボットに盗られることを嫌う傾向があります。
このように機械親和性が高い日本でも、一定数は拒否する人達がいます。
でも、このように話をしたらどうでしょうか。
「今、ウォシュレットで洗ってもらっているお尻。人に洗ってもらうのと、機械であらうのとどちらがいいですか?」
大半の人は機械を選ぶのではないでしょうか。
5.リーダー2.0
リーダー1.0は、1人で何でもできてマッチョで強い人でした。いわゆる中央集権的なリーダーですね。
しかし、これからのリーダーは、1人で何でもできる必要はありません。
そもそも独立した個人という考え方自体が近代が生んだ幻想です。
それ自体が古くさい幻想で、日本には合いません。
2.0のリーダーは完璧な人ではありません。逆に一つのことしができない、弱さを見せられる人です。音楽で言ったらバンドです。
それぞれが得意なことをすればいい。
ポイントは共感。
「この人が地球上からいなくなったら寂しい。」
こんな感覚を持つ人がリーダー2.0です。
6.個人のキャリアプランとしてはベンチャーに就職することが賢い選択になります。
これからの大企業は、ベンチャーと組んでイノベーションを起こしていくようになります。
これはどちらが良い悪いではなく、両方手を組むことに意味があります。
個人として考えると、初めのスタートはベンチャーで専門性を磨きます。ベンチャーは大きくないので、会社でやっていること自体が個人の専門性になります。
前述の通り、
大企業とベンチャーは手を組んで事業を進めていきますから、そこに人材の流動性も生まれます。ベンチャーにいた人が大企業へ移動、逆に大企業にいた人がベンチャーへ移動。
こうした人材の流動によってイノベーションが起き、日本全体が活性化していきます。
ですから、これから社会に出る人は、会社を選択するのではなく、自分のキャリアをどう積んでいくのか。積むだけじゃなくて、昔の百姓みたいに同時に色んな事業へ参画し、横でもキャリアを積んで相乗効果を生んでいくことを意識していく必要があります。
まとめ:
モチベーション格差の時代。
隣の家がうちより1000倍収入が多い状況はあまり発生しませんが、
「隣の家には本が一冊もないければ、うちには本が1000冊ある」という格差は普通に発生しています。
これは貧富の差よりも大きい差が生まれているということです。
家のみならず、地域間格差も言えます。
良質な本が気軽に読める図書館がある地域とない地域。
知識と情報さえあれば、人は勝手に考えて行動するもの。
このワイワイガヤガヤ図書館プロジェクトでは、行政に言うだけじゃなく、個人にだって環境整備ができるんだよ!
っていうことを示したい。