※私すえなみなりの解釈であり、書籍の要約ではないことをご留意ください。こんな感じで「社会人のための勉強会」では題材として本を読み解いていきます。
【経済活動と自給的活動、コミュニティ作りは車の両輪】
お金の現在の基本的な知識を与えてくれる本。
その知識を使って自分の人生にどうやって役立てるのか。どうやって生きていくのか。
それは読者の宿題。
はじめに.
この本は、佐藤航陽氏が昔の自分に教えたいことを書いた本。出発点は、お金のあるなしで人生が決まる。人生は不公平だと感じた時。
「お金のあるなしで人生を左右されてたまるか!」
その熱量が込められた本。
1.Fintech1.0
これは既にある金融の概念はそのままにIT技術を使って、その業務を極限まで効率化したもの。あるいは、すること。
既存の概念であるため、何をすることなのか一般に理解しやすい。
それに対し、Fintech2.0は既存の概念に囚われず、ゼロベースで金融の概念を新しく作ったサービス。
このため、今の経済で金融のど真ん中を歩いている人、知識が多い人、金融に詳しい人ほど、頭を抱える。理解ができないもの。
ここから分かるのは、お金に限らず2.0的に新しい概念を創り出す人に取って、その分野の知識、アドバイス、評価はまったく意味のないもの。むしろ邪魔な存在。
他者の評価に左右されない、圧倒的な自己肯定感のある人じゃないと携われないこと。
2.経済と脳の深い関係
脳の神経回路には報酬系と呼ばれるものがあり、欲望が満たされたときにドーパミンという快楽物質が分泌されて行動の動機付けがされます。
この報酬には種類があって、
直接報酬がもらえたとき以外にも、報酬が期待できる状態でも満たされます。
さらに、報酬を強くするものとして、リスク(変化)の高い状態で満たされた時には強い快楽を得ます。
また、人との比較によっても高まります。
人が面白いのは、報酬を学習によって変化させることができることです。
最近で言えば、Facebookの「いいね!」をもらうことが報酬になっていますね。
これらうまく適用したものがいわゆるゲームです。
組織や仕組みにおいてゲーム仕立てにすること、これがゲーミフィケーションと呼ばれるもので、人工的に報酬を作り出し対価ではなく、ゲームをこなしていくことそのものを報酬にして、行動を促しています。
3.評価経済で回る中国
評価経済とは他者からの評価が価値を持つ経済のこと。
簡単に言えば、ユーチューブのフォロワー数が多ければ世の中に対する影響力が大きく、その影響力を使って広告などでお金を得ること。
中国では既存のインフラが未整備なため、個人間でお金をやり取りする仕組みが急速に広まっています。
世界的に時代の流れは、国家が管理する金融から、個人間でのお金のやり取りが中心になります。そうすると国家単位で管理していた経済が、個人が作るネットワークが中心になってきます。
4.Facebookの最大の価値はユーザーのデータ。
この価値の評価が既存の金融の枠組みでは正しく認識できないところまで時代は来ている。
既存の枠組みが現実世界を正しく評価できないのならば、既存の枠組みに頼らず、新しい枠組み、仕組みを作って正しく評価できるようにしようじゃないか。
となるのは当たり前の話で、それがFinetech2.0に繋がります。
新しい枠組みを必要とするのは、既存の企業ではなく、新しい新興企業です。
従来の企業が構成する既存の業界団体や、その他経済団体が理解できないのは当たり前です。そして、反発を生むことも。
これが、日本よりも中国でFinetech2.0が広まっている背景です。
5.若者よ、内面的な価値に着目せよ。
リターンを求めないお金の使い方。
衣食住、物質的なものが満たされた価値主義の時代は、お金の現実的な役割は低くなってきます。物の提供の対価としてお金は使われていたので、物が満たされれば満たされるほど、対価として使うお金はいらなくなります。
この時代を生きる若者は、お金を湯水のごとく扱います。もらったお金は使って、はいおしまい。逆に人にお金をあげる時も対価を求めません。はい、あげる。
以上終了。
この時代に必要なのは、ゲームとなってしまったお金を生きていく為に必要な物(衣食住)を手に入れることと切り離すことです。
一方ではお金はゲーム上のポイントであり、一方では生きていく糧になっている。
この両者の混在が経済の混乱、人生の混乱をもたらしています。
ここでは、生きていくために必要な活動(衣食住を手に入れる)を経済活動(ゲーム的なお金)と区別して、生活活動と呼びましょうか。
今の若者が求めているのは生きる実感です。
何もしなくても生きていける。じゃあ、私は何のために生きているの?
そのヒントが生活活動だと私は思います。
お金を得るための仕事として、作物を育てるんじゃない。
家を建てるんじゃない、服を作るんじゃない、物を運ぶんじゃない。
自分達、家族や町会、市町村。
そんな単位で自分達が必要なものを自給するために体を動かす。
そういった自給的活動、自給的な仕組み作りが、新しい経済と共に必要な取り組みじゃないかと思います。