2023/02/24 17:30

皆さま

改めまして、第二弾クラウドファウンディング協力のお願いです!

報道されております通り、本日2月24日で、ロシアの侵攻が始まってから366日目となります。

私たちは、皆さまにご支援いただき、Fainaをスタートさせることができました。

活動報告に上げさせていただいてます通り、日々、戦争被害を受けているウクライナと家族のために熱い想いを持って懸命に奔走しています。


今回のプロジェクトは『本格ウクライナ料理店「THE FAINA」の開店』です。

本来であれば、クラファンのプロジェクト紹介文すべてを読んでいただき、ご賛助いただきたいところですが、一本のドキュメンタリーのようにとても濃い内容になっているため、忙しい人向けに後述の通りできるだけ簡潔にまとめてみました。


「この戦争にどう向き合えば良いか分からないままいたずらに時間が経過してしまいましたが、『戦禍にある一市民の人生を、別の国の一市民が好転させられることは、間違いなく私たち市民ができる戦争への前向きな対峙の仕方」の一つだと確信している。』という言葉を読んで、喜んで協力したいと思いました。」

「ロシア・ウクライナ戦争について、これほどまでリアリティを持って話を聴いたのは初めてで、とても胸が痛んだとともに、微力ながら支援したいという気持ちが湧いてきます。」

とのメッセージもいただいております。

多くの困難に見舞われながら、私たちは懸命に戦っております。

みなさま是非ご支援お願いします!そしてもし良ければ拡散協力いただけると幸いです!


※ お時間があれば是非原文

(https://camp-fire.jp/projects/view/578780)をご一読ください。


(不適な表現かもしれませんが)

戦禍における市民の生活を知れる貴重なドキュメントストーリーです。


【目的】

・避難を受け入れてくれた日本への恩返しをしたい

・義父が戦時中に新しく持った夢を叶えたい

・他のウクライナ人達にも希望と安定した雇用の場を提供したい

・ウクライナの魅力を日本の皆さまに伝える広告塔となり、ひいては貿易、経済交流の促進に寄与したい


【これまでの軌跡】

・第一弾施策として、ウクライナのソウルフードスイーツである『ブリンチキ(ムレンツィ)』 を販売するキッチンカー事業に着手し、クラファンや多くの方の支援を受けながら5都府県、40ヶ所を超えるエリアで出店。


【実店舗「FAINA」開店への想い】

・今なおウクライナにいる義父が新しく持った夢が「家族全員で日本で暮らし、家族全員でウクライナ料理店を営みたい」。そんな義父に活力と希望を与えたい。

・キッチンカー事業を通して日本国民と触れ合え、義母や妻、スタッフたちは『未来への希望』を持てるようになっていった。戦禍にある一市民の人生を、別の国の一市民が、好転させられることは間違いなく「私たち市民ができる戦争への前向きな対峙の仕方」の一つではないか。


皆さまのご家族や親しい方々にもシェアいただけますと大変嬉しいです。


何卒よろしくお願いいたします。


---以下、ローマンさんのドキュメントストーリー

※抜粋にあたり一部文言を改変しております。

【登場人物】

・私(菊地崇)

・カテリーナ(菊地の妻)

・イリーナさん(カテリーナの母)

・ローマンさん(カテリーナの父。昔は大型貨物船の料理人を務める。)


(前略)

2022年2月。イリーナさんの職場(薬品会社)はミサイルで粉砕され、実家の隣の建物も粉砕されました。それでも国外への避難を躊躇するイリーナさんを見兼ねたローマンさんは、強い口調で言ったそうです。「俺のことは気にせず、一刻も早く国外に避難してくれ。ここにいると命が危ない!何かあった時に、二人を守りきれる自信がない。俺は大丈夫だから」と。

(中略)

当時のハリコフは、ひどく攻撃を受けていたため、24時間、いつでも攻撃に対応できるように、夜中でも順番で見張りをする必要があったと言います。ロシア軍は、市民の活力・体力を削ぐべく、真夜中のミサイル攻撃を続け、休む間を与えないという戦略をとっていたのでありました。

眠りにつきかけると、ミサイルの飛来音や爆発音、そしてサイレン音で起こされます。それが深夜でも数時間おきに断続的に起こされるということなのですから、そのストレスは計り知れません。


ミサイルの直撃の可能性は低いでしょうが、付近へのミサイル飛来に伴い、自宅にも被害が及ぶことは大いに考えられました。

(実際、ローマンさんが留守の間に、同じマンション住人が、その自宅で遺体で発見されております。マンション近くに飛来したミサイルの破片がその部屋の窓ガラスを貫き、そのままその方の頭部も貫通したということなのです。これほど近くにまで、ローマンさん達に死のリスクが差し迫っていたという事実に、青ざめてしまいます。)

(中略)

数日間休んだのち、ローマンさんは、仕事をしたい気持ちを抱くようになり、スーパーマーケットで働き始めました。働いている間は、他のスタッフとも会話ができるので、嫌なことを考えなくてすみ、気分転換になると言います。もちろん、会話の内容は明るいものばかりではないそうですが、それでも、気は紛れるのだそうです。戦争という体力的にも精神的にも極めて過酷な状況の中でも、『仕事をする』ということが、その人に活力を与えるということは、とても感慨深いです。


12月に入り、ローマンさんが、『戦争が終わったら、日本で家族で暮らしたい。Fainaで家族一緒に、働きたい』と話していると妻から聞いておりました。

そして、大晦日の夜の食事時、ローマンさんとビデオトークで電話することになっておりました。イリーナさんや妻は、ローマンさんとほぼ毎日のように電話で話しておりますが、今回のように、私も交えて、しかもビデオトークでお互いの顔を見て、話すのはとても久しぶりでした。

電話がつながり、ローマンさんの顔が見えた時、私は、驚愕いたしました。

申し上げたくはありませんが、ローマンさんは、この一年で顔つきが一気に変わりました。

端的にいえば、10年以上の年をとったような大きな変化です。シワは増え、深まりました。目のクマが際立ち、表情には緊張感がありました。

(中略)

そんな中でも、やはり、『The Faina』オープンに向けた話になると、表情が『パッ』と明るくなりました。私は妻に通訳を頼みながら、ローマンさんのイメージしている理想のお店の話を聞いていきました。すると、「こういう雰囲気のお店にしたい」、「こういう料理を出したい」、「日本にはこういう食材は手に入るのか」など、ローマンさんは、水を得た魚のように、テンション高く口早に話すようになったのです。


未来への希望があっても、もしかすると、ローマンさんのシワは深いままかもしれません。

しかし、それ以上に、多くの笑いのシワを作ることができたら、その顔は幸せな顔になると、私は思います。


家族で作るウクライナ料理屋『The Faina』

これがローマンさんと私たちに大きな活力をもたらす「共通の明るい未来」です。

よろしくお願いいたします。